果たしてハードルは飛べるのだろうか?

「前世のほかにもみせてもらった」からの続きです。> 

振り返りでわかったことは、私は祖母をローモデルとして生まれてきたということだった。祖母とファゴールの人生は似ていると感じた。祖母も医者であった最初の夫を亡くし、看護師として戦地に行ったと聞いている。太平洋戦争中は、朝ドラになりそうな人生を送っており、戦後も子どもたちを養うため、ずーっと働いていたらしい。

 私が就職したころは、すでにバブルは崩壊していたものの、まだ少しその余韻が残っており、「寿退社」という言葉もなくなったわけではなかった。実際、学生時代の友人は「寿退社」をした子が何人もいたし、30歳手前のお姉さまたちを「お局様」と称して、同期でどこの局が怖いかなどをよく話していたものだ。

 そんななかで、結婚しても出産しても「働かない」選択肢がなかった自分は、ちょっと珍しかったのかもしれない。しかし、生涯を通じて働き続けた祖母をローモデルとしたからだと言われれば、それもなんだか納得できる。

 それから、養女と娘婿には現世でも会っている。というか、とてもお世話になっている。娘婿は現世では私の先生であり、文筆家であり、会社経営者だ。養女はその会社でディレクションを担当している。やはり前世からのご縁というのは不思議だ。

 さらに「道」についても不思議だった。私はどこまでもまっすぐな道しかイメージできなかったが、アコさんによると、その道のイメージは人によってさまざまだという。細い林の中の獣道だという人もいれば、いろは坂のようにくねくねしている道の人もいるらしい。

 「迷子」も不思議だった。私は子どものころ「迷子」の悪夢をよく見ていた。催眠で視たのと同じように市場で迷子になっている夢だ。母を必死に探すが、見つからなくて目が覚めるというもので、幼いころは本当に寝るのが怖いと思っていた時期があった。ところが、今日催眠でみた迷子のイメージは、同じ迷子でありながら、迷子を楽しんでいる自分だった。しかも祖母たちが自分を見つけてくれるので、それまでの時間を楽しもうとすらしていた。これは正直びっくり。

 そして、3年後の私。

「アコさん、私ね、本当は心の中で5年後とか10年後とかどうしようかな?って考え中だったのにね、口が勝手に3年後って言っちゃったの。」

「3回も言ってたよ。」

「そうなの。なんか、おばあちゃんに言わされた感があるんだけど…。」

「フフフ。おばあちゃんがそれ以上は見せたくなかったのかもね。とはいえ、3年後は家族写真を撮っているのね。ハードルもイケイケ!って言われたんでしょ?」

「そうなんだけど…学生時代にね、ハードルがどうしても苦手で。ハードルより高い高跳びとかは全然平気なんだけどね、ハードルの走り方がなんというか、蹴倒して進む感じがうまくできなくて、体育の先生に、放課後居残り練習とかさせられてね。すごく苦手意識あるんだよね。だから、みちの前方に見えているハードルも、大したことない高さなのかもしれないんだけど、なんだか飛べる気がしないの。」

「でも、おばあちゃんは、イケーって言ったんだから、行っちゃうんじゃないの?笑」

「そうなのかな…。行っちゃうのかなあ。」

という感じでセッションは終了した。回数を重ねるごとに見える情報量が増えている気がする。そして今回も写真にまつわる話が出てきた。さてさて、私の写真ライフはどこに向かっているのかしらね。

 ちなみに、その後私は、あるご縁で本当に家族の写真を撮りまくることになるし、次のセッションでは、なぜ「家族写真を撮るのか」がわかるのです。苦笑


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