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人は突然いなくなるけれど、愛という光はいつまでも残る

胸の少し下で重ねられた手。
なめらかなブラウンの細い腕は、ハワイの太陽の下で産まれ生きた証だ。
長い指の先には、つい最近ネイルサロンで塗られたであろうワイン色の爪が綺麗に並んでいる。
そっと手に触れる。
2週間近く司法解剖のため戻ってこなかった彼女は、きっと随分と変わった姿になっているのかと心配したが、その手は冷たくも優しい柔らかさがあった。
ホッとすると同時に寂しさが溢れてきた。
もう魂はそこにいないと感じる頰に触れてみる。
いつも彼女のそばにいたゲイの三男が優しく彼女の前髪を額に戻している。

「ああ そうだね。いつものお母さんの顔になったね。」
「この服もいいでしょ。今朝選んだんだよ。彼女の好きな紫色の。」

今日は最後のビューイング。肉体を持った彼女にさよならを言う日だ。
変わり果てた姿だろうと、60年連れ添った彼女の夫は来ない選択をした。
誰もが心の内側で、突然のさよならに小さな抵抗をしていた。

長く住んだアメリカ本土からハワイ島に引っ越した時の私は、結婚や離婚、仕事、暮らしというものを通して”アメリカはもういいかな”という気分になっていた。
自己主張の強い、すべてが50・50でなければいけないという印象が強いアメリカになんだか疲れてしまっていた。
そんな時だったから、ハワイに来て初めに知り合ったカーティスが、いつもニコニコと人のために働いているのを見た時に、ここはアメリカではなくハワイという国だと思った。

「リラックス リラックス」

事あるごとに言われて戸惑った。
何がリラックスかもよくわからなかったのだ。

ある日カーティスが「ヒロの方に行ってみるかい?」と私ともう一人そこにいた日本人の男の子に声をかけてくれた。
まだハワイ島をよく知らない私たちのために、島を案内してくれるという提案に、私たちは喜んでついていった。
あちこちと観光しながらヒロに着いた時、カーティスは彼の実家に立ち寄るといった。
5エーカーの牧場のような土地に、お父さん手作りの家が建っていた。
外にはラナイ(ポーチ)があり、蒸し暑いハワイでは1日のほとんどをここで過ごす。
カーティスのお母さんが、ラナイのテーブルから手を振って私たちを迎えてくれた。
「あら、よく来たわね!」
それから、家の中に案内された。
たくさんいる孫やひ孫の中で生まれたての子がバシネットの中で眠っていた。
どうもその日は、おばあちゃんが面倒を見ていたらしい。
おしゃまさんのお姉ちゃんが、一緒に訪ねた日本人の男の子に英語を教えている。
彼の答えがおかしいらしく、コロコロと笑いながら彼をからかっている。
私とカーティスとお母さんは、広い階段に腰掛けながらそんな光景を見ていた。
お母さんと初めて会った時の、そのゆったりと過ぎた時間を今でも思い出す。
今まで体験したことのない優しい時間だった。

それから私たちはヒロの方へ移り住んだので、お母さんと会う機会はとても多くなった。
ハワイアンは家族でよく集まる。小さなパーティや大きなルアウと言われるパーティも何度か参加した。
パーティのご飯は持ち寄りが多いが、正式なものになるほど男の人たちが料理するので、私達女は座っていることが多い。
お母さんはいつも座ってニコニコしながらゲストとの会話を楽しんでいた。
子供達が食べ物や飲み物に気を配り、お母さんの好きそうなものをそっと置いたりしていた。
彼女は小食で、まるで鳥のように少しずついばんでいる。
美しい指先で慎重につままれた食べ物は、そのまま忘れられたように長い時間、指の間にとどまっていることがよくあった。
亡くなる日の4日前に持って行った巻き寿司もまた、指の間で揺れていた。それが最後の光景になるとは思いもせずに、私はただぼんやりと眺めていたんだ。

私には長い間、率先して物事をすること、よく気がついてそれをこなすことを、美徳としていた自分への刷り込みがあった。そしてそれは、私を苦しめていたことにも気づいていた。
生まれ育った環境から刷り込まれたものか、その後の人生でそれが一番だと思ったのかはわからないけれど、少なくとも誰かが仕事をしているときに、そこに座ってリラックスしていることはいけないことだった。

そんな私にこの家族は「座っていなさい」と言い、お母さんは身をもってそれはどうすることかを見せてくれた。
ただ明るい笑顔で、楽しそうに笑っていた。
周りの誰もが、その彼女の純粋な笑顔に癒された。
どんな時でも、物事をあまり深刻に捉えず、冗談を交えながら笑っていた。
家族が多いと、どうしてもいろんな悲劇が起こる。
悲劇が起こるたびに、お母さんの笑顔とその明るい存在がこの家族を支えてきたのだろう。
誰もがお母さんの笑顔を守ろうとしたし、そんな思いは家族を一つにする。
一番重要な仕事を、彼女は最後の時まで完璧にこなした。
言葉を使うこともなく、教えようとするわけでもなく。
光で在ったと思う。

私たちはその光を突然失ったけれど、お母さんのことを思うとき、あの笑顔が浮かぶ。
人々の記憶にその笑顔と笑い声しか残さない存在の凄さを想っている。
そこに座り、笑っていることの尊さを想う。
お母さんの部屋を片付ける家族が笑っている。
冗談を言いながら笑っている。
光の種はこうして受け継がれて繋がっていくのだなぁと思う。

いつもの現実は或る日突然消える。
振り返る時間
心に残される種
毎日少しずつ新しい現実に慣れながら
残された種を芽吹かせる。
そうやって一生懸命生きるのだ。
自分の物語を。

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