勇者ズム!SS1 著:御影瑛路

   『元勇者、スマホを買う。』


「スマホですか?」

 聞き慣れない単語に、マリー・ロックハートは眉を寄せる。

「うん。ほら、日本ではスマホってもの無しでは生活できないって、レニエが言ってたじゃない?」
「ああ、そんな単語を口にしていたかもしれません」
「それがあの小さな箱だよ! 道ばたでも、店の中でも、みんながずっとうつむいて見てるあの箱はスマホってのに違いないって!」

 ほとんどの日本人が食い入るように見つめている小さな箱の正体は、日本滞在二日目のセシリー・ヴィクトリアたちにとって不気味であり、最大の謎だった。その答えをセシリーは正しく導き出したと言える。

 セシリーたちは、池袋東口の駅前にあるモスドナルドにいた。モスドナルドという飲食店については、セシリーたちを日本に転送したレニエが、日本の基礎知識だとして教えていた。レニエ曰く、モスドナルドのハンバーガーは、ラーメンと言う食べ物と並ぶ、日本人の国民食なのだそうだ。

 レニエは日本の情報が集約されていると、日本の常識を得る上で、5ちゃんねるという掲示板を最も信頼していた。そこで得た情報によると、フライドポテトのLサイズがセールをしているときには、買い占めんばかりに買わなければ非国民と言われ、そうしなければ敵国の人間だと疑われることもあるとのことだった。

 もちろんその情報は間違っているが、メインの情報源がよりにもよってなんJであるレニエの情報にはそもそも過ちが多い。例えばセシリーたちは、日本で最も位の高い職業はアイドル声優だと聞いていた。あらゆる賛美と尊敬を集める代わりに、異性との交際が発覚すると全国民に叩かれ、そうでなくても国民からあらゆる監視を受けている。その様は、アナストウェルの神職に近いものだと分析されていた。

 とにかくそういうこともあり、四人が座るテーブルの上には、二十個のLサイズポテトが置かれている。

「けれどセシリーさん……。生活必需品というには、あの箱を覗いている人々の目はおかしいです。たまにあの箱を眺め、ニヤリと笑っている人は見ますが……人を幸福にするアイテムとは到底思えません。明らかに呪いのアイテムの類いです」

 マリーは深刻な表情で唇を噛む。

「アレを手にしている人の顔を見て思い出したアイテムがあります。教会で保管している第一級災厄物ブラックダイヤモンドです。その美しさ故に、手にした者は誰にも奪われたくないと疑心暗鬼になり、身内さえ殺してしまい破滅する、そんな呪いのアイテムです。ブラックダイヤモンドに魅了された者の目が、あの箱を覗き見る者の目と似ています。何か良からぬ欲望をあの箱に人々は抱いています」

 マリーは祈るように、両手を胸の前で組む。

「セシリーさんも昨日、言っていましたよね? 死んだ目をしている日本人があまりに多すぎる。日本人はおそらく、魔王に似た何者かによって支配されている。だとすればあのアイテムは、この地の支配者によって作られた魔力的なアイテムではないかと――」
「どうしよ、フライドポテトって信じられないくらいうまいんだけど。止まらないよ! ってか、これ塩だよね? こんなに塩を使えるなんて豪華すぎる!」
「ちょっと! ちゃんと聞いてるんですか、セシリーさん!」

 マリーの大きく開いた口の中に、ミア・ハサンがハンバーガーを突っ込む。マリーは目を見開いたまま咀嚼し、「……おいしい……」と頬を緩ませる。

「発想が飛躍しすぎてる」
「そうだね、ミア。ボクもそう思う! 大丈夫だよマリー! 実はボク、昨日あの箱に触ったんだけど、魔力的なものは全然感じられなかったんだ!」

 リサ・ルーステスの言葉に、ミアも続く。

「スマホは通信できるアイテムだとレニエから聞いていた。アレに向かって話しているのを私たちは何度か目にしている。セシリーの言うとおり、スマホなるものである可能性が高い」

 ミアはナイフでポテトを刺し、慣れた手つきでそれをそのまま口に運ぶ。
 セシリーはそんなミアを見て、言う。

「ミア、ずっと顔が赤いけど、大丈夫?」
「か、顔を出すのにまだ慣れてなくて……」
「さっき、男の人の集団に、『かわいい』って言われまくってたね」
「い、意味が分からない。アサシンであり、影である私がかわいいなどど……」
「ま、とにかく、あの箱がスマホで決まりだね」

 セシリーは顔を上げた全員の顔を見てから言う。

「スマホを買おう! 私たちは日本の文化を知らないと。そのためには日本人の誰もが手にしているスマホは絶対必要でしょ! 違う?」
 リサとミアは頷く。
「うん。セシリーの言うとおり!」
「異存ないです」


 二十個のLポテトをちゃんと完食したセシリーたちは、スマホを求めて街中に出た。セシリーたちは初日に買ったユニクロの服装に身を包み、街中を歩く。

 池袋の駅前だ。平日の昼間だがそれでも人は溢れかえっている。これほどの人混みはアナストウェルではあり得ない状況であり、それ故戸惑い、全員スムーズに歩けることはできなかった。ミアに至っては、この人混みに紛れてセシリーたちに襲いかかる相手がいるかも分からないと、パーカーのポケットに忍ばせた毒を塗りつけたナイフを握りしめ目を血走らせていた。

「改めて見ると、スマホが売っている店はいっぱいありますね」
「種類も色の種類もいっぱいあるみたい! 選び放題だ! わふー!」
「でも、どれにしたらいいか分からないね。これまでの経験から日本の店員は親切だって分かってるから、ちゃんと聞けば大丈夫だと思うけど……。……とりあえずこの店で聞いてみようか?」

 セシリーたちは目の前にあった、ビックリカメラなる家電量販店に立ち寄った。すぐにセシリーは店員に話しかける。

「あの、スマホが欲しいんですが、私たち全然スマホのことを知らないんです。それでも大丈夫ですか?」
 店員はにこりと笑う。
「はい。もちろんです。詳しく説明しますよ。スマホが分からないとすると……もしかしてガラケーですか?」
 セシリーは顔をしかめ、マリーと顔を合わせる。
「ガラケーって? 翻訳しても該当する単語がないけど、何のことだろう?」
「そうですね……。文脈からして、スマホをこれまで持っていない人を指す言葉ではないでしょうか?」
「日本人でもスマホを手にできない階級の人がいるのかな? ……もしかして日本にも奴隷階級があって、そういう人は手にできないってこと? それとも奴隷そのものを指す単語がガラケーだったりする?」

 妙なタイミングで戸惑っているセシリーたちに、店員はわずかに怪訝そうな色を見せる。セシリーはマズイと思い、とりあえず話を合わせることにする。

「私たちはガラケーに見えますか?」
「え? ……ちょっとよく分からないですが……。ええと、スマホは使ったことがないのですよね? ならガラケーですよね?」
「……そうですか。やっぱりそういうことなんですかね?」

 スマホを手にできない人種がいる。どうやらそれは間違いないようだと、セシリーは確信した。
「……ええと……」微妙に噛み合わないことに戸惑いながらも、店員は何とか話を続けようとする。「……ああ、そういえばちょっとした話を思い出したのですけど、私が以前持っていたガラケーですけど、まったく役に立たなかったのですよ。やっぱりスマホですね。ガラケーはダメです」

 店員の言葉に、またマリーとセシリー顔を見合わせる。

「所有していたという表現から伺うに、やはりガラケーは奴隷のようなもので間違いなさそうですね」
「そうみたい。日本には差別階級はないって聞いていたのに、ちょっとガッカリだなあ。……とりあえず疑われないためにも会話を合わせないと」
 セシリーは作り笑顔を浮かべて尋ねる。
「どう役に立たなかったんですか?」
「そもそも買ったばかりなのに話がまずできなかったんですよ!」
 きっと『ガラケー』さんは、新しいご主人に買われたばかりで、不安で口を開けなかったのだろう。セシリーはガラケーなる奴隷の心情を慮る。
「叩いても全然直らなかったですね」
「叩く!」
「……? ええ、いや、私も叩いても無駄だって分かっていますけど、何となく叩くじゃないですか」
「なんとなく叩く!!」

 奴隷への暴力。
 アナストウェルでは良くあることであった。しかし良くあると言っても、許せることではない。皇女であるセシリーは、幾度となく奴隷制度の廃止を王である父に訴えてきたが、現実的ではないとはねのけられてきた。
(それを、殴るだなんて! しかも無意味と知りながら!)
 正義感の強い元勇者に、怒りがわき上がる。

「いくら直そうとしても直らなかったので、買ったばかりだったんですが、二束三文で売っちゃいましたね。そのガラケー」
「ガラケーを、売った? ……やっぱり日本でも、人身売買は行われて……うう……」
「ああ……人間は神の元に平等であるのに……!」

 マリーも嘆き、首を振る。
 セシリーはもはやこの店員に敵意を抱いていた。にこやかに虐待を語る人の面をかぶった鬼畜。悪意さえなく罪を犯す自覚なき悪魔。経験上知っていた。こういった輩が犯した罪の数は、一つや二つではない。
 セシリーは今すぐにでも拳を振り上げそうになるのを我慢し、店員を睨み付ける。

「他のガラケーにひどいことをしていないだろうな?」

 なぜかすごんでいる美少女の様子に目を丸くしながら、店員は素直に答えた。

「酷いことですか……? あー、これは酷いことになるのですかね? 使い古したガラケーは、中身の金を取り出すために解体業者に売りました。あんな汚いガラケーでも、一応価値があるんですね」

 ――使い古した汚い奴隷。
 ――中身を取り出す。
 ――解体業者。
 セシリーは肩を震わせ、叫んだ。

「ゲスの極みめ!!!!!!!!」

 セシリーたちはビックリカメラ店内で暴れ回った。
 日本にはマナがほとんどないため力は制限されている。とはいえ、魔王を倒すほどの勇者パーティーだ。一般人にその暴挙を止められるはずはなく、ビックリカメラ一階は破壊の限りを尽くされた。

 三日後に『ガラケー』の正しい意味を知ったセシリーたちは、この店に謝罪に訪れているが、「ガラケーが奴隷の意味だと思った」という荒唐無稽な言い訳が通じるわけもない。よくもそんな凶悪な面が取れたな、と思うほど悪人面のセシリーたちの写真は、今でもビックリカメラの全店舗のバックヤードに貼られ、ブラックリスト人物として伝説になっている。


「ああもう許せない! 日本人はみんな優しい人ばかりだと思っていたのに!」
 まだ怒りが治まらないセシリーの頭を、リサはポンポンと叩く。
「どうどうだよ、セシリー。きっとたまたまだよ」
「リサ。……そうだよね、たまたまだよね。うん、気を取り直して別の店でスマホを買おう」

 次に入ったのはカマダ電機。今度はつつがなくやり取りをし、店員と相談した末、一番ユーザー数が多いdocomoのiPhoneが無難だという結論も出た。

「それでは全員分、iPhoneをご購入ということでよろしいですね? ……あの失礼ですが、お客様たちは全員未成年に見えるのですが、そうなると親権者様の本人確認書類等が必要になるのですが」
「大丈夫です! 私たちは全員成人です!」

 アナストウェルでは成人扱いになるのは十四歳だったので、そう答えた。セシリーたちはまだ日本での成人が二十歳だと知らなかったのだ。
 リサなどは明らかに未成年にしか見えないため、店員に疑いの色が浮かんでいたが、立場上本人たちが言うのであればそういう体で話を進めるしかない。

「……では、身分を証明する物はお持ちでしょうか?」
「身分を証明する物……ですか?」
 セシリーは腕を組み、仲間たちと顔を見合わせる。
「身分を証明するものなんて、何かあるかな?」
「聖剣アークフロッティがあれば、セシリーの身分は証明できると思いますが、こちらの世界には持って来られないですからね。私もせいぜい僧侶と証明する物は、十字架程度しか……」
「ボクに任せて!」
 リサが声を張り上げる。
「どうするの?」
「ふふん、マナがほとんどないって言っても、リサは大魔法使いだからね! こっちでも少しぐらいなら魔法は使えるよ!」
「確かに魔法を見せられれば、魔法使いとしての証明には十分ですね!」

 マリーは同意する。そもそもこの四人、身分証明書を理解していなかった。

「店員さん! これを見てください!」

 リサは笑顔で指を立てる。店員は疑問に思いながらも言われるがまま、リサの指を見る。

「えいや」
 リサの指先にライターで付けたような、小さい火が浮かぶ。
「ふふんっ! これで分かってもらえました!」
「わ、すごい手品ですね!」
 店員が笑顔で拍手をする。
「え? 手品……?」
「ええ、どういう種ですか?」
「ふ、普通の人は、こんな簡単に炎は出せないよね!」
「リサ、あれ」

 ミアがリサの肩を叩き、店の外を指さす。そこにはライターの火でタバコを付ける若い男の姿があった。

「あ、あんな簡単に炎が……。エイランド王国奇蹟の大魔導士と呼ばれたボクの魔法は、日本では手品……」

 普段何があってもヘラヘラしているリサだったが、これには魔法使いというアイデンティティが傷付いたのか、愕然とし膝を突く。
 そのリサの様子に、ミアは小さく息を吐き、言う。

「仕方ない。私が身分を証明する」
「ミアってば、どうするつもり?」
「要はアサシンである証明を見せればいい。素早く背後を取って、首にナイフを突き付ければ、その動きから私がアサシンであることは分かってもらえる」
「なるほど、頭いいねえミア」

 忠誠を誓っているセシリーに言われ、まんざらでもない表情を浮かべるミア。

「疑われないように、全力で行く」

 ミアは店員に指をさす。

「とくと見よ!」

 口にした瞬間、ミアは視認できない速度で背後を取り、店員の首にナイフを押し当てる。時間差あり、事態を理解した店員は、「ひぃ!」と悲鳴を上げる。

 ミアは成功を確信し、決めゼリフを言った。

「さあ、iPhoneをよこせ」

 こうしてセシリーたちは、ビックリカメラのみならず、カマダ電機のブラックリスト入りを果たした。また当然ながら、強盗容疑で警察のお世話になることになった。

 身分証明書がなく、不法滞在扱いになるセシリーたちは、警察から逃げ出すのに最終的に催眠魔法に頼るしかなかった。催眠魔法はアナストウェルでは簡単な魔法ではないのだが、魔法に耐性のない日本人は、おもしろいくらい簡単に掛かった。

 身分証明書を持てないセシリーたちは、スマホを入手するのにも結局、催眠魔法を使うしかなかった。

 元勇者パーティーであり、正義感の強い一同であるだけに罪悪感はあったが、慣れというのは怖いもので、四人は徐々に催眠魔法への抵抗がなくなってくることになる。

 スマホを手にし、VTuberの存在をセシリーたちが知るのは、それから数日後の話だ。


                             おしまい。

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