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1.乗合バス

 葛折りとなった険しい山道のせいで、バスの車内が大きく傾いだ。

 隣の座席に身体ごと投げ出されそうになり目をさます。……どうやらうたた寝してしまったらしい。早鐘を打つ胸に手を当て、周囲を見回した。乗合バスの車内は仄暗く人気はない。今、バスはどの辺りを走っているのだろう……。言い知れぬ不安に突き動かされ、曇った硝子窓に額をあて外を眺めやる。

 いつの間にか日は落ち、墨色の空に白藍色の下弦の月が上っている。淡い月影は、細い山道の脇に立つ木立のせいで、壊れかけの幻灯機のように不規則に瞬き車内を照らしている。月があれ程高く上っているとは。思いの外長く眠ってしまったようだ。

 窓から視線を外し、ふたたび車内を見やった。所狭しと座していた客は、前席の車掌と自分を残し誰もいない。微睡んでいる間にみな降りてしまったらしい。そう広くない車内で、皆目気づかなかったとは、だいぶ疲れていたということか。

 再度ぼんやり外に視線をやろうとして気付く。車窓に図らずも己の姿が映り込んでいる。

 擦れて補修跡が酷い紺地の着物に、色あせた臙脂の帯。着物は昨今流行りの上下が別れた短丈。洋装の腰巻《スカート》ように広がる裾から出た足に履いているのは、黒い穴があちこち空いた膝丈の脚絆《レギンス》に、焦茶の傷だらけの革の編み上げ長靴《ブーツ》。容姿も表情もくたびれたその姿……。

 「家」を出て2年。着物は洗いはしたが買い換えたことはない。服飾に興味はないとはいえ人目の厳しさは増すばかり。買い替えるか否か……。

 逡巡していた時、偶々乗合バスの停留所横に洋品店があった。意を決し飛び込んでみたのだが、それがいけなかった。

 店子の執拗で過剰な接客。こちらの意を聞かず積まれる衣類、小物、装飾品の数々。言うまでもないが持ち合わせ等ない。支払いの算段になりやっと口を挟む機を与えられ、首から下げた赤い矢羽柄のがま口財布を開けた。お札が1枚と、銀色の硬貨が2枚。足りる筈もない。

『だったら最初から言いなさいよ! 聞いてるの? 無表情で何考えてるのやら気持ち悪いったらありゃしない!』

 彼女の掌を返した罵倒が未だ耳に残る。こちらに手落ちは無い筈なのだが……。恐らく疲れの原因はこれに違いない。

 ため息を吐き窓に映る己の姿を見つめる。肩にかかる黒髪。赤みがかった鳶色の瞳に覇気がなく、「表情」というものが乏しいらしいその顔。

――やはり「ヒト」を理解できない。これでは母が残した遺言「新しい家を見つけ出す」ことなど永久に無理ではないのか。

 物思いに耽けりつつ外を見遣っていると、けたゝましい動力《エンジン》に混じり、微かにせせらぎが聴こてくるのに気づいた。手をかけ窓から覗くと、山道と雑木林の間にうねりゆく小川が見える。闇夜に浮かびあがる白い水飛沫。バスがまた鋭角に方向を換え、坂をさらに登り始める。と、同時だ。

 大量の水が地面に叩き付けられる瀑布の轟音が動力音を蹂躙し車内に満ちていく。

 「玲瓏たる水都」とも称される目的地はもうすぐそこのようだ。窓の隙間から入り込む冷気と湿気で車ごと水に沈んでいくかのような感覚に陥る。冷えゆく身体を両手でさすりつつ改めて考える。

 さて。とりあえず。バスを降りた後どうするか……。

 金はない。つまるところ野宿しかない。とはいえだいぶ大きい都のようだから「奴」は必ずいる。「仕事」には困らぬ筈だ。野宿は一日で済むだろう。朝を迎えたら仕事を探し、旅の資金を調達しよう。

 そうと決まれば先に腹ごしらえだけしておくか。

 私は膝に置いた飴行燈《キャンディランタン》を見下ろした。高さは一尺ばかし、一抱え位の大きさの行燈《ランタン》だ。真鍮製の台座や傘には唐草模様が彫り込まれている。上部の持ち手も全て真鍮造り。火袋の部分は硝子で、見た目通りずしりと重い。窓から差し込む月影で真鍮が錆びた光を放っている。火袋の中にあるは琥珀色に燃ゆる炎ではない。

  煥攬石《カンランセキ》だ。

 蓋を開け右手を差し込み、親指と人差し指で一粒それをつまみ出した。暗い車内でそれは琥珀色に燃え、放つ輝きはこちらを誘うかのように扇情的に揺らめいている。空腹を堪えきれず、急ぎそれを口に放り込んだ。

――おいしい。

 広がる香ばしさと、ほんのりとした甘み。しばし時間を忘れて口の中で転がし貪る。しかしそうしてばかりでは空腹は満たされない。名残惜しいが噛み砕かず一息に飲み込む。次第に石は熱を持ち身体の中心、奥深くに沈んでいく。と同時だ。

――……。

 声? 騒音でうまく聞き取れない。もう一度目を閉じ、耳を澄ます。

――来おったか。……さっさっと殺って仕舞おうよ。
――喰うてしまおう……。

 「奴」の声。「妖霧」の声に違いない。身体の中心に落ちた煥攬石《カンランセキ》が、体内で弾けてかっと熱く燃え出す。都はヒトが多い。それ故彼らの感情に反応し妖霧も多く現れる。経緯は分からぬが、ヒトが標的となっているのは確からしい。

――お前は強い。だから傷つきそうなヒトの命に気付いたのなら、見て見ぬ振りをせず助けておあげ……。

 懐かしい母の声がする。聞いてしまった以上、放ってはおけない……。

 飴行燈《キャンディランタン》を左手に下げ、小ぶりな麻作りの肩掛け鞄をたすき掛けにする。足元に畳みしまっていたキックボードを右の小脇に抱え席を立った。後部側にある降口に歩みを進める。単純な仕組みで扉の開け方はわかる。こちらの挙動に気づいたらしい先頭の車掌が曖昧に振り向いた。

「お客さん、終点まではまだあるよ。道が悪いんで座っといてもらわんと困ります」

 こちらの行動に不信に思ったのだろう。憮然とした言い草。あゝ。いや、そうではないか。思いつき首に下げたがま口から硬貨を2枚取り出し、後写鏡《バックミラー》に写るように掲げる。

「人命救助のため、降ります。お代はここに」

 車掌が体を震わせ、さらに大きな声で怒鳴りつける。

「何言ってんだ! ここは停留所じゃねえつってんだろうが」

 言い分は理解できるが従うわけにはいかない。母の言いつけは絶対だ。硬貨を座席に置いた。今にも立ち上がり、掴みかかって来そうな車掌を振り切るように、折畳式の三輪のボードを組み立てる。
 そのまま、後部降車扉横、安全装置の赤い押し釦《ボタン》に指をかけ解除した。高い警告音と共に、折戸が畳まれゆっくりと開く。刹那、氷のように冷たい風が、月明かりと共に車内に流れ込み、肩で切りそろえた私の黒髪を舞い上げた。

「お世話になりました」

 麻の鞄に結わきつけた赤い襟巻《マフラー》を外し、首に軽く巻きつける。そのまま床に降ろしていた行燈《ランタン》を手に取り、キックボードの支柱の定位置に取り付けた。かちり、という機械音と共に行燈《ランタン》の台座部分から一粒、琥珀色の玉が支柱の下の膨らんだ動力部へと吸い込まれていく。

――よし!

 ことり。石の落ちる音を合図に車体が低い唸りをあげ始める。車体脇から両側に飛行用の羽根が広がる。同時にキックボードを支える3つの車輪が回転翼《プロペラ》となり地に風を送るため垂直に寝ると、高い羽音を立て回転が始まった。車体が浮き上がる。私は片足を踏板の部分にかけ、車掌の怒号を背に浴びつつ、バスの階段《ステップ》を軽く蹴り車外に飛び出した。

 金は払った。挨拶もした。他にあれこれ言われる謂れはないのだが……やはりヒトというものは理解に苦しむ。

 後ろ手で扉を閉めやると、回転翼《プロペラ》の羽音と車体が風を切る音に紛れ、それも聞こえなくなった。

 蝙蝠の如き光沢を帯びた羽が、完全に広がったのを確認し、首にかけていた航空眼鏡《ゴーグル》を片手で上げ、前を見据えた。今しがた降りた乗合バスと並走して山道をいく。芋虫のように車輪がいくつも連なるこの牽引式《トレーラー》バスも、順次車輪が位置を変え空を飛ぶための回転翼《プロペラ》と役目が代わり車体が浮き始める。

 視線を前方に移す。あゝいけない……! 

 いつの間にか目前に見上げるほど高い山肌、絶壁が迫り来る。横には地響きを轟かせ流れ落ちる大滝。突き当りの壁面には、矢印形の電飾看板がけたたましく上昇を促している。上へ上へと青白く点滅する蛍光色。それを確認して私は左右、両の手で握っていた操舵《ハンドル》を、加速装置《アクセル》と一緒に握りしめた。

 すんでのところで衝突をまぬがれたキックボードはそびえ立つ岩肌をなめ、ひたすら上へ上へと上昇を始める。

 青い小鳥が描かれた着物の袖が、闇夜に音を立てはためき舞い上がる……。

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読んだり書いたりするのが好きです。複数サイトに小説を投稿しています。 ツイッターの代わりに使ってみようかな〜と思い、試しに書いてみました。
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