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なんでもない日記(2023年9月)

9月1日(金)

毎年お客さんからかぼすを箱でいただく。いただいたかぼすを絞り醤油と酒、みりん、昆布を入れてかぼすポン酢を作る。市販のポン酢よりすっぱくてパンチのあるポン酢ができる。夕飯はシルバーの醤油漬け、肉じゃが、青菜の煮物など。明日からの旅行の準備をする。

9月2日(土)

北海道に住む妹夫妻を母と一緒に尋ねる旅行を2021年に計画したが、第5波のピークと重なってしまったため断念した。そして今年、再度旅行を計画し、いよいよ実行にうつす時が来た。一家4人で羽田から新千歳に飛び、そこで大阪から来る母と合流し、車で道北を目指すという計画だ。2年前のこともあり、5人が健康で台風などのアクシデントもなく旅行に行けるイメージがなかなかわかず、直前まで今回も行けないかもと、心の中で予防線をはっていた。また、高齢の母が北海道まで一人で行けるのかも心配だった。もし、一人で行くのが不安であれば、前日に私が大阪まで行って、一緒に北海道へ向かうことも考えたが、電話で相談したところ、おそらく大丈夫だろうという話になり、チケットの手配だけはこちらで行い、一人で新千歳まで来てもらうことにした。

早朝、羽田に向かう。チェックインを済ませ、ゲートで出発を待つ。空港のテレビでは流しそうめんで食中毒がでたというニュースが流れていた。無事新千歳に着き、レンタカーを借りる。母は午後の便で来ることになっており、それまでの時間を利用して支笏湖へ向かう。水中を見る事ができる遊覧船に乗りたかったが、波が高く欠航とのこと、残念。湖畔を散策し、ひめますのお寿司をいただき、ビジターセンターで動物の剥製と自撮りをする。空港へ戻り、母と合流する。道中で困ったことはなかったかとたずねると、高齢をアピールし、助けてもらいながら来たとのこと。さすがの老人力だ、見習いたい。全員揃い車で道北へ向かう。ここからは娘に運転してもらう。途中でナビがあらぬ道を指示し、少し遠回りもしたが、おおよそ予定通りに一日目の宿である湖畔にあるホテルに到着した。そこに妹夫妻も来て一緒に夕食をとった。

9月3日(日)

朝ホテルをチェックアウトし、妹夫妻の家へ向かう。初めて訪ねたのだが、東京に住む身からすると、庭の広さにまず驚く。犬たちの歓迎も受けながら、お茶をいただきお宅拝見する。今回の旅行の一番の目的が達成できた。一服してから、妹夫妻も一緒に富良野へ向かう。母の希望もあり、富田ファームと六花亭をめぐる。母のお土産の買い様に勢いがあり、まだまだ元気だなあと感心する。当初、母が買ったものはすべて宅配便で送る予定だったが、到着が3日後と聞くと、ご近所へのお土産はどうしても帰った翌日顔をあわせたタイミングで渡したいからと、子供たちの心配をよそに持って帰ることになった。途中で妹夫妻と別れてホテルへ移動する。日曜日の夜ということで宿泊客も少なくとても快適に過ごせた。

9月4日(月)

快適なホテルを名残惜しみつつ空港へ向かう。途中の山道で鹿を何回か見かけ北海道を感じる。月曜日なので空港はそれほど混んでいないだろうと高を括っていたが、予想以上に人が多く、手荷物預けにも長い列ができていた。ホテルの朝食をしっかりいただいて、それほどお腹はすいていなかったが、せっかくの北海道なので、昼は豪華な海鮮丼を食べる。空港で慌ただしく母と別れ帰京する。

9月5日(火)

旅行の余韻を反芻しながら過ごす。夕飯は鶏のから揚げ、ポテトサラダ、枝豆など

9月6日(水)

北海道のホテルに忘れたTシャツが届く。イベントののぼり旗のデザインをしていて、いろいろアドバイスをもらう。自分にはない視点で参考になる。夕飯は豚肉のコチュジャン炒め、カニカマサラダ、枝豆など。

9月7日(木)

富士日記の読書会の日、今日は上巻の最後まで。今回印象に残ったのはこの部分。

女衆二人にパイナップルの大罐を一つずつ子供へおみやげに車の窓から渡すと、若い方の人は「いらねえ」と言う。「悪いからいらねえ。こんなもん、いらねえ」と怒気を含んだ声で言いながら、車のドアを半分あけて、かんづめを地面に転がして返してよこした。私が転がってゆくかんづめを黙って見ていると、外川さんは「それなら、 おらが貰うだ」と言って抱えて乗った。もう 一人の女衆は、笑ってあいさつをしたが、若い方の女衆は知らん顔をしていた。昨日は大岡さんのところへ招ばれて遅くなったらしいし、子供のいる女衆としては無理もないことなのだ。私の車をだして女衆だけ先に下の村まで送り届ければよかったのに、気のつかないことをした。暗くなった地面に転がし返されたかんづめが、いつまでも目のなかに残って、墨を呑んだような気持 になる。

富士日記 武田百合子

転がった缶詰に自分の心境を重ね合わせている部分は小説のようでもある。岸波さんと竹田さんが自分のつまらない話も丁寧に拾ってくれてありがたい。夕飯はかじきの粕漬、小松菜と玉子の炒め物、焼きアスパラ、冷奴麹味噌のせなど。

9月8日(金)

新千歳空港のぎょれんに立ち寄って海産物を土産に買わなかったことを今更ながら悔やむ。いかやホタテや蟹やうにを買えばよかった。夕飯は鮭のホイル焼き、豚にら玉、きゅうりのコチュジャン和えなど。

9月9日(土)

午前中は涼しかったので少し長い距離を走る。草々が紹介されているBRUTUSを購入する。一回尋ねたきりだけどなぜか誇らしい気持ちになる。夕飯は近所の中華料理店へ行く。4人で行ったので色々なものを注文できて楽しい。

9月10日(日)

今日も走る。走っているうちに昼時になりラーメン屋に入る。美味しくいただいて店をでたのだが、汗で椅子が濡れたのが申し訳なかった。カレー用の牛すじを仕込む。夕飯は鱈のトマト煮、切干大根、ブロッコリーのナムルなど。お母さんの家に夕飯を届けに行く時、辺りは完全に日が落ちていて、まだ暑いけど確実に秋が近づいている。

9月11日(月)

久しぶりに対面での打ち合わせ。来年に向けて業務アプリケーションに追加する機能を相談する。久しぶりにチャーシューを作る。

9月12日(火)

夕飯は回鍋肉、空芯菜炒め、めかぶの酢の物など。

9月13日(水)

夕飯は牛すじのカレー。忙しいと書いて心を亡くすとはよく言ったものだ。

9月14日(木)

『アステロイド・シティ』を見た。監督が作り出す寓話の世界に2時間浸れる幸せ。夕飯は焼売、ポテトサラダ、枝豆など。阪神が優勝した。

9月15日(金)

『グレート・ギャッツビー』を読む。登場人物が纏う金持ちの鼻持ちならない感じが好きに慣れなくて、なかなか物語に入り込めなかった。しかし後半に物語が展開しだすと面白くなってきて、最後は一気に読み終えた。映画の邦題は『華麗なるギャッツビー』ではあるが、華麗というより人生を見誤ったという感じがする。過去に生きながら未来を夢見る男の話とも言える。心を1920年代のアメリカに飛ばすことが出来なかった自分を寂しく感じる。夕飯は鮪の醤油漬け、卵のチリ炒め、にんじんの白和えなど。

9月16日(土)

午前中走る。しかし、まだまだ暑い。湿度もあり予定していた距離を走れなかった。夜は少し前にたずねて焼きおにぎりが美味しかったやきとんの店へいく。やはり焼きおにぎりは美味しかった。

9月17日(日)

猫田道子著『うわさのベーコン』を読む。本作の内容とは関係ないが、この本は希少なようでAmazonではとんでもない値段がついていた。こういう本も借りることができる地元の図書館は本当に素晴らしい。

身近に楽しい音楽がある生活を望む主人公が語る物語はとても音楽的だった。

今回、お友達と一緒に行ったリサイタルは、初めは普通かんかくでしたが、中頃になると、念には念を入れよ、という風でした。これが過ぎると、後は、さわやかで、心か開しょうしましょう。 という気持ちになりました。

-中略-

県内ですが、私はフルートを吹かれて満足だったのです。この次に演奏会が開かれるのは、卒業シーズンの春。それまでに、もっと上手になろうと練習をします。それは、今までに味わった事のないフルートの練習となりました。はっきり言って、きつい。私もきついレッスンとやらをする様になってしまった。
怖い音色が、もっと怖くなるばずでしたが、中に、安らぎが入ってしまった感じがし ます。「この人、もうダメね。」と言う人が現れて、私をけ落そうとなさいましたが、音楽をやめたくない一心が働いて、私は音楽家だと強く思いました。

うわさのベーコン 猫田道子

夕飯は豚肉と高菜とピーマンの炒め物、きんぴらごぼう、焼きなすなど。今日の献立は千切りまつりだった。夕飯を届けた帰り、近所のファミレスに長い行列ができていた。

9月18日(月)

朝走る。8時でもすでに暑い、が公園には銀杏が落ちていた。『グランツーリスモ』を見る。ゲームが原案の映画ということでそこまで期待していなかったが、これがなかなか面白かった。Dolby Atmosの劇場で見たのだが、レースシーンのエンジン音がリアルに響いてテンションが上がる。主人公が父親とハグするシーンで思わずもらい泣き。劇中でエンヤとケニー・Gが流れたのには笑った。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』もそうだし今年はゲーム原案の映画であたりが多い。夕飯はモダン焼き。

9月19日(火)

今夜は鰤の照り焼き、ポテトフライ、かぼちゃの煮物など。

9月20日(水)

『本を読めなくなった人のための読書論』を読む。本を読めなくなったというより、ちゃんと読めているか不安もあったので手に取った。すごく乱暴にまとめると、読みたくない時は読まなくていいし、自分のペースで好きなように読めばいいということだった。中で引用について触れられている箇所があり、時々やっている引用を肯定されたようでうれしかった。

言葉には不思議なはたらきがあって、書物のなかだとあまり心動かされないものでも、引用されると、熱いものになって胸に飛び込んでくることがあります。本から、そのときに必要なエッセンスを抽出すること、これが「言葉のジュース」を作ることです。

本を読めなくなった人のための読書論 若松英輔

夕飯はビーフカレー。

9月21日(木)

夕飯は赤魚の干物、なすとピーマンの味噌炒め、小松菜の煮浸しなど。

9月22日(金)

『夢十夜』を読む。起きた時に夢を覚えていることがあまりない。二度寝した時に時々見るくらいだ。一度くらい夢でみたことを書きだしてみたい。
印象に残ったのは、第七夜では行く宛てのない船から飛び降りて死のうとする男の話だ。夢あるあるのような話だが、飛び降りてからの後悔が身につまされる。

自分は益つまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。 それである晩、あたりに人の居ない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが自分の足が甲板を離なれて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜くなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。 自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。 只大変高く出来ていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、足は容易に水に着かない。然し捕まえるものがないから、次第々々に水に近附いて来る。いくら足を縮めても近附いて来る。 水の色は黒かった。

夢十夜 夏目漱石

そして、第十夜。なぜか女についていったら、絶壁で豚に追いつめられるという、これまた夢らしい話の最後の一節が好きだ。

庄太郎は必死の勇を振って、豚の鼻頭を七日六晩叩いた。けれどもとうとう精根が尽きて、手が蒟蒻の様に弱って、仕舞に豚に舐められてしまった。そうして絶壁の 上へ倒れた。
健さんは、庄太郎の話を此処までして、だから余り女を見るのは善くないよと云った。自分も尤もだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいと云っていた。
庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう。

夢十夜 夏目漱石

夕飯はコロッケ。

9月23日(土)

午前中走る。ようやく気温が30℃を下回る。ここから少しづつ距離を延ばしていこう。夕飯は高円寺でタイ料理を食べる。メニューが豊富で頼みやすい値段なのがうれしい。

9月24日(日)

J.L.ボルヘスの『伝奇集』を読む。難解で一度読んだだけでは何が書いてあるのかわからなかった。きっと私が考える物語より自由でより想像力豊かなのだ。そして自由で想像力豊かであるためには相応の知識が必要なのだろう。

断言するが、図書館は無限である。観念論者たちは、六角形の部屋は絶対空間の、少なくとも空間についてのわれわれの直観の必然的形式である、と主張する。 もしくは五角形の部屋は考えられないという。(神秘主義者たちは、無我の境地に達すると円形の部屋が現われるが、そこには、四囲の壁をひとめぐりする切れ目のない背を持った、一冊の大きな本が置かれている、と主張する。 しかし、彼らの証言は疑わしく、彼らのことばは曖昧である。その円環的な本はすなわち神なのだ。) さしあた り、古典的な格言をくり返せばたりる。図書館は、その厳密な中心が任意の六角形であり、その円周は到達の不可能な球体である。

バベルの図書館 J.L.ボルヘス

夕飯は鱈とあさりとじゃがいもとブロッコリーの煮物、かぼちゃのマヨネーズ和え、たこサラダなど。

9月30日(土)

午前中走る。その後、大勝湯へ行く。大勝湯は脱衣所も浴室も広くて好きだ。


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