見出し画像

更年期の10年で何をするか

戦前まで女性は50歳が寿命だったそうです。
今は女性の平均寿命は世界トップなのですが人生を全うしているかどうかは疑問です。
昔の女性は、寿命が近づいてくる頃から出家したり旅に出ては人生の精神史のようなものを綴っていたといいます。日記や和歌、紀行文にまとめられたり絵を描いたりして、わずかに残る命を生きた証を表現することに使っていたといいます。
では「生きた証」とはなんでしょう。

50歳あたりから、自分の生きる意味を見出したいと、気持ちがウズウズしてくる人が多いそうです。それは、先々の不安な気持ちだったり、やりたいこと、チャレンジしたいとワクワクする気持ちだったり様々ですが、非常に複雑な感情に捉われて落ち着かない時期だと思うのです。
今までの知識や経験を糧に自信を持ってチャレンジしたい女性のなかには、キャリアアップするたびに何か満たされない想いを感じる人も少なくありません。
更年期という10年は、こうした満たされない想いの矛先を見つける時ではないでしょうか。
矛先が指し示すものは、未来に向けての課題ですから有り難く受け入れると、生きた証への道が開かれていきます。

すべては指差しから始まる

生まれて間もない赤ちゃんは、自分と対象を認識はしていません。9ヶ月頃から「アー」と言葉を発して対象物を指差し、自分と他を意識するようになります。そうなると、その対象物が何かを知ることになります。
ですから、対象物が何かを伝える第三者の教えは後に赤ちゃんの思考に大きく影響されていくのでとても責任が重いものです。
指し示したものが、善なのか悪なのか…
心の奥底に何層にも重なった記憶は、自分と対象を好き、嫌いで分けていきます。
「アー」と始まった時から私たちの感覚は何層にも記憶されています。
昔から人に指を差してはいけないと言われてきましたが指されると、なんだか嫌な気分になりますね。人間は、DNAにすべては一体、集合体だという認識が記憶されているため、指差しで分けられると耐え難くて…それを意識で感じているのです。

好き?嫌い?

母の音で決まる

感じていることは、遠い昔に見たもの、聞いたこと肌の感触やにおい、味など無意識の中に眠っていることが意識としてあらわれた現象です。
もし、母親が常にイライラと不機嫌で笑顔を失っていたならその光景は子供の記憶の中に入り込み、同じような感情としてあらわれてくるでしょう。また、指差しで見たもの、聞いた音がどのように印象されていくかは一番影響力のある母親からの教えが関係していることが多いようです。

私という存在

子供の頃の純粋な心の色は、見たもの、聞いたこと、肌の感覚などに染められ、父韻と母音という言葉の音で何層にも織られていきます。
更年期は、言葉のあやから生まれた「思い込み」という縛りを解き、赤ちゃんの頃の執着のない心に戻る時だと思うのです。
ただ、それは簡単なことではなくて薄紙一枚一枚剥がすように、絡まった糸を少しずつ解くように始まります。
時に紙は破れて、紐は固結びになりながら言葉によってつくられた身体を上書きしていくのです。心が空っぽになると自然に必要なこと、物が引き寄せられてきます。引き寄せられたものとの関係性が私の価値であり存在意義です。

更年期という10年は素直になるためのあれやこれやと修行をするようなものです。
辛くて苦しいなかに、笑いや歓びを見つけて自分が何の役にたつか、誰の役に立つのかを見出す過程なのだと思います。
自分の価値を見出してくれた相手のなかに「生きた証」が面影となっていきます。
こうして意識を内側から外に向けた時、中心の点と線が結ばれ、ご縁が生まれていきます。
更年期の10年は、自分の価値を見出しご縁を広げる時だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?