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【夫婦の会話】夫と話すと見えてくるもの

自分の心を解放して、そうだねって言ってあげる。

それだけで心が落ち着くのがわかる。

今まで、こんなこと話したらどんなふうに思われるかな、なんて顔色ばかり伺ってたかもしれないね。

自分でダメって決めつけて、心の中に押し込めてきたいろんな気持ち。

今、そんな自分の気持ちをこのnoteで整理したり、自分に気づいて励ましたりしてるんだけど、そうやって発見したことを夫とも話すようにしてる。

その記録。


爽やかな早朝に何気なくした会話

 noteに書いたら、自分の気持ちの輪郭がだいぶハッキリしてきたなぁって思ってて。

だけどそんな自分を肯定する気持ちと、なんかハマりすぎてるかなって気持ちがグルグルしてる。

そういうときは夫に心をパカっと開いて


私「ヤバくない?」


と恐る恐る顔を上げて聞いてみる。


夫「人間、そんなもんでしょ。

 どんな人だってパカっと開いたらそんなもんだと思うよ。

 むしろ、みかんちゃんみたいに真剣に向き合おうとするよりは、そこらへんに隠しておくって感じの人が多いと思うけど?

 そんなにストイックに自分と向き合わなくてもいいんじゃないの?

 今のみかんちゃんで何にも問題ないじゃない?」


ふふふ。

問題ないって思えるときもあるんだけど、今はちゃんと向き合いたい気分なのよ。

なんか次のステージに進みたいというかさぁ。

どんな視点とか考えとか価値観を取り入れたら、レベルアップできるのかなぁって。


私「いつも夫ちゃんが言ってるじゃん?

 人生は常に学びの連続なんだって。

 なんとか次に進みたくて、試行錯誤してるのよ。」


夫「なるほどね。

 でも次のステージに進むときって、そうやって真っ正面から挑んで登っていくっていうよりもさ、気がついたら違う世界が見えてた、くらいのもんじゃないの?

 真正面から挑んだら、見えるものも見えなくなるよ。

 一直線なのはみかんちゃんのいいところだけどね。」


えっ、そういう話とかできちゃう人だったんだ!

平和主義で省エネで行動してて、淡々と毎日を送っているように見える夫。

だけど、最近では人生は学びの連続でしょって言葉が出てきたり。

ステージって言葉が通じたり。

人って一つの側面でばっかり見てたらわからないものだね…ホントいろんな側面があるよね。


夫「今、職場の目上の女性でね、言葉も態度も結構厳しいというか激しい人がいるのね。

 言ってることはその通りだなって思うんだけど、部下の男性でひとり、まともに食らっちゃってる人がいて。

 休みがちだから仕事量も減らしたりして調整しながら様子を見てるところなんだよ。

 オレはさ、みかんちゃんに鍛えられたからよかったなぁって(笑)

 昔は結構キツいこと多かったけど、対応策も学んだし、いろんな見方ができるようになったもんな。」


私「あはは!

 私、そんな役の立ち方してるの?(笑)

 ま、大変だったよね、時々荒れ狂う私に対応するの。

 私も自分でそんなふうになりながら、なんでこうなるんだろう?って必死に考えてたよ。

 夫ちゃんが逆ギレしたり、頭から否定したりせず、そんな私と距離を置きつつも向き合ってくれたから今があると思ってる。

 『相手が自分で考えるしかない状況に置かれる』ように対応する態度って大事だってすごく思った。

 子育てでもそれって必要じゃない?

 子どもの態度に反応しすぎないこと。

 その意味がものすごーーくわかったんだよね。

 人との関係性ってお互いの反応と捉え方の積み重ねで作られていくものね。

 

 私、結婚当時は夫ちゃんになんで?って思うことが多かったけど、夫ちゃんを信じてきて良かったって思ってるし、自分でもいろいろ考えてこられて良かったってすごく思ってる。

 そんでね、今やっと『何をして過ごすか』じゃなくってね、『どうありたいか』ということを目標に自分をマネジメントしたいなぁーって思えるようになったんだよね。

 

 なんかね、本とか読んでそういう言葉が出てきても、ふーんそうなんだ…くらいでしか捉えられなかったのね。

 でも今noteで自分の考えとか想いとかを言葉にしていくうちに、いろんなことが腑に落ちるようになってきたんだよ。

 私はそうやって自分と心と向き合うのって合ってるみたい。」


夫「最近、ホントに落ち着いてるもんね。

 たまにワサワサしても、話が通じるし(笑)

 お互いに成長してるね。」


ふふふ。嬉しいな。

こうして夫と話せることが。

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少しずつ解きほぐされていく生きづらさ

仕事や子育てを続けていくに従って、何となくうまくいかないことが増えてきた私。


なんかシンドイ。

なんか苦しい。

なんかうまくいかない。

なんか自分ダメな感覚が抜けない。


私がそんなだと、家族にその空気がどんどん波及していく。

何とかしなくちゃ。

まずは私が落ち着かなくちゃ。

でもそう思えば思うほど空回りしていく。


どうしたらいいのかわからないまま、空回りの連続で数年が過ぎ、やっと今、うまく自分と向き合えるようになってきた。

その中でうまく付き合えるようになってきたことは、自分の生きづらさの正体とか、周りとの温度差とか。


あのね、私、テンションとか温度が周りと差を感じることが多かったの。

多分そういうときって私がバリバリやる気モードで。

そのときは夫とは同じ方向が向けなかったりしたのね。

なんとなく周りの人とも温度差を感じてた。

そういう時の私って周りが見えずに突き進む傾向があって。

志は高く、目標に向かって努力しているときだったんだけど、多分、目標しか考えてなかったんだよね。

それ以外を全然考慮できてなかったの。

だから仕事でも家族との時間も温度差を感じて違和感。

何だろうって思ってた。

目標に向かって突き進むって悪いことじゃないはずなのに、なんかうまくいかないなって。


そんな中で夫には同じ温度感で一緒に行動してほしくって。

ひとりじゃ心細いんだもの。

で、グイグイと無理やり同じスタンスを求めることもあったのね。

でも夫は自分にできないことを無理に頑張るタイプじゃなくて。

つまり私とは違ってて。

そんな状況に私は満たされなくて、すごくイライラしてた。

私は夫に合わせて欲しかったんだと思う。

でも夫はできないことはやらなかったし、私がそんなモードのときは一線引いてくれたのね。

ギャーギャー言う私にも振り回されないでいてくれて。

そんな夫のスタンスが、私を取り戻すキッカケになったんだよね。


もしかしたら私は誰かにどうにかして欲しかったのかもしれないなぁ。

ずっとずっと。

でもどうにかできるのは自分だけだった。


夫が私に無理に合わせようとしないことで、やっと自分と向き合う覚悟ができたの。

それは自分をダメ出しすることじゃなくて自分を自分の幸せにする覚悟だってことも理解できた。

そんなふうに自分に向き合ってわかってきたことがある。


私はバリバリやる気モードが自分のベースであるべきって思ってきてて、いつでもバリバリやれるのがいいって無意識に思ってたこと。

でもどこかで落ちる。

落ちると戻らなきゃって必死になる。

それが結構な空回りになることが多くて、そのときはかなり苦しい。

何かをキッカケに浮上するんだけど、バリバリやる気モードまでググッと上げちゃうから無理がかかるのよ。

それってね、自分の『ベース』となるテンションや意識、モードみたいなものが、私の意識として

「バリバリやる気モードじゃないとダメ」

と思い込んでるからそこまで上がらなきゃって必死になっちゃうのよね。


夫や長男は常にニュートラル、淡々と浮き沈みの少ない生活をしていて。

私にはそのニュートラルな位置に違和感があったの。

物足りない、反応が少ない、人のことを考えない、動じない、距離が遠い、何を考えてるかわからない。

どうしたらいいのかわからない距離感や反応。

私だったら考えもしない『あり方』で、そんなんで毎日楽しいの?という感覚。


でも一緒に暮らしていて、それがベースにあるということの素晴らしさにどんどん気づかされるのよ、私。

「私はこうすべき」っていう意識で、どんどんあるべきカタチをポジティブモードに偏らせてたなって。

もっともっと削ぎ落としていいんだなって思った。

私、周りの期待とか想いに応えようとし過ぎてたかもしれない。

誰にも絶対に支配されない、確固たる自分をしっかりと持ってていいんだな。

人の言葉に揺れ動かなくてもいいんだな。

そんなことを2人のスタンスから教わった。

最初は私の方に近づけようとしちゃってたんだけどね。


頑張っても報われないスタンスじゃなくって、

無理なく続けられる『ほどほどモード』でやることが大事なんだよね。

私はマックスとゼロを行き来してたし、外では常にマックスだったから疲れたんだよね。

で、マックスだと周り見えない。

で、見えないから失敗する。

見えないから周りとの差が浮き彫りになる。


そういうの、わかってたんだけどさ、

『ほどほどモード』

がどうしても受け入れられなかったんだよね、感覚的に。


人に反応しなくてもいい。

人の言うことを聞かなくてもいい。

イヤな感覚を感じたらその場を離れてもいい。

イヤだと思ったらやらない選択をしてもいい。

相手のために動かなくてもいい。


まずは一度、そんなスタンスでやってみて微調整したらいいんだろうな。

無理なく自分でいられる、周りに影響されすぎない自分をつくっていこう。

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【オマケ】職場での自分改革

「無理なく自分でいられるスタンス」

その感覚を腑に落としたくて、最近では職場で実践してる。

周りの人たちをビンビンと感じてるんだけど、それに影響されて動きすぎるのをやめた。

振り回されないで、自分の仕事を淡々と進める。

あえて気にしない選択を自分でする。

それを誰かにダメ出しされたら、そのとき考えたらいいや、くらいの気持ちで。


目の前の患者さんの想いは聞くし、理解もする。

その中で身体機能の専門家の私にできることをスパッと決める。

あとは客観的な評価と説明、そして治療、効果判定。

余計な想いは手放す、スパッと。

シンプルに専門家としての仕事をこなすことを大切にする。


ここの意識で確実に変わったのは、「自分で決めること」だった。

専門家として社会に求められていると思われることや正しいカタチに必死にとらわれて、理想のあるべき姿に突き進んでいく感覚は手放すことにしたの。

今、目の前にいる人の体の状況を、今の私のスキルで評価して、確実に私がやれることに注目する。

私の治療でこの人のここの部分を確実によくできる、という部分をしっかりとこなす。

結果を出せるところでしっかりと結果を出す、ということ。

確実なラインを狙っていく。


決めてアプローチしていくと、それに対する結果がちゃんと出るから、それをそのまま受け入れて次を考えたらいいの。

そのやり方に正しい、正しくないというのはなくて、うまくいかなかったときは治療の選択や優先順位を変更したらいいだけの話になる。

そんなふうにシンプルにする。


このね、「決める」ってすごく怖いの、私。

決めるとどうしても

「間違ってるんじゃないかな」

って思う。

足りない部分ばかり見えて焦る。


ううん、そんなことない。

私のカラーがあっていい。

それが独りよがりになるかどうかは、相手とのコミュニケーションで調整できる。


専門スキル×コミュニケーション


この感覚でやっていけば、今の私だったら経験と知識で問題ないと思うの。

うまくいかないときは大抵私の中の意識のあり方とか、自信のなさ、気持ちが落ち着かない時なの。


私の治療スタンスというのは年々更新されているのだけど、今回は大きなアップグレードになったなぁと思う。


仕事のスタンスを考えると、自然と子育てのスタンスにもつながってくる。

子育てのスタンスがハッキリしてくると、夫婦の会話が増えてくる。


世の中の当たり前と違うカタチでも、研究結果とかからわかってきた事実とは違っていても、私は私のやり方でやっていい。

それを貫き通すんじゃなくて、


私のやり方×コミュニケーション


で、バランスを取っていけばいいんだよね。

それが私の今のスタンス。









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