「考えなくてもいい」がすでに特権
昨年の春頃だろうか?この動画がソーシャルメディアのTLに流れてきたのは。
これは何も海外の、人種の問題だけに限らない。
「日本には人種差別なんてない」
「男女差別とか、いまどきある?」
「教育格差?自己責任でしょ」
etc, etc...
「自分が特に優遇されているとは思わないから」
「自分の周囲で、それで困っているひとを見たことがないから」
だからって、問題自体がないわけじゃない。
自分からは見えないだけ。
「それについて考えなくてもいい」こと自体、
自分が恵まれているという証なのだ。
例えばわたしは、毎日、飲み水について考えていない。
だって、水道をひねれば出てくるってわかっているから。
それとおんなじ。
動画のなか、スタートラインから1歩も動けないまま顔を曇らせていくあの学生たちに何の責任もないように、
特権を預かっている側にだって、確かにある意味、責任はない。
有無を言わさず初めから与えられていたものについて「特権だ」「それは君がラッキーだからだ」と言われて面白くないし、気まずいし、反論したくもなるよね。それだって確かに、自分で選んだわけじゃないもの。
でも、せめて後ろを振り返るくらいの行動をして欲しい。
自分に見えていない世界があることを想像して欲しい。
自分に与えられた特権を、社会のために使って欲しい。
全部使え、なんて言わない。
完璧にしろ、なんて言わない。
ただ、それくらいしたっていいんじゃないの?と思うだけ。
そして、
わたしも場面場面によっては特権側にいることを思い出す。
ときどき後ろを振り返り、
思いを馳せ、
自分にできることを差し出せる人間でありたいんだよ。
Thank you for reading!