わたし、ずっときれいだった
家族が寝静まったあとのリビングで、なんとなくiPadに保存されている写真を見始めた。
夫のiPhoneと同期されているから、わたしや子どもがふたりで写っている写真が多い。今日から昨日、昨日からそのまた前の、わたしたちを遡る。
2歳半の子どもが、だんだんと小さくなっていく横にいるわたしは、その都度、写真用の笑顔を作っていたり、ふと気の抜けた横顔を撮られていたり、女心的にぎゃーと思う顔もたくさんあったり。
でも、わたし、ずっときれいだった。
今と比べて”more”という意味ではなく、”always”という意味で。ずっときれいだったのだ。
そのときどきは、もちろんそんなこと思っていない。撮られた写真を見て、わー、小皺増えたなとか、なんかイマイチだなとか思っていたはずなのだ。
でも、2-3年後のいま見た当時のわたしは、全部きれいだった。どんなに変な顔をしていても。どんなに疲れた顔をしていても。
ちゃんと一生懸命生きてたし、なんというか、我ながら「何があってもしあわせを選ぶぜよ」という意志の力を感じる。実際しあわせだったけど。初めての子育てで、それなりに力が入っていたんだろう。
なんだよ、わたしきれいだったじゃん、と思うと鼻の奥がツンとした。いまのわたしも2年後の自分が見たらまた「きれいじゃん」と思うのだろう。
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