勇者ズム!SS3  著:和ヶ原聡司

   『笑顔の種の処』                       

「……ということで本日の配信いかがでしたでしょーかっ!」
「途中グダグダでお見苦しいところも見せてしまいましたが、何とか勝ててよかったー」
「本当ねー、エイムガバガバでやばかったよねー」
「安酒片手にやってる誰かさんがねー」
「やっとらんわー! 日本では順法精神旺盛なぴちぴちの十五歳じゃー! 言ったでしょーこれは近所のスパ銭で見つけたコーンポタージュコーラだっての!」
「どっちにしろヤバい飲み物じゃんコンポタとコーラ! コンポタコーラって! 後でちゃんと歯磨くのよ!」
「はぁいママー!」
「誰がママだ」
「えー、へっへっへ、今日の生配信、いかがれしたでしょーかぁー」
「舌回ってないじゃんもー本当は飲んでたんじゃないでしょうね!」
「次回の配信もまた何か楽しくゲームできたらいいなーって思ってまーす。それでは綾瀬マリーと!」
「今日はマリーちゃんのとこに久しぶりにお邪魔しました、姫川セリナでした!」
「えー、次回の配信はツイッターも告知した通り、次の水曜日を予定してまーす! そんじゃねおつちわわ~」
「おつちわわ~!」

 カメラに向かって手を振りながら、配信終了のキーをクリックする。
 姫川セリナは、綾瀬マリーのそのアクションを確認してから、大きく伸びをして後ろに倒れ込んだ。

「っはー終わった! 楽しかったー」

 マリーの部屋の、ピンク色の絨毯の長い毛足に、先ほどまで握っていたコントローラーが転がっている。

 コラボ配信と銘打ち、姫川セリナは、綾瀬マリーのチャンネルにお邪魔するという形で発売されたばかりの大人気FPSのプレイ実況を配信した。

 プレイ中は意識していなかったが、こうして配信が終わるとかなり力を入れてコントローラーを握っていたようで、少々指がこわばっている。

 なんとなく手を握ったり開いたりしていると、横からマリーが声をかけてきた。

「セリナっちかなり練習したでしょ。最初言ってたよりかなり動けてたじゃん」

 セリナはむくりと起き上がると、コントローラーを配信用PCの隣に置いて小さく頷く。

「配信やるゲームは初見プレイ動画じゃない限りは練習はするよ。でもやっぱ難しいFPSって難しい。つい集中して黙っちゃうし、やられた時も叫ぶよりなんかうっ、とかぐっ、とか言っちゃう。第一、キルレ? とかいうのの数字のヒドさがね……」
「その辺は慣れだよ。その内対戦相手への恨み節が出るようになるから」
「それはそれでどうなんだろ」
「セリナっちもリスナーさん大集合対戦とかやってみれば? スマッシュするブラザーズとかでやってるでしょ? 結構気楽だよ」
「あー、確かに。でもあれはあれで私逆に叫びっぱなしとかになっちゃうことあるからなー」
「今日のチャットでも、セリナっち単体でこういうの見てみたいとかあったじゃん。ごめん、ちょっとトイレ。コンポタコーラ飲みすぎた」
「飲み過ぎれるもの? それ」
「まだ冷蔵庫に入ってるから気になるならどうぞー」
「いや、遠慮しとく」
「卵焼き味のアイスが出る時代だよー何事もチャレンジチャレンジ」

 セリナの真剣なトーンを聞いたマリーはそれ以上ゲテモノコーラを勧めることはせず、大人しくトイレに向かった。

 そんなマリーの背を見送ってから、黄色いパッケージで『コーンポタージュ味コーラ』と書かれているテーブルの上のペットボトルを見て苦笑する。
そのときふと、まだ開きっぱなしだった配信窓が目に入った。

 すると、配信枠の時間がわずかに余っているのだろう。

 チャットがまだ動いており、リスナーの書き込みが更新され続けていた。
 その大半はマリーのチャンネルの終了時の定番挨拶である『おつちわわ』に類するものであったが、それ以外のコメントも今日の配信が概ね好評だったことを示しており、セリナはつい微笑んでしまう。

 だが、沢山のおつちわわに交じって唐突に書き込まれたとあるコメントを見た途端、セリナは凝固した。

『こいつら元勇者設定完全に忘れてるよなwww』

 そしてしばしの凝固の後、

「設定じゃないから!!」

 セリナは思わず叫び、

「うひゃああっ!?」

 その声に驚いたのか、トイレの方からマリーの悲鳴が呼応したのだった。

   ※

「ちょっとびっくりさせないでよ。何よどうしたん?」
「これ! このコメント見て!!」

 すっきりした顔で戻ってきたマリーは、セリナが指さすコメントを見てもさほど表情を動かさなかった。

「あーまぁ、反論はできない」
「反論はしないけど心の中ではできておこうよ!! 私達のVの者としてのスタートは、勇者としてこの日本の顔を俯かせている人達の心を明るくするところから始まってるんであって!」
「そんなこと言ってもさー。このコメントだって草生やしてるから別に悪意ってわけじゃないしー、今日の配信の閲覧数も結構行ってるじゃん。活動始めて結構経つけど配信アーカイブとか動画も堅実に再生数上がってってるしさ、大丈夫だよ、本来の目的は十分達成されてるから」
「それはそうだけど、でも!」

 マリーは宥めるようにそう言うが、セリナは納得していないようで、問題の配信閲覧者数の表示を指さす。

「……私達がアナストウェルで救った人の数に比べると、あまりに少ない!」
「いやまぁ、そりゃそうだけど」

 焦りに満ちたセリナの言葉に、マリーは苦笑する。

 セリナ達が今住む日本と、魔王討伐の末に救世した異世界アナストウェルとでは人々の持つ『情報』の量も質も密度も雲泥の差がある。

 アナストウェルであれば、セリナ達がどこかで魔物を倒し村なり町なりを救えば、その噂は半月もすれば大陸を横断するレベルで拡散したが、この日本ではセリナ達の存在も活動も、まだまだ周知されているとは言い難い。

 人々の笑顔を取り戻すという最初の目標を疑ったことは一度も無い。

 だが、それはそれとして、アナストウェル時代と今の『救済』の効率の差は、セリナにとっては無視できないものだった。

「でもさ、やっぱり環境の差は大きいよ。アナストウェルの人って、それこそ私達が駆け付けなかったら明日にでも死んじゃう、って状況の人が多かったじゃん。でも日本では、そこまでひどい環境にいる人ってあんまりいないじゃん。物事の辛さに優劣をつけようとは思わないけど、命の危機を救ってきたこれまでと比べちゃダメだと思う」
「う……それは……」
「アナストウェルでの旅だって、最初から勇者サマ勇者サマって崇められてきたわけじゃないし、時には訳の分かんない誤解されることとかもあったじゃん。何事も最初は地道に歩かなきゃいけないんだって」
「……うん、それは、そうなんだけど」

 残った配信窓を見ると、既に枠は終わったようでチャットの更新は停止しており、既に件のコメントも見えなくなっていた。

 マリーの言うことは最もなのだが、やはり当初より明らかにしてきた自分の出自を冗談でも疑われるということは、思いがけず重くセリナの心にのしかかっていた。

 人々を笑顔にする、その目的の達成に暗い影を落とすのではないか、そんな黒い思いが渦巻いてしまう。

「……まー、そーゆーマジメなの、セシリーのいいところだけどさ」

 肩を落としてしまったセリナを敢えて勇者の名で呼んだマリー・ロックハートは、セリナの肩を慰めるように抱き寄せて言った。

「暗い気持ちになったときは、飲んで忘れちゃお。コンポタコーラ」
「おい」

 抱き寄せられた方を、セリナは軽く弾き飛ばした。

「私この後バイトだから、あんま食べつけないもの勧めないでもらえる?」
「そっかーその設定も生きてたか―」
「マリー!」
「きしし」

 口をへの字にしたセリナが立ち上がるのを、マリーは苦笑しながら見上げた。

「オオゼキワンカップ開けるよりはいいっしょ?」
「いくらアナストウェルからの配信だって言ったって、お酒はそれこそダメでしょ。実際見るのは日本の人なのに、公称十五歳があんなことして大丈夫だったの?」
「爆乳音頭を生配信で歌って無事だったんだから大丈夫だよ。……ね、セシリー」
「……何」
「大丈夫。あんたのやってること間違ってないから。自信持って」
「……ん」
「でもあんな弁当配信やっておいてラーメン屋さんでまともにバイトできてるのか、それだけは心配あいたっ!」

 セリナの手刀が、マリーの脳天に落ちた。

「からかうのか慰めるのかどっちかにしてよ! メイン調理は店長が全部やるの! 私が触る食材はトッピングとか飲み物だけ! それならセーフでしょ!」
「いやセシリーのチャンネルではセーフはアウトだから」
「行ってきます!! アーカイブをアップする時間だけ後で教えてね!」

 玄関に放り出されていた学校のカバンを無造作に掴んで出て行こうとするセリナ。

「あ、ちょっとセシリー! これ! 本当悪くないから持ってって! 何なら動画のネタに使っていいから!」

 マリーは強引にセリナを引き留めると、開きかけのカバンの口に、コーンポタージュ味コーラをねじ込んだ。

「こんなの飲まないってもう……! まあいいや、それじゃ!」

 妙に時間を気にする様子のセリナは、黄色い液体が満たされたペットボトルをカバンに入れたまま足早に出て行ってしまった。

 乱暴に閉じられた玄関のドアを見ながら、マリーは小さく肩をすくめた。
 からかいすぎただろうか。

「アップ時間か。今日は撮れ高良かったから早めにアップしたいけど……あれ?」

 マリーはけだるげに部屋の時計を見上げると、時間は午後五時半を差していた。

「随分早くない? シフト、七時から十時とか言ってなかったっけ」

 マリーはしばし時計と玄関とで視線を往復させながら、軽く頭を掻いた。

「ちょっとしつこくからかいすぎたかな」

   ※

 薄暮の町を、セリナは足早に歩いてゆく。 
 最近手に入れたばかりのスマートフォンと周囲の街並みを見比べながら、セリナはやがてとある店の前にたどり着いた。

「あった、ここだ」

『麺や 真鴨』
 自分のチャンネル配信でリスナーから教えてもらったラーメン店で、豚肉のチャーシューではなくマガモのローストのラーメンがウリらしい。

 それなのに『真鴨』は『まがも』ではなく『まおう』と読むそうで、元勇者の自分になんて名前の店を教えてくれたのかと笑ってしまったものだった。

 マリーの家の近くにあると知っていたので、今日の配信が終わった後は必ず行こうと心に決めていたのだが、マリーの家を出るのが予定よりかなり早くなってしまった。

 もちろんマリーのからかいを真に受けたわけではない。

 元々、バイトに行く前に夕食をしっかり食べたいとは思っていたのだ。

 店長の好意でシフトに入れば賄い飯は必ずもらえるのだが、食べるのは仕事を上がった後なので、ディナータイムの忙しさに対応するには相応にエネルギーの補給が必要なのだ。

 高級感のある店構えにはためく暖簾は高校生の身の上では少し入るのに勇気が必要だったが、意を決して引き戸を開けると、

「いらっしゃいませー」

 出迎えてくれた店員は思いがけず自分と同年代の女性だった。
 女子高生か、女子大生のアルバイトなのだろうか。

 慣れた様子で案内されたカウンターに置かれたメニューは、スマホで調べた事前情報の通り、店構えに似合わず非常にリーズナブルだった。

 何も無ければ肉々しいものを食べたいところだが、さすがに仕事前なのでスタンダードなしょうゆラーメンを注文する。

 待っている間に周囲を見回すと、内装も落ち着いていると思いきや、店内は色々な宣伝文句で飾り立てられていた。

 おすすめや限定のメニューなどの中でも目を引いたのは、何かのテレビ番組で紹介された、という雑誌の切り抜きだった。

「へぇ……」
「それ、三年くらい前のやつなんですよ」

 セリナが雑誌の切り抜きを見ていたことに気づいたのか、ちょうど醤油ラーメンを運んで来た件の女性店員が声をかけてきた。

「それまでは潰れるか潰れないかの瀬戸際だったんですけど、雑誌効果って未だに凄いんだなって思いましたよ。おかげさまで三か月くらい目も回るような忙しさでした。あ、しょうゆラーメン、お待たせしました」
「あ、どうも」

 三年前のことを知っているということは、この店員は恐らく自分よりは年上なのだろう。

「ごゆっくりどうぞー」

 出されたしょうゆラーメンのくゆる湯気の香りを感じながら、とりあえず一口ずつ、スープと麺を口に入れる。

 淡くすっきりとした味わいのカツオだしスープによく絡む、コシの強すぎない麺。
 手堅いが丁寧な仕事が隅々に行き渡っていることが一口目で分かる、セリナ好みのラーメンだった。

 確かにドカ盛りだのとんこつ背油だのといったインパクト重視の類のラーメンに比べて、インパクトは薄いだろう。
 だが、ラーメンと言えばこれと言いたくなる定番感は、これまでセリナが食べたことの無いものだった。

「むー……うちの店のより美味しい」

 バイト先とうっかり比較してそんな感想が出てきてしまったが、一口食べるごとに、セリナの胃袋と心は満たされてゆく。

 極端に目立つわけではない。だが、手堅く丁寧な仕事を積み重ねてゆけば、こうして誰かの目に留まり、やがては多くの人を笑顔にできるかもしれない。

 生配信で疲れていたこともあり、あっという間にしょうゆラーメンを平らげてしまったセリナ。

「ごちそうさま」

 ディナータイムが近いことを意識してしまうのは飲食店アルバイターのサガである。

「またお越しくださいませー!」

 あの女性店員の声に背中を押されて店を出たとき、目の前をスーツ姿のサラリーマンの男性二人組が横切った。

「綾瀬マリーのチャンネル、新しい動画出てるぜ」
「あ、セリナコラボの生配信アーカイブじゃん」
「マジ最近俺、ズムの動画だけが生きがい」
「分かる。ただただ落ち着く」
「……」

『麺や真鴨』に入ったときよりも大分日は落ちており、すぐにサラリーマン二人組も雑踏に紛れて見えなくなってしまった。
 セリナは、むずむずする胸の奥の思いを必死でこらえながら、スマートフォンを取り出してマリーの番号にかける。

「もしもし? ちょっとマリー! アーカイブアップする時間教えてって言ったじゃん! 何でもうアップされてるのよー?」

 電話の向こうから少し殊勝な様子で謝ってくるマリーの声を聴きながら、セリナは軽い足取りでアルバイト先へと歩みを進めた。

「もーいいよ。バイト始める前で良かった。でさ、次もしコラボしたらちょっとやってみたいゲームがあってね……」

 確実に伝わっている。
 自分の力が、人々の笑顔になっている。
 セリナは、カバンにねじ込まれたコーンポタージュ味コーラという面白げなペットボトルを手に取る。

「他に面白い飲み物、なんか無いの? 『利き謎ドリンク対決』とかどうかな」

 そのことを直接見た勇者だった少女は、いつの間にか人々から笑顔を返してもらっていた。

 リスナーから教えてもらった美味しいしょうゆラーメンの香りを、親友からもらったコーンポタージュ味コーラの香りで上書きしてしまいながら、セリナはまず、今日のアルバイトを頑張ろうと、そう心に決めたのだった。

                                   ― 了 ―
 

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