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「何ができるか」よりも「何がしたいか」を意識する

いつも心の叫びをnoteでダダ漏れさせてるみかんです。

でもね、ダダ漏れさせてるおかげで、だいぶ心は軽いですよ。

ワーキングメモリのキャパが少ないからか、やっぱりため込んだらいけないのですねー。


今日はふと気づいたことを言語化します。

この視点は初めてかもしれない。


どんな視点で、どんなことに意識して生きてるか

最近のマイ注目ワードは「意識」です。

注目とかフォーカスとか、そんな言葉にも置き換えられるかも。

何を意識して過ごしているかっていうのが、かなり重要なんだと気づいたんですね。


例えば、自分のできてない部分にばっかり意識が向いていると、できない部分ばかり見えて、結果、どうにかしなきゃって思考になりやすいと思うんですよ。

誰かの役に立たないと生きてる資格なんてない、くらいに思っていると、役に立つか立たないかで何事も判断したり、選択しがちになると思うんです。


できてない自分ばかり見つめてしまうのは、きっとできる自分になりたいからだし、役に立つかどうかが大事なときって、役に立つことが自分の存在意義になっているわけで、自分の心の中からしみ出てくる願いなんだと思います。


で、なんでそんな願いが出てくるのかなって考えると、自分で自分を認めたいからなんだろうなって思うんですよ。

結局は自分を認められたらなんだっていいんじゃないかって気づいたら、せっかくだし、自分らしさを認めたいじゃないですか。

何かができてないとダメとか、こうあるべきとか、そこにとらわれていたら、きっとそれを実現しない限り、自分を認められない感覚になっちゃう気がします。

何者かになろうとすることで認めるんじゃなくて、私ってコレ好きだよね、こうしたいんだよねっていうのを素直に認めて、応援したいです。


じゃあ、何を意識したらいいのかなって考えたときに、ハッとしたんですね。

今までそれって、意識してこなかったことだなって。

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目の前にいる人のためのアイデアはどんどん浮かぶ

私ってね、昔から誰かの役に立ちたい人で、目の前にいる人のことばかり考えてきました。

まぁ、それが今の仕事には活きていて、一生懸命考えようとしなくても、自然と体が動きます。

多分、自分のこと以上に考えるし、状況把握も、必要なことも、相手との会話も、経験があるのでかなりスムーズです。


でもね、私、自分へ意識を向けるのは苦手だったようで、noteを始めてやっと自分のことを理解できるようになってきたし、言葉にして自分でハッとすることも多いんです。

自分との会話ってこんなに下手だったんだ、と気づきました。

言葉にすると客観視しやすいので、私は合っているみたいです。

客観視できれば、人のため思考の私でも自分のために考えることができるんですね。


目の前に困っている人がいたら、会話の中でニーズや願いを聞けたり、そのためにやれることはたくさん頭に浮かぶのはなぜか。

それは具体的なものが見えるからですよね。

でもね、例えばライター記事とかnoteの記事で、自分らしさを表現してって言われると、うーーーんって悩むんです。

人のことはこんなにもいろいろ考えられるのに、自分のことって苦手だと感じる私。

何か対象があるとイメージしやすいのに、自分って対象はまだまだイメージできてないというか。


今までも、自分らしさを知るための記事をnoteで書いてきてはいるけれど、まだまだ腑に落ちてません。

感覚的には、自分ってどんな人か、つかみ切れていない感じです。


で、お得意の「夫に聞く」を発動!

夫はサラッと

夫「そうね、みかんちゃんは自分に厳しくて、アンニュイな人かな。」

と言って、去っていきました(笑)


あ、これ、めんどくさーってうまく逃げられたパターンです。

そういうやりとりも、楽しくて好きだけどさ。

そう感じながら、私、誰かに頼らなくても自分で自分のこと、もう少し理解してあげたいなぁって思いました。

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「あ、わかってくれる」に依存してる

結局、自分のことがわからないから、わかってくれる人に依存しがちなんでしょうね。

今日、職場の上司と面談していろいろ話したのだけど、その答えの反応が、あ、この人いろんなことがすごくわかってる人だ、感覚が近い人だって感じて、すごく安心してしまいまして。

これね、なかなかそういう人に出会えなかったというか。

いや、話してみると結構どんな人でも奥深いんだけれど、一度先入観を持ってしまうと、予防線張ってしまって、素直に伝えられなくなるというか。


よくあったのが、周りの人が言われている姿を見て、うわ、あんなふうに言われちゃうんだって思い込んで、距離を置いちゃうとか。

あとは、同じような立場にある人が、上司からこんなふうに言われたっていう言葉を聞いて、私はそんなふうに言われたことなかったけど、もしかしたらそう思ってたかもしれないんだーって思い込んで、気をつけようと余計に力が入っちゃったり。


特性のある子を育ててみてわかったのだけど、相手を見て言い方って変えるものなのよね。

この人にはハッキリ言わないと通じないとか、この人は1言うと10わかるから言い過ぎない方がいいとか、この人は言い過ぎると混乱するからシンプルにとか。

だから、誰かが言われたことを自分のことのようにとる必要ってないんですよね。

だけど、私、結構ビビって周り見てて、見れば見るほどあれもこれも気をつけなくちゃってなって、力が入るから疲れるし、素直に相談できなくなるっていう悪循環。


最近になって、やっと自分をフラットな状態に持ってこられるようになって、そんなに気を張らなくていいんだよって、自分に言えるようになったのだけど、まだまだ社会においては難しいです。

自分の立ち振る舞いで人の対応って変わってくるし、その対応にいちいち反応していたらもたないし。

でもかなり気にしてます。

まぁ、今は転職直後で、特にそうなのだと思うけれど。


ただ、今日の面談で、私は特に何かしなきゃならないポジションではないとハッキリ言ってもらえて肩の荷がおりました。

つい、何かしなきゃいけないんじゃないかって気負ってしまっていて。

それは考えなくてもいいらしい。

良かった。

なんか、根っこにはやっぱり「役に立たなきゃいけない」があるらしいです、私。


誰がどうとか関係なく、私が私でいてよくて、素直に相談していくことが大切なんだと思いました。

わかってもらうことに依存しすぎるのは良くないけれど、適度に関わっていくことは大事だし、お互いの理解や信頼は必要ですもんね。

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結論、何がしたいかを意識しよう

こうして言葉にしていくと、だんだん自分の輪郭が見えてきますね。

結局、私は自分がどんな人かを自覚してなくて、周りの反応を見て自分を評価してるに過ぎなくて。

それが当たり前になってしまっているから、周りが気になって仕方ないんですね。

自分に自信がなくなるほど、周りを見てしまって、周りの反応でまた自分に自信を無くしてしまうんです。

で、そこに人を元気付けたいタイプの人たちが察して元気付けにきてくれる…みたいなところがあるんですけど、そのタイプの人の望みは「自分への感謝の気持ち」で、私はそれを察してしまって感謝しなきゃならない現状に疲れちゃう、とかもあります。

↑ちなみにこういう方にズバッと本音を伝えると、ササっと離れていくので、それにまた罪悪感でした。

せっかくの好意を無碍にしたのだな、と。

自分に必要な人間は自分が決めていいはずなのに、悪いことをした気分が抜けません。


常にフラットな状態って、ホントに難しいです。

かなりコントロールが必要です。

慣れたらわかってくるんでしょうけど、私が私でいるって難しいです。

人のために生きてきたクセが抜けなくて、やっぱり目の前に困ってる姿があったり、反応があると、それに応じた動きを取ろうとしてしまいます。


そこから脱するには、冒頭でお話しした

「意識する視点を変えること」

じゃないかと思っているんです。


「今、何が必要か」、「今、私に何ができるか」ということに意識が向きすぎる私ですが、「今、私は何がしたいか」を考える時間も持つことが大事なんじゃないか、と。


仕事で言うと、

今の私にできることって何かな→後輩たちに何か役に立てたらいいな

今、私が必要とされてることってなんだろう→新たな視点を提供することのように感じる


とまぁ、いろんな話を聞いたり、状況だったり、雰囲気から察して、こんな感じじゃないかと推測してるわけなんですけど、ハッキリとお願いされたわけではないんですよね。

で、モヤモヤしながら、いいのかな、悪いのかな、ちょっと行動してみようかな、アレ、反応悪かったな、とか考えているんですよ。

完全に妄想で空回りしてるのかもしれないですね。


他人軸で考えているから、他人の反応が気になるし、思っていた反応と違っているとそれだけで落ち込んでしまうんですよ。

やっぱり勝手に振り回されてしまう思考になってるってことですね。


で、この意識を「今、私は何がしたいか」にシフトしていくと、

私はここでチームワークを学びたい、スタッフとのやりとりの中でいろんな想いを共有したい、コミュニケーションを大切にしたい、自分や同僚の「やりたい」を応援していけたらいいな、と、そんな気持ちが湧いてきます。


そう、「何がしたいか」がないわけではないのに、それを意識する気持ちが弱くなって、つい現場にいるとそこに合わせることや自分のポジションに意識が向いてしまうんですね。

自分よりも周りが気になるというか、自分の在り方を周りの人のキャラやムードに合わせていこうとしてるんですよね。


で、結果、いいところに落ち着けばいいと思うんですけど、前の職場ではなぜか自分をどんどん苦しめる方向に自分で陥れていってしまったんです。


まずは周りを気にせず、自分のスタンスを貫く方向で考えていく

→足並み揃わない部分は、その理由を深掘りしてみて、自分の理念のチームワークと折り合いがつく部分を模索してみる

→うまくいかないな、と感じたら相談していく


自分が合わせることを前提にするのではなくて、自分が自分らしくいられることを前提にして、職場でも自分を大切にしていけるといいと思います。


また、ライターとして記事を書くときには、つい「自分ができること、やってきたこと」をこれいいですよ、っていう形で書こうとしてしまうんですね。

そこも「私がしたいことは何で、チャレンジした結果、こうなった」という視点で書けたら、自分に前向きな感じがします。


もう少し、「何ができる?」から「どうしたい?」に意識を切り替えていくって、今の私に必要です。

記事で言葉にしてみて、より腑に落とせました。

早速、仕事と記事に活かしてみようと思います。

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