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必要なのはからだを「いたわる」という視点

からだが調子悪い時、トラブルが起きてつらい時、「こうならないようにもっと〇〇しないと!」とさらに自分に負荷をかけてしまっていること、ないですか?

運動不足だから、といきなり強い負荷をかけて体に負担をかけていませんか?

体にはどれくらい運動しないといけない、というような基準はありません。

あったとしても人それぞれ違います。

大切なのは「いたわる」という視点です。


からだが悲鳴を上げたとき、もっと頑張らせないで

50代の女性、子育てに介護の仕事、両親の介護で日々頑張っている方を担当しています。

結構シンドいんだと思います。

私が治療させてもらってきた1年半の間に随分と痩せました。

肩の痛みは首まで広がり、ご本人は治すために努力をしなくちゃと頑張っていました。

十分やっているからもう少し休んでいいと思いますって伝えたけれど、痛いのは自分が怠けているからだっていう思い込みが強くて、そんな頑張りを否定したくはなかったから、よくやってらっしゃるのがいつも伝わります、とお話ししていました。

ツライ人がツライって言うの、大事だけれど、多分ツライって言いにきているわけではないから、ただただこの方をそのまんま受け入れつつ、私にできる治療をしようと思いました。

「私はこんなに痩せてしまったのに、仕事で介護している方の肌は何にもしていないのにキレイだったりするのよ」

そう言葉にするその方を、誰かいたわってあげて欲しいって思いました。

そして誰よりも自分で自分をいたわってほしい、とも。


からだが悲鳴を上げたとき、心の悲鳴にも向き合って

私がお体を見せてもらい、治療する方に多いのは仕事の定年後や介護がひと段落した女性です。

自分の体とゆっくり向き合う時間を持てずに頑張りきったあとに、少しゆっくりと時間ができて、今まで意識が向かなかったからだの痛みに気づくのかなぁーと思います。

そんな方には筋肉や関節の声を代弁するだけではなくて、「いろいろと大変でしたね」と大変だったことを言葉にする時間も必要だったりします。

心がもう大丈夫!と思えないと、いくらからだの回復が進んでも足踏みしてしまったりする姿、たくさん見てきました。

どんな状況にある人でも、どんな年齢の人でも、今の自分の声を言葉にして伝えるってすごく大切なことだと思います。

どんな言葉であっても、それが本音じゃなかったとしてもいいんですよね。

誰かに聞いてもらった、受け止めてもらったということが、なによりも力になります。


手術をしないための人生にしない

80代の男性で、股関節の手術をしたくなくて頑張って筋トレしていた方に出会いました。

私はその方に合ったトレーニング方法と効果判定の仕方、日々の生活の工夫をたくさんお話ししてきました。

残りの人生を楽しむために手術という方法もありますよというお話はしてあったんですが、できるだけ手術をしたくないという思いからトレーニングを始めたので、いつの間にか男性の人生の目的が手術を避けること、に置き換わってしまったように思いました。

どうしたら手術を避けられるかに毎日とらわれてしまっているように感じたので、

「ここまでトレーニングを続けてこられたので大丈夫です!得られた筋肉を維持するのは獲得するよりも難しくないです。これからはからだをいたわってあげてください。」

と、「いたわる」をキーワードに入れたところ、ふっとゆるんだのを感じました。


運動不足のからだをいたわる

運動不足、と自覚すると何をしなきゃって思いますか?

運動しなくちゃ?

歩かなくちゃ?

何かしなければならないと思うとなんとなく苦しかったり、課題とかやるべきことになってしまって嫌になりませんか?

運動不足でなんとなくダルいし筋肉が落ちた気がする…そんなからだをいたわろうと思ったら、あなたはどんなことをからだにしてあげたいですか?

いたわるって喜ばせてあげること。

ギューーーっと伸びをしたら気持ちがいい、これだっていたわること。

からだが気持ちいいって感じられることをするのがいいんじゃないかなぁって思います。

ちょっと意識を変えるだけで違うので、試してみてくださいね!

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