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虫との約束を果たした日

今日は午後から予定がある日で、朝はのんびりと過ごしていた。
朝食をとったり、洗濯物を干したり。さて、掃除をしようと思い和室の押し入れを開けたときだった。目の前をものすごい勢いで大きめの何かが通り過ぎていくのが見え、私は反射的に戸を閉めた。足がたくさんあったのがわかった。おそらく毛虫かムカデか、そんな類だろう。

これは困った。

私は虫が苦手だ。苦手すぎて詳しくもないのでなんの虫かもわからない。うちの目の前には公園があり、春は桜がとても綺麗なのだが、秋は落ち葉がものすごく、大量に庭に舞い込んでくる。例年通り最近も、落ち葉がたくさん庭にやってきているのは知っていた。昨日おおかた集めて捨てたけれど、まだ残っているのも事実だ。秋の花粉症がひどいことを言い訳に完璧に綺麗にしていなかったから入ってきてしまったのか。もっと綺麗にしておけば良かった。気をつけていたつもりなんだけど。とはいえそんなことを後悔している場合ではない。この扉の向こうに彼はいるのだ。(勝手に性別を決めるのは良くないと思うのだが、便宜上そう呼ぶことにした。)

それから私は和室のものを移動させたりネットで対処法を調べたり、いろいろと準備をした。刺されると危ないらしいので、ビニール手袋をはめて、ゴミ袋を用意して、そっと戸に手をかける。その時点でだいぶ怖かったのだが、唯一の救いは、おそらく飛ばないだろう、ということ。飛ぶ虫に関しては、いつ飛びかかってくるかわからないという恐怖がある。それに対して今回は、足が速すぎて追いつけない可能性はあるものの、予測不可能な動きをする可能性は飛ぶ虫に比べて低い。きっと自分ならできる。自分で自分を励ましつつそっと戸を開け中を覗いた。が、彼の姿はなかった。おやおやと思いながら一度戸を閉め、もしかしたらさっき見えたのは幻で、もっと庭の手入れをしなさいというメッセージを伝える妖精だったんじゃないかという可能性を2%くらい信じようとしながらも、見失ったら見失ったで怖いと思い、もう一度静かに戸を開けた。すると、死角になりそうな壁の隅に、隠れるように彼が立ち止まっていた。まずは話し合いだ。

きっと想いは通じる。謎の確信があった私は、実際に声に出して説得を始めた。

「怖いよね。私も怖いよ。でも殺すつもりはないんだよ。外に連れて行くから。ここにいるよりも外の方がいいでしょ?あぁそうか決めつけるのは良くないか。でもね、とにかく外に連れて行ってあげるから。だからこの袋に入ってごらん。」

彼は少しも動かなかった。私も、少しも動かなかった。彼の近くに袋を置いたまま、彼自身が自らの意思で袋に入ることをただ願った。長い戦いの始まりだ。

5分か10分くらいだろうか。私はいろいろなことを考えていた。まぁ新しい行動をするというのはそりゃ怖いよな。生きるか死ぬかの戦いだもんな。家に入ってくるときは好奇心が勝ったのかな、それとも気づいたら間違えて入ってしまっていたのかな。ここで私がポンと背中を押すことはできるけど、なんか自分の意思で一歩踏み出してほしいんだよな。まぁ何よりもちょっと何かで刺激したとして、高速で移動されて見失ったらこわああああああ
一歩踏み出せないのは私だった。彼に対する思いが特大ブーメランでかえって突き刺さるのを感じる。

その後、袋を近づけたり言葉で説得したりするうちに彼は少しずつ動き出した。それに合わせて私も袋を動かし、どうにか中に入れようとするも、彼の動きの素早さにはなかなかついていけず、するりとかわされてばかりだった。徐々に互いの動きも激しくなり、あと少しで袋に入るという瞬間、私は気がつくとこう叫んでいた。




「絶対に助けるから!!!!!」




その瞬間彼は袋の中に入り込み、私はきゅっと袋口を掴んでまっすぐに玄関へ向かい、外に出て、公園へと進んだ。落ち葉の絨毯が広がる公園の片隅に、そっと彼を放った。一瞬動いていないように見えたので、心配になって軽く刺激すると、のそのそと落ち葉の下へ潜っていた。じゃあね、と声をかけ、私は公園を後にした。

手袋を捨て、手を洗い、なんとなく震える手のままnoteを書いてみることにした。最初はこの出来事について書くつもりなんてなかった。しかし、私は今日一つの命を守り、「絶対に助ける」という約束を果たすという大仕事もやったと思っている。頑張りましたと言わせていただきたい。
そして対人間のみならず、対虫においても、自分は当人の意思を最優先したいという自己決定への強烈なこだわりがあることを認識し、その背景には自分自身が誰かの人生に対して何かしらの影響を持ってしまうことや跳ね返ってくる何かに対する恐怖心があること、そこから逃れたいという願いすら透けて見えてしまい薄ら寒いものを感じた。
自己決定さえも押し付けてはいけないなぁ。まぁとにかく落ち葉は綺麗にしよう。


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