勇者ズム!SS6 著:羊山十一郎

   『元アサシン、メール詐欺に遭う』

 ミアは先日購入したばかりのスマホを片手に固まっていた。

「……」

 ないのである。
 セシリー、リサ、マリー……スマホに登録されていた三人のメールアドレス、電話番号、そして昨日練習で送りあったメールが全て消えてしまっていた。

(おかしい……ついさっきまでは確かにあったはず)

 ミアは先ほどから何度も繰り返している動作をもう一度試してみる。

 電源ボタンを押し、四桁の暗証番号を入力し、ホーム画面に入る。『連絡先』と書かれたアイコンをタップすれば、そこには――

「……ない」

 やはり仲間たちのアドレスは跡形もなく消えてしまっていた。

 ためしにミアは先日、店員から習った方法で自分のメアドを確認してみた。

「えっと……『設定』アイコンをタップして、『メッセージ』をタップ……」

 画面を下の方にスワイプすると、ちゃんとミアのアドレスが表示された。

「私が間違えているわけじゃない」

 するとやはり、先ほどうっかり画面をろくに見ないままタップしてしまったのが原因だろうか、とミアは推察した。

 確かに『削除』がどうとか文字が見えた気がしたのだ。ぼんやりしたまま『はい』という文字の近くをタップした気がするが、もしかするとそれが原因かもしれない。

「……」

 ミアがどうしたものかと思考し続けると、スマホがピロリンと音を立てた。

「!」

 メールが届いていた。

 タイトルは『昨日はありがとね~』。

 セシリーたち三人の誰が送ってくれたメールなのか、昨日のなにに礼を言われているのかもわからない。

 だが、それでもミアは救われた気がしていた。

 なにせ自分の失敗でメアドを消去してしまった直後なのだ。言葉には出さないが、ミアは内心で焦りまくっていた。

 急いで文面を考え、それを入力する。

『誤って皆のアドレスを消してしまったらしい。これは誰からのメールだろうか』

 祈るような気分で、ミアはメールを送信した。

「さて……」

 一時間後。
 ミアは最寄り駅に呼び出されていた。

 あの後、何度かメールのやりとりをしたが、結局相手がセシリーたちの誰なのかわからなかった。

 何度ミアが名前を尋ねても教えてもらえず、どこか要領を得ない回答ばかり。

 直接会って話そうということになり、ミアはこうしてやって来たというわけだ。

「いないな」

 背伸びして見回しても見知った顔は見つけられない。

 逆にミアの顔をじろじろと見てくる人が予想外に多くて、彼女はとっさにうつむいてしまう。アナストウェルでは顔を隠していたため、顔を見つめられるとどうしても恥ずかしくなってしまうのだ。

「うぅ……私は影なのに」

 頬がぽかぽかしてしまうのをどうしたものかと考えていると、ミアのスマホがピロリンと音を立てた。急いで画面を確認すると、

『着いたよ。今、どこにいるの?』

 そんな文章が表示されている。ミアは顔を上げてきょろきょろと辺りを見回した。

 いない。何度見ても、セシリーたちの姿はない。だが、

「あ、見つけたかもー。おーい」

 と、そんな声と共に駆け寄ってくる男がいた。

「……」

 ミアは周囲を見回す。だが、男は「君だよ、君」と言いながらついにミアの目の前までやって来た。

「ミアちゃんだよね。いやー、よかったよ。無事に会えて」

 若い男だった。すらりと背が高いのに、腕にも足にも筋肉はほとんどついていない。いつもへらへらと笑っていそうなしまりのない顔をしている。
ミアは少しの間、男の顔を見つめてから言う。

「……誰?」
「俺? 俺だよ、俺……やだなぁ、シュウだってば」

 知らない。絶対にこの男とは初対面のはずだった。

 ミアが胡散臭そうに見続けていると、シュウは笑いながらスマホを振ってみせた。

「いやいやいや……メールしてたじゃん、俺たち。さっきまで」
「は?」

 意味がわからない。だが、シュウが「ほらほら」とミアにつきつけたスマホ画面には、確かに先ほどミアが送ったメールの文章が表示されているのだった。

 それを読んで、ようやくミアにも事情が理解できた。

「まさか、人違い……」
「いやー、ごめんごめん。ミアちゃん連絡先を全部消去しちゃったんだっけ? 奇遇だね。俺もなんだよ。違う人にメール送ったつもりだったんだけどねー」

 へらへらと笑っているシュウをミアは鋭く睨んだ。

 ミアは何度もメールで名前を尋ねていたのだ。それにこの男が答えていればこんな間違いは起きなかったはずである。だが、そんなことを今言っても仕方がない。

「……事情は理解した。お互い、災難だったとしよう」

 くるり。
 立ち去ろうと背を向けたミアだったが、

「おわっ、待って待って。ミアちゃん。災難なんかじゃないよ。これは運命だって」

 シュウは回り込んで、ミアの進路を塞ぐようにしながらそんなことを言った。

「俺、ちょうどミアちゃんみたいな子を探してたんだよねー。ねえ、助けると思って話だけ聞いてみない?」
「必要ない」
「いや、そう言わず。あ、待って待って。お願いだからちょっとだけ話聞いて。ミアちゃんみたいなかわいい子見たのはじめてなんだよ。ミアちゃんにも得な話だから、ちょっとだけ聞いて!」
「か、かわっ!?」

 ミアは思わず足を止めた。
 ぼんっと顔が熱くなるのが自分でもわかる。

 そんなミアを見て、シュウは笑みを深くした。

「かわいいってよく言われるでしょ? ミアちゃんよりかわいい子なんて見たことないよ」
「い、意味が分からないっ」

 ミアはとっさに片手で顔を隠した。もう片方の手をあっちへ行けとシュウに振る――
 ぱしゃ。

「ウケる。なにそのポーズ。もしかして慣れてるの? 自撮りとかもするほう?」

 シュウが許可も得ずにミアの写真を撮っている。

「ねえねえ。ミアちゃん。話だけ聞いてよ。いい仕事があるんだ。かわいいミアちゃんにぴったりの仕事」

 なりすましメールという存在を日本に来たばかりのミアが知っているはずもない。

 だからごく単純な手口に引っかかってここまで呼び出されてしまった。

 だが、ミアは元アサシンである。セシリーたちと共に魔王を倒す命がけの旅をしていた経験がある。その経験からミアは、シュウの言うことに従ってはいけないと直感した。

「……おまえ、私を害そうとしてるな」
「ガイソー? えっと……なにそれ?」
「とぼけるな」

 ミアは隠し持っていたナイフに手を伸ばす。この男は危険だ。にやけ顔ですり寄ってきて、その笑顔の裏では悪意を向けてくる――

 ミアがシュウに対して一歩踏み出そうとしたその時、
「あ、いたいたー」
 突然、そんな声が割り込んできた。

 セシリーたちだろうかと思ったがそうではなかった。

「ごめんね、この子、私の連れなんだー。じゃあね、お兄さん。急いでるからごめんねー」

 見知らぬ女がミアとシュウの目の前に割って入り、そんなことを言っていた。

「行こ」

 耳元でつぶやいてから、女はミアの手を引いて走り出した。

「おい、ちょ――」

 シュウが手を伸ばしている。待つ理由はないな、と思いながら、ミアは走り続けた。

 問題は、どこへ行くかだ。
 女がなにを思ってミアの手を引いているのか、それがわからなかった。

「ふぅー。お疲れー」
「む。お、お疲れ……」

 グラスを合わせてから、ミアは口をつけた。そして目を丸くする。

「甘い……」
「あれ? もしかしてオレンジジュース苦手だった?」
「い、いや。少しびっくりしただけ」

 日本に来て驚いたのは、食事がとんでもなく美味であることだ。
 なにを食べてもなにを飲んでも信じられないほどうまい。

(こんな薄暗い店だからもっと変なものが出てくると思ってた……果実を搾った飲み物はアナストウェルにもあったけど、こんなに味が濃いなんて……)

 ちびちびとミアはグラスに口をつける。

「ふへへ、気に入ったー? ならよかったー」

 向かいの席で笑っている女は、サヤカという名前らしい。

 もちろん顔見知りではない。サヤカはミアがトラブルに巻き込まれているのを見て、とっさに助けてくれたのである。

 サヤカは二十歳前後に見えたが、少し間延びした喋り方をするので、会話していると外見よりもずっと幼い印象を受けた。

 それとまばたきの間隔が驚くほど長く、会話の途中でも唐突に眠ってしまったのではないかと心配になることがある。

 そんなサヤカなのに、先ほどは実に俊敏な動きを見せたのが今になって不思議である。

 シュウからミアを逃がすように手を引き、街を走ったのだ。

 サヤカに手を引かれながらミアがやってきたのは、ごちゃごちゃとビルの建ち並ぶ地域の一角にある飲食店だった。

「とりあえず落ち着いて話しようよー」

 そんなことを言うサヤカに押し切られる形でミアはこの薄暗い店に連れ込まれたのだった。入る時にちらりと見えた看板には『Crescendo』と店名だけが書かれており、どんなものを扱う店なのかはわからなかった。

(……なんだか、飲食店というより酒場みたいな感じだ)

 十人も座れない狭いカウンターの奥には、様々な色の瓶が並んでいる。

 テーブル席も三つしかなく、そのうちの一つにミアとサヤカが座っている他は誰もいない。

 先ほど飲み物を持って来たマスターらしき男は、それがすむとすぐに奥のドアからどこかへ消えてしまった。

 客だけを残して店を空にしていいのだろうかというミアの疑問に気づいたのか、サヤカがマスターの消えたドアを指さしなら、

「ここ変な店でしょー? マスターがいなくなってもレジからお金盗まれないように監視カメラばっちりなんだよ。そんな警戒するならそもそも留守にするなって言うねー。でもねー、なんか落ち着くっていうかねー、なんか私に合ってるって言うかねー」

 そう言ってサヤカはふにゃっと笑った。

 ミアは黙ってオレンジジュースを舐めていた。こんな美味しい飲み物、一気飲みしてはもったいない。後でセシリーたちにも飲ませてあげたいとミアは密かに決意した。

「ねえ、ミアちゃんさー。私が来なかったら、あの男の人になにかしようとしたでしょ? 私そういうの見抜くの超鋭いよー。あのさー、もしかして、ポケットに入ってるのってスタンガン?」

 ミアは目を見開いた。

 スタンガンというのがなにかはわからなかったが、武器であることは会話の文脈から想像できる。つい先刻、ミアは確かにナイフを取りだそうと考えていた。シュウを脅かそうと思って殺気も放っていた。

 そのことにシュウ本人はへらへら笑っているばかりで気づきもしなかったが、側で見ていただけのサヤカはミアがなにをしようとしていたのか理解していたのである。

「あ、当たったー? へへ、私すごーい。……でもさー、やめなよそんなの。喧嘩なんてさ、損するだけだよ」

 サヤカの言葉にミアは耳が痛くなるようだった。

 確かに、ここはアナストウェルとは違うのだ。

 事実、ミアたちは昨日もスマホを買いに行っただけなのに暴力沙汰になってしまい、店から二度と来るなと言われたばかりなのである。

「わかった。サヤカの言う通りだ」
「そうそう。どうしてもの時はさ、逃げちゃえばいいんだよー。さっきみたいにさ。ぱぱーって走って逃げちゃえば、結構どうにかなるんだよー」

 ミアが素直にうなずくと、サヤカは嬉しそうに笑った。その顔を見て、ミアは忘れていたことを思い出した。

「そう言えば、礼がまだだった。助けてくれてありがとう」

 最初はミアだけでも乗り越えられる危機だと思っていたが、よくよく考えてみればサヤカがいなかったら昨日と同じ轍を踏んでいたかもしれないのだ。

「そんなお礼を言われるようなことじゃないよー」

 サヤカは慌てたように手を振る。

「今日のことだってさー、私が居なくてもミアちゃんならなんとか出来たわけじゃん? 私なんか余計なことしただけだよ。さっき言った通りさ、あんな男なんて走って逃げちゃえばなんてことないんだから。ミアちゃんも、今度からはそうしなよ?」
「忠告は覚えておく。だけど、今日のことは本当に感謝している」

 サヤカが居てくれてよかったとミアは心から感謝した。

「……本当に、お礼を言われると困っちゃうんだけどなー」

 ミアが顔を上げると、サヤカが複雑な顔をしていた。

 だが、水に映った月みたいにすぐにそんな表情は消えて、

「どうする、まだなにか飲む?」
「……いや、もうたくさん。これ以上飲んだらバチが当たると思う」

 ミアの言葉にサヤカは小さく笑う。

「あはは、バチなんか当たらないよー……でも、それが正解かな。ここには長居しないほうがいいからね」
「?」
「……マスター、お勘定」

 サヤカが声を上げると、奥の扉から二人の男が現われた。
 先ほどのマスターと、もう一人。

「あ」

 その男を見てミアは声を上げた。
 先ほど、駅前でミアとトラブルになりかけた男――シュウだった。

「やあ、ミアちゃん。やっぱり運命だね。わざわざ俺の店に来てくれるなんて」
「おまえの……店?」
「そうそうー。実はここ、俺の店なんだよね。本当は接待してあげたかったけど、帰っちゃうんだって? まあ仕方ないか。じゃあ、お会計ね。はい」

 白い紙がテーブルに置かれる。請求書だった。

「……七万円?」

 日本に来たばかりで経済感覚のないミアにも、それが異常な数字だということはわかる。だって、昨日買ったスマホの値段とそんなに変わりない。

 ジュース一杯飲んだだけなのに。

 ミアはシュウを睨みつけた。

「おい、私を騙そうとしているなら――」
「いやいや、正当な値段なんだよ、これ? テーブルにきちんとメニュー表が置いてあるけど、ミアちゃんの注文したオレンジジュースは飲み放題メニューに含まれてないからね。それに、サヤカちゃんの指名料とドリンク代。それに手繋ぎお散歩オプション……はい、合わせて七万円。これでも端数は値引きしてあるんだよ」
「シメーリョウ……?」

 聞き慣れない単語をミアがおうむ返しすると、男は堪えきれないようにぷっと吹き出した。

「実はね、ガールズバーなんだよ、ここ。だから、ちょっと高く思えるかもしれないけど、正当な金額なんだなー、これが」

 シュウはひらひらとスマホをかざしながら言う。
 それから自慢げにまくし立てた。

「駅前でさ、俺のお仕事にミアちゃんがつき合ってくれさえすればそれが一番よかったんだけど、警戒してたみたいだからサヤカちゃんに応援頼んだんだよね。ほら、不良が子犬を助ける系っていうか? サヤカちゃんに助けてもらってミアちゃん安心しちゃったでしょ? だからこんな薄暗いお店にも入っちゃうんだよねー。ビルの入り口には明らかにいけないマッサージの看板とかあったでしょ? ちょっとくらいおかしいと思っても、恩人に連れて来られたら断れないからねー。でも残念。実はその恩人も俺たちの仲間でしたってオチなわけ。それでサヤカちゃんはここのキャストさんなの。ミアちゃんはそのキャストさんとお散歩デートしてから同伴出勤したんで、その料金も加算されちゃいまーす。え? そんなサービス望んでない? いやいや、ほら最初のメールのやりとりでちゃんとミアちゃんからの同意ももらってるんだよね。こっちからの呼び出しに同意してるでしょ? ね?」

「……」

 ミアは沈黙を守った。

 それからシュウは続けて「テーブルの上にきちんとメニュー表が置いてあって、そこには料金が書いてあるからぼったくりではない」とか「『昨日はありがとう』ってメールに呼び出されて来たんだから同伴に同意したことになる」などと得意げにあれこれ言っていた。

 シュウは反論できるならやってみろ、とでもいうような顔をしていたが、ミアは一言も口をきかなかった。

 なぜなら、ミアは今説明されたことをさっぱり理解できていなかったからだ。

 ドヤ顔で説明し続けるシュウがなにを言っているのか、本当に、これっぽっちも、理解できなかったのである。

 ミアに理解できたのはただひとつ。

 この男が、ミアを罠にはめようとしていることだけだ。

(薄暗い目と、罠にかかった獲物をいたぶるのを心底楽しんでいる顔……こういうやつらはアナストウェルとほとんど変わりないな)

 シュウはまだなにか言い続けていたが、ミアはそれを遮って言う。

「悪いが、七万円も持っていない」
「あららー。そっか。じゃあ、今日はいくら持ってる? もし、手持ちが少なすぎるようだったらお仕事も紹介できるよ? ミアちゃん可愛いからねー。皿洗いなんかよりずっと稼げるお仕事があるんだよねー」

 にやにやと笑いながら近づいてくるシュウの目は、しかしさっぱり笑っていなかった。

 ミアはそんな表情に見覚えがあった。

 自分より弱い人間をとことんまで追い詰めて利用してやろうと思っている表情だ。

 きっとシュウが言う「お仕事」とやらも、ろくでもないものに違いない。

「……っ」

 がたっと椅子が鳴った。その音の方向に目をやると、サヤカが緊張した表情でミアのことを見つめていた。

 そんなサヤカの表情を見て、ミアはとっさにポケットに伸ばしかけていた手を止めた。

(そうだ……暴れるのはよくない。ここはアナストウェルじゃないんだ)

 ミアは思い直した。昨日だって、スマホを買いに行っただけなのに一騒動起こしてしまったばかりなのである。

 なんとかスマホを手に入れることは出来たが、その後のセシリーたちとの反省会は実に重苦しいものとなった。特にセシリーの落ち込みぶりは半端ではなかったのだ。

(きっと、私が暴れたらまたセシリーが落ち込む。それだけは避けねば)

 しかし、所持金は足りないし、男の提案する「お仕事」とやらをするつもりもない。

「ねえ、どうする、ミアちゃん?」

 男の問いに、ミアは答えられなかった。

 どうすることもできない――そんなミアの状況を知っていて、男はあえて返答を待っているのだ。

 獲物を袋小路に追い詰めて、ぶるぶる震える様を眺めるように。

 がたっ、と再び椅子が鳴った。

 居心地悪そうな顔をしたサヤカが、椅子を少しずつ動かしている音だった。

(あっ……)

 ミアはサヤカに先ほど言われたことを思い出した。

『あんな男なんて走って逃げちゃえばなんてことないんだから。ミアちゃんも、今度からはそうしなよ?』

 ようやく彼女の真意が理解できた。

 注意して見れば、サヤカは緊張して無意味に椅子を動かしているのではなかった。

 シュウたちにバレないように、少しずつミアの退路を確保しているのだ。

 ミアが走って逃げだそうとした時、邪魔にならないように。

 そして反対に、シュウたちがミアを追おうとすれば少しでも邪魔になるように。

 サヤカはそんな風な位置取りになるように、ほんの少しずつ椅子をずらしている。

(でも、サヤカはやつらの仲間のはずなのに?)

 ……それなのにミアを逃がそうとしている?

 今気がついたが、サヤカはテーブルにある白い粉の入った瓶を握りしめている。もしかしたら、ミアが逃げ出す隙をつくるために、あれを男たちの顔にかけるとかしてくれるつもりなのかもしれなかった。

(……サヤカはなにを考えている? 敵? それとも味方?)

 ミアには判断できなかった。

「さあ、ミアちゃん。いつまでも黙り込んでちゃわからないよ」

 楽しそうにミアの葛藤を見つめていたシュウが、ついに決断を迫ってきた。

 ミアは自分がどうすべきか、決めかねていた。

 暴れるべきか、逃げるべきか。
 サヤカは敵なのか、味方なのか――

「……私は」

 心が定まらないままミアが口を開きかけたその時、スマホが鳴った。

 ミアのスマホに、メールが入っていた。

 ――こんな時に、いったい誰が?

 ミアは不思議に思って、画面に目を落とした。

「ん? なに? 彼氏? まさか警察とかじゃないよね? まあ警察でもいいけど。なんども言うけど、うちは違法なお店じゃないから――」
「いや」

 ミアはシュウの言葉を遮った。

 真剣にスマホの画面に表示された文章を読んでから、ミアは顔を上げた。

「どちらでもない。七万円を払うあてができた」

 ミアの言葉にシュウは一瞬だけ意外そうな顔をしたあと、にっこりと笑った。

「お、マジ? どうしたの? やっぱり彼氏が払ってくれるって? それともパパ?」

 恋人などいないし、組織に育てられたミアには親もいない。

 この日本という異世界で彼女のことを知っているのは共に魔王を倒した仲間だけである。

 だが、メールの差出人は仲間たちからでもなかった。

「いや、知らない人からだ」
「は?」

 見ろ、とミアはスマホをシュウに向けてかざした。

 そこには、こんなタイトルのメールが表示されていた。

『どうか助けると思って一七○○万円の遺産を相続してください』

 シュウはその文章を読み、内容を理解すると口を開いた。

「ふざけんな!」

 どう見ても迷惑メールだった。

「ふざけてなんかない。私の支払いは七万円だったな。この一七○○万円でおつりがくるはずだ」

 ミアは本気だった。

 日本に来たばかりのミアにとっては、人生で二度目の迷惑メールである。しかも前回とは別の種類の。

 ミアは限りなく本気で、今回の騒動はこれで一件落着だと考えていた。

「えっと……一七○○万円を相続するためには近くのコンビニで……あい……えっと、あいちゅー……とにかく、なんとかカードを買ってこいとある」

 よくわからなかった。

 一七○○万円をもらうためには、どうやら面倒な手続きが必要らしい。ミアの手に負えるものではないかもしれない。

「そうだ」

 いいことを思いついた。

「やっぱりこの遺産、全部おまえにやる。メールごと転送してやるから、あとはおまえが話をつけろ」
「は?」

 シュウは理解が追いつかないようだった。痛みを堪えるように頭に手をおいたあと、ミアを睨みつけてくる。

 凄んでいるつもりらしいが、隙だらけだ。

 その隙を縫って、ミアは動いた。

 ミアが何をしたかもわからないまま、シュウはまくし立てた。

「あのねえ、だいたいミアちゃん俺のアドレス知らないでしょ? 言っておくけど、最初にミアちゃんにメールしたのはサヤカのアドレスだよ。じゃないと彼女からの営業に同意したって根拠がなくなっちゃうでしょ? 俺が駅前で見せたのはサヤカからそのメールを転送してもらっただけ。だからミアちゃんは――」

 ピロリン。
 スマホが鳴った。

 シュウは自分の胸元を見ている。

 胸ポケットに差し込まれたスマホが、メールの受信を知らせるメッセージをホーム画面に表示していた。

「おまえのアドレスなら知ってるぞ。隙だらけだったからな」

 ミアは元アサシンである。

 男の胸ポケットにある携帯を目にもとまらぬ速度で奪うことくらい朝飯前だ。

 そしてシュウがべらべらと喋っているうちに、ミアはテーブルの下でスマホを操作してメールアドレスを覚えたのだ。スマホ本体があればそのアドレスを確認する方法は知っている。

 なにせ、昨日、ショップ店員に教えてもらったばかりなのだ。

 暗証番号は、駅前でシュウにスマホを見せられた時に指の動きで確認していた。

 一番困難だったのは、慣れない手つきでメールアドレスを入力することだった。しかしそこは元アサシン、手先の器用さにはそれなりの自身があった。

 それらの作業が終わってから、ミアはシュウの胸ポケットにスマホを戻し、メールを転送したのだった。

 合計で十秒もかかっていないはずだった。

 ミアは胸を張った。

「スマホの操作なら、私に任せろ」

 虚栄である。

 昨日スマホを買ったばかりのミアは、ショップ店員に習ったこと以外はなにもできない。だが、戦場においてこの種のハッタリは有効なのだとミアは知っていた。

 事実、シュウは顔を青ざめさせていた。

「あんた、何者なんだよ」

 シュウはミアに携帯を盗られたことに気づかなかった。なぜ自分のアドレスがミアに知られているのかわからなかった。

 未知の怪物と遭遇した恐怖に怯えながらシュウが考えついたのは、ミアがハッキングかなにかをしてアドレスを不正に入手したのではないかということだった。

 まさか元アサシンが目にもとまらぬ速度で自分の携帯を奪い取り、ショップ店員から習ったばかりの知識をひけらかしていただけとは思いもよらない。

「私? 私は……ただの影だ」

 その言葉にシュウはおののいた。

 言葉の意味はわからないが、ミアが恐ろしい技術力と、ちょっと危ない思考回路を有していることをはっきり理解してしまったのだった。

 皮肉なことに、元アサシンよりもハッカーのほうが現代日本においては現実的な脅威と認識されているのだった。

「安心しろ。私はおまえに危害を加えるつもりはない」

 ミアはテーブルのメニュー表を手に取り、オレンジジュースの値段を見つけた。

「ほら、千二百円だ。私はこれしか飲んでないから、これ以上の金を払うつもりはないぞ」

 代金をテーブルに置くと、男はそれをじっと見ていた。

「……これで手打ちってわけか?」
「うん。そっちから喧嘩を売ってこなければ、私はなにもしない。約束しよう」

 しばらく迷ってから、男は「わかった」とうなずいた。

「俺のアドレスを消しておいてくれると助かるな。二度とあんたには関わりたくない」

 シュウの提案にミアはきっぱりと首を振った。

「無理」

 なぜなら、ミアはアドレスの消し方を知らないからだ。

 ミアにとってはアドレスとはいつの間にか消えているものだった。むしろ復活させ方を知っているなら金を払ってもいいと思っているほどだった。

 だが、シュウはまたも誤解した。

「そうか……いや、わかった。しばらく大人しくしておくよ……」

 がっくりとうなだれる男に背中を向けて、ミアは出口へ向かった。

 シュウも、マスターもミアを引き留めない。
 ミアはゆうゆうと出口に向かって歩き始め――

「……」

 ぴたり。
 ミアは出口まで来て、足を止めた。

「ねえ」

 くるりと振り向いて、ミアは手を伸ばす。

「なんでまだそこに座ってるの?」
「え?」

 ミアが呼びかけると、サヤカが驚いたような、怯えているような顔をした。

 彼女がなにを考えているか、ミアにはわかるような気がした。

「本当はわかってるんでしょ? そんな人たちと一緒にいたらダメ」

 サヤカは確かにミアを騙そうとした。シュウたちの仲間で、悪事の片棒を担いでいたのだ。

 だが、彼女はミアを逃がそうともしてくれていた。

 その行動は確かに矛盾していたが、理解できるものだった。

 だからミアは手を伸ばした。

「あなたの本当の居場所はここじゃないよ。あなたにふさわしい場所は――」

     *

 ミアは自分が生まれた日のことを思い出していた。

 アナストウェルに生まれ落ちた日のことではない。

 NO.4と呼ばれ、ハサンという暗殺組織に所属していた最後の日のことだ。

 彼女は、ハサンから失敗作と結論づけられた。

 彼女は影として育てられたくせに他人の顔色に敏感で、剣を向ける相手にも同情してしまうことがあった。

 感情は殺すものだと教わっていたのに、彼女にはどうしてもそれができなかったのだ。

「――残らず殺せ。それがおまえの任務だ」

 彼女の最後の任務は、実に単純なものだった。

 森に出現するモンスター討伐。

 駆け出しの頃にも似たような任務を与えられたことがある。

 ただその時はモンスターを一匹狩れば終わりだったが、今度は森中のモンスターを狩り尽くせという命令だった。

 それを聞いて、彼女はついにこの時がやってきたのだと思った。

 本当に組織が処分したいのは森のモンスターなどではない。

 失敗作と結論づけられたNO.4こそが、その処分対象なのだ。

 そのことを理解していたが、彼女は言われたとおりに一人で森の奥に足を踏み入れ、モンスターを狩り続けた。

 その理由は、ハサンへの忠誠心――だけではない。

 これまで、ずっと彼女には罪悪感があった。

 国のため、王家のためと言われても、とどのつまり彼女のやっていることは卑怯な暗殺だ。

 夜闇に乗じて無抵抗の人間に刃を突き立て、食事に毒を盛り、その命を奪う。

 ハサンという組織は間違っているのだと頭のどこかで思いながらも、彼女はそこから抜け出すことができなかった。罪悪感に苛まれながら、ただ手を汚し続けることしかできなかった。

 だって、どうすれば組織から抜け出すことができるかなんてわからない。
たとえ抜け出せたとしても、他の生き方なんて知らない。

 ならば、どれだけ間違っていたとしても、結局はそこが彼女の居場所だったというだけの話なのだろう。

 その報いがきっとこの森なのだと彼女は考えていた。

「ゲェェエエエエェッ!」

 断末魔の絶叫と仲間を呼ぶための咆哮と、彼女に向けられる殺意。

 まるで森いっぱいに死が満ちているようだった。

 モンスターの死体を見ながら、自分の未来について彼女は考えた。

 きっと墓穴なんて誰も掘ってくれないし、ましてや彼女の冥福を祈ってくれる者などいようはずもない。

 彼女は誰にも知られずここで死ぬ。それはもう決まっていることなのだ。
 そう、思っていたのに――

「こんなこと、もうしなくていいんだよ! あんな人たちの命令なんか聞いちゃダメ!」

 いつしか真剣な顔が目の前にあった。

「ハサンは、あなたの命を奪うためにこんな無茶な命令をしたんだよ!? あなただって、本当はわかってるんでしょ? そんな人たちと一緒にいたらダメ」

 セシリー・ヴィクトリア第三皇女。

 暗殺組織ハサンの全員が命を賭して守るべき存在。

 そのセシリーが、彼女に向けて手を差し伸べていた。

「あなたの本当の居場所はここじゃないよ」

 彼女は組織の命令に従い、この森で自分の命を差し出すのだと思っていた。

 だが、そうではなかった。

「仲間になって、ミア。あなたにふさわしい場所は私の隣だよ」

 NO.4は森のモンスターではなく、その白い手に自らの命を差し出したのだった。

 そして、ミアは生まれた。

 今度は組織のためではなく、セシリー・ヴィクトリアのために命を使おうと決意したのだ。

 今でもその日のことをはっきりと思い出せる。

 むせかえるようなモンスターの血の匂いと、鬱蒼とした真昼の森に差し込む木漏れ日に照らされた皇女の笑顔。

 セシリーの隣こそが、彼女の居場所だと言われた日のことを。

     *

「まあ、それは災難でしたね、ミア」
「じゃあ、僕たちからミアにぴゃぴゃーっとメールすればいいかな? お安いご用だよ! ……って、わ! ごめん! またセシリーに送っちゃった」
「リサは昨日、散々私と練習したじゃん……って、あ! 私もリサに送っちゃった!」

 あーでもないこーでもないと騒ぐこと数十分、なんとかミアは三人のメールアドレスを再び登録することに成功した。

 メール詐欺に遭いかけた翌日、結局スマホのデータを復元させることができなかったミアは、三人に直接会ってアドレスを聞いたのだった。

「助かった。一時はどうなることかと思った」

 ぎゅっとスマホを抱きしめるようにして、ミアは安堵の息を吐いた。

 そんなミアを安心させるように、セシリーは柔らかく笑いかけた。

「大丈夫だよ、ミア。リサなんて、電撃系の魔法でスマホを充電できるんじゃないか試そうとして――」
「わー! わー! なんでもない、なんでもないからね! ボクはなにもしてない!」

 慌ててセシリーの口を塞ぐリサを見て、ミアはマリーと揃って笑い声をあげた。

「ですが皆さん、気をつけてください」

 ひとしきり笑った後、マリーがぴんと指を立てた。その場の全員がぴたりと動きを止め、真剣な顔を彼女へと向ける。

 なぜなら、それが大事な話をする時のマリーの癖だと知っているからだ。強敵との戦闘前やダンジョンへ入る直前、パーティーメンバーにこうやって注意を促すのがマリーの大事な役割だった。

「先ほど入手した情報によると、『迷惑メール』なるものが日本にはびこっているようです。なんでもそのメールを受け取ってしまうと、多額の支払いを課せられてしまったり、携帯が壊れてしまったりするそうです」
「ええ~っ!? メールを受け取っただけで!? そんなことが本当にあるの?」

 驚きの声を上げるリサに、マリーは深刻な面持ちで頷いた。

「はい、恐らくは強力な呪術の類いではないかと……なんでも、不可解な英数字の羅列などのメールアドレスは特に怪しいということでしたので、知らないアドレスからのメールには注意すべきかと思います」
「怖いね……うん、じゃあ、みんな『迷惑メール』には気をつけようね!」

 セシリーの言葉に、他の三人はうんうんと頷いた。

 ミアも例外ではない。

 なにせ昨日メールで呼び出され、ぼったくりバーに連れ込まれた事件がまさにその『迷惑メール』によるものだと気づいていないのだ。

 ミアは恐るべき『迷惑メール』を警戒しなければならないと胸に刻み込んだが、いったいどうやって気をつければいいのか理解していなかった。それは他の三人も同じだったようで、「迷惑メールの対処法がわかったら最優先で情報共有しよう」という話になった。

 そして、そんな時、ピロリンとミアのスマホが鳴った。

 ミアが自分のスマホをポケットから取り出すと、新着メールを着信したという通知が表示されている。

「えっ……ミア、それ迷惑メールじゃないの? だって、私たち誰もメール送ってないよ?」

 セシリーが驚いた表情で指さした。

 その言葉に素早く反応したリサは右手にマナを集中させ、マリーは祈りのポーズを取った。二人とも、魔法で『迷惑メール』に対処しようとしてくれているのだ。

「待って。これは違う」

 ミアは、今にも爆発しそうなほどに魔力を高めて厳戒態勢をとっている二人を制した。

「これは『迷惑メール』じゃない。知ってる人からのメール」
「えぇ? だってミア、私たち以外に日本に知ってる人なんかいないでしょ? まさか、もう『迷惑メール』の幻術とかにかかって、そう思い込まされてるんじゃ……」

 セシリーは疑うようにミアを見つめている。

「違う。これは本当に昨日知り合った……友達になった人からのメール」

 ミアはセシリーの疑念を振り払うようにスマホを掲げて見せた。

 その画面には、ミアのおかげで悪い仲間から縁を切ることができたという、サヤカからのお礼の文章が表示されていた。

 そしてメールのタイトルは――『昨日はありがとね~』。

 それは奇しくも、昨日ミアの元に届いた迷惑メールのタイトルとそっくりそのまま同じものだった。

                             おしまい。

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