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真冬の向日葵(ひまわり)

ひまわりを探したのに、見つからなかった。
写真でさえ、思うようなのが見つからない。
どんなに探しても、決して代わりはないのだと痛感した。

8月生まれ。
ひまわりが大好きで、ひまわりのような人だった、と思う。
真面目で不器用で、決して出しゃばらない。
何を言われても、ニコニコしていて、絶対に人の悪口を言わない。
何も考えていないように見えて、本当は誰よりもスマートだった。
だから、生涯を持って、彼女のことを悪く言う人は、一人もいなかった。
それだけは、これからもずっと、私たちの誇りになっていく。

11月の終わり。
私はなんだか疲れ切っていた。
うたた寝していたら、夜半に弟から電話があった。
危篤の連絡を受けて、私は動揺した。
苛立ち、周囲に余計な小言を言って、最悪だった。
悲しみとか不安とかイライラとか、気持ちの整理がつかないのに、
航空券を事務的に手配してくれていた夫にさえ、泣いて苛立った。
最悪。

翌朝の飛行機に飛び乗ったけれど、間に合わなかった。
敢えて機内でネットを繋がなかったのは、私の意思なのに、
到着した時に受けた知らせに、呆然とするしかなかった。

2012年の元旦に、初めて倒れてから、
何度も大手術を乗り越え、
コロナ前には糖尿で足を切断し、車椅子生活になった。
だんだんと記憶障害が顕著になり、孫の名前も混乱していたのに、
父が毎日お化粧をしてあげて、ずっと綺麗でいた。
苦しんだのは、きっと最期の数日だけだったと信じたい。

お別れの日。

もうすでに自力歩行のできない父を車椅子に乗せて、
喪主を務めた弟と、姉と義兄と姪っ子。
従姉とその息子。
そして私。
盛大な儀式をするグループを横目にしながら、
たった8人で見送った。

姉と従姉が用意してくれたお花で埋め尽くしたけれど、
彼女の大好きだった向日葵は、見つからなかった。

小さくなってしまった姿を、まだ受け入れられない私がいる。
誰もが通る道だと分かっているのに。

「ひとつのいのち」の尊さを伝えるミッションの途中で、
「ひとつのいのち」の終わりを見届けること。

覚悟はできていたはずなのに、自分の無力さを痛感している。

そうこうしているうちでも、世界は同じようにまわっている。
もし今、世界の中心で助けてと叫んだら、
いったい誰が、具体的に動いてくれるのだろうと思う。

最愛の母へ、貴女の娘で良かったと伝えられなかった。
生んでくれて、ありがとう、と。

戒名は付けず、
生涯を捧げた茶道での師範名を、位牌に刻すると決めた今。

母が生前お世話になった皆様へ、心より御礼申し上げます。




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