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失敗やミスで心を腐らせないための合言葉は……

何かしら行動していれば、大小にかかわらず失敗はつきものです。むしろ、失敗のないアクションなんてものは、ほとんどの場合においてないのでは。失敗しなかったのは、事前に講じていた策がうまく機能したか、あるいは失敗を予見しきれるものだったか、それとも失敗するほどの複雑さがなかったか。

未知のことに挑戦する際には、事前に策を講じていても予見しきれる範囲には限りがあり、その予想が及ばなかった場合に失敗が起きたりするものです。ほかにも思い込みから失敗に至るケースもありますが、それはそもそもとして偏った視野が要因ですから、失敗して当然ともいえます。

どういった因果関係があろうと、あるいはどういった経緯があろうと、失敗はなるべく避けたいのが本音でしょう。どんな内容の失敗であれ、失敗にネガティブなイメージを持っていれば、失敗した自分を否定的にとらえてしまうからです。

「自分はなんてダメなやつなんだろう」

自分の弱さや不甲斐なさに打ちのめされて、自分の価値を信じられなくなる。自分に価値があるとは思えなくなる。そうして、自己否定的な自責の念に駆られる、なんてことも往々にしてあるのではないでしょうか。

ですが、自分を否定する言葉は《心を腐らせる呪文》です。

何があっても、心を腐らせるようなことだけは避けたほうがいい。それも全力で。心が腐れば、自分のことだけでなく、すべてに対して否定的になりやすいからです。その否定が建設的なものであればいいですが、心が腐ったときの否定は建設的とは程遠いもの。自暴自棄になり、自覚的かどうかは別にして破壊や破滅を望む心が生まれます。

「もう、自分なんてどうでもいい」

これは心が腐っている状態です。こうなれば、自分の未来のみならず、他者との関係や今ある環境まで無価値に感じるようになります。それもこれも希望を見失ってしまうからです。

絶望は、そうした人のすぐそばにいるもの。

希望を持てているうちは、あるいは、希望を見つけられる心があるうちは、本当の絶望は寄ってきません。光が差す場所に陰がないのと同じで。

失敗をポジティブに受け止められれば、心が腐ることはありません。

そうはいっても、なるべく失敗したくないという気持ちはなかなか変えられないもの。その背景には、個人的な欲求のほかに社会通念的なものもあるでしょう。

「恥ずかしい思いをしたくない」
「怒られたくない」
こうした思いは、「自分に価値がないと思いたくない」という自己肯定への欲求があるからです。それだけでなく、世の中が失敗に不寛容であることも、失敗を避けたいと考える直接的な理由の一つになっているのではないでしょうか。

とはいえ、自分で自分の失敗を認めて受け容れられないうちは、「失敗は恥ずかしいもの」という価値観は変えられませんし、「失敗への寛容さ」が世の中に根付くこともありません。こうした価値観は、一人ひとりが作り出したものであり、結果、その集合知として社会に定着したものだからです。

じゃあ、どうやって自分で自分の失敗を受け入れていけばいいのか。ポジティブに失敗を受け入れろと言われても、その方法がわからなければ、受け入れようがないという人もいるでしょう。

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