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恐怖の世界へ

子どもが成長する過程で、最初に教えたことは危険を回避することでした。
何でも口に入れる時は、窒素しないように見守り、ヨチヨチ歩きは段差に気をつけ、もう少し成長すると、車に轢かれないように歩道を歩く、信号が青になってもすぐ飛び出さないこと等、危険を伝えるために、母性を注ぎました。
それでも子供というのは好奇心が旺盛で、火傷や怪我をして体感しないと「危ない」という事がわからないものです。
そもそも人は、危うい体感が伴わないとその先の恐怖に気づくことが出来ません。何度も何度も口で伝えるよりも、一度痛い目に合わないと、人は判断ができない生き物です。
女性は更年期まて生きると、何となく不安になります。体の成長と役割を果たした女性は自らを守る業はお手のものですが、その先は意識が外に向こうとするため、守るべきものを見失い、不安から恐怖に陥ってしまいます。そこで、内側に潜む無意識は必死に外に出ろ!視野を広げろ!と警笛を鳴らします。

「この習慣で誰かを守れる?」
「この体型で誰を守れるの?」
「その場所でいいの?」

更年期は、次元を上昇させるための痛い言葉達が恐怖となって体中を巡ります。
安心を覚えた体は今のままではダメだと伝え、次のステップに誘います。

・ネガティブフィードバッグ

36億年前にはじめて誕生した生物には、脳がありませんでした。何かを取り込む口と、消化管とそれを排出する出口だけがあったそうです。
そして、その生物には「生きる」という使命があり、水中をぷかぷかと彷徨っていました。
この時は周りに取り込む栄養があるため止まって口を開けているだけです。
ところが、口を開けても栄養が入らす、「アレッ?」って気づいてから慌てふためきます。このままでは餓死すると思った生物は、恐怖を感じてはじめて行動を開始します。
そう、生物は、恐怖を感じて使命に気づくことができるのです。

・鈍くなった感覚

昔は、暗くなると夜であると認識され、冷えてくるとそろそろ秋だと認識されて、身体の感覚を頼りに事が進んでいました。
コンクリートで囲まれた空間や、蛍光灯の明かりなか、24時間営業のコンビニやスーパーなどがあると人はいつでも安心して、感覚が麻痺して、工夫することを忘れてしまいます
便利な食べ物、いつでも手にはいる果物や野菜が
旬の味がすると勘違いしてしまうのです。
微細な違和感や気配を感じる力が鈍くなると、気配りができなくなってしまいます。
迷惑おばさんにならないように気をつけていきたいですね。

・包括的に見る能力

物に価値を置いている時代は、あれもこれもと、物が無くなると恐怖を感じる人が多かったですね。過去に起こったオイルショック、コロナ禍でのマスク騒動など、テレビの報道を聞いた後に不安や恐怖に陥り、慌てて買いだめするという事態がありました。
それは、目の前のことしか見ていないという事。しかし、この世は循環とバランスで成り立ちます。需要と供給、独り占めしなければ、必ずバランスは保たれるのです。
日本人の無意識はお互い様、助け合いの精神ですから、体さえあれば後は何とかなります。
物がない発展途上国ほど、幸せ度は高いのです。

私が合気道の師範から教わったことの中に「近視眼的に相手を見ない」という教えがあります。つまり、相手の目を見て技をかけると恐怖が先にたつのですね。そうではなく遠くの山々を見るように技をかけると、余計な力が抜けて合気できるということです。相手に執着しない、目の前に執着すると視野が狭くて、良い知恵も名案も浮かびません。
女性性の包括力は、恐怖をのみこむことが出来きる素晴らしい威力を持つのですね。

恐怖はまだ見ぬ世界の入り口です。入るべきか、止めるべきか、それは痛い思いを体験しないとわからない世界です。痛くて辛い傷を負うほど、身体は研磨され、無くなってしまいます。
恐怖とは、基礎である体を作り上げることが前提で、経験や体験を超える覚悟を決めた時に無くなります。


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