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映画「戦場のピアニスト」を観て

こんにちは。kazです。今回は映画「戦場のピアニスト」を観たので、記事にしていこうと思います。

ナチスドイツ侵攻下のポーランドで生きた実在のユダヤ人ピアニストであるウワディスワフ・シュピルマンの自伝の映画化である。監督のポランスキー自身も、パリでポーランド人の両親のもとに生まれ、収容所で母親を亡くし、各地を放浪して生き延びたという体験を持っており、この作品を彼が作ることはいわば運命のようなものだと思えてくる。

物語は1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻する時期を指している。その当時、ワルシャワの放送局で演奏していたピアニストのシュピルマンは、ユダヤ人としてゲットー(ゲットーとは、ユダヤ人が強制的住まわされた居住区を意味する)に移住させられる。

やがて何十万ものユダヤ人が強制収容所送りとなる中、奇跡的に知人の助けにより難を逃れたシュピルマンは、必死に身を隠して生き延びることだけを考えていた。しかしある夜、ついにひとりのドイツ人将校に見つかってしまう。

2時間半という長編作品ではあり、非常に見応えのある内容で、飽きずに最後まで見ることができました。戦争の無残さに思わず目を伏せたくなるようなシーンも多々ありました。過去にあった現実を忠実に再現されていました。

これが本当に現実にあったのかと疑いたくもなりますが、事実です。世界でもおそらくそうでしょうが、日本の歴史の教科書には必ずこれらの事実が記載されています。

アウシュヴィッツ収容所、今でも覚えています。ドイツ軍がユダヤ人を迫害し、ポーランド南部にあるこの収容所で絞首刑や銃殺、餓死、そして毒ガスによる殺人が行われました。

なぜ、ユダヤ人はこれほどまでに迫害されなければならなかったのでしょうか。いろいろ調べるとやはり宗教的要因が深く関係していることを改めて学びました。

イエス・キリストを教祖とするキリスト教を冒涜する存在がユダヤ人なのだと。人々が神として崇拝しているキリストを、救世主と認めなかったのが、原因みたいです。そこから、ユダヤ人の他人種や他国の人間から蔑まれる時代が始まります。

迫害が一層激化したのは、みなさんもご存知のことと思いますが、国民社会主義ドイツ労働者党、そうナチス党首アドルフ・ヒトラーによる国家政策です。彼は民の持つ国力を強固なものとするため、明確な敵としてユダヤ人を敵として定め、国をあげて迫害しようとしました。

さらに1938年11月、パリのドイツ大使館で、ユダヤ人青年によるドイツ人射殺事件がありました。この事件を契機に、一層その迫害は色濃くなります。

彼らユダヤ人は不当に迫害され続け、命を奪われてきました。改めて知ると本当に残酷な史実だと思い知らされます。

この物語を記事にするにあたり、どうしてもユダヤ人の迫害の歴史について書く必要があったので書かせていただきました。話を映画に戻します。

↓下の写真が、作中で印象的だったシーンです。冒頭で、主人公のシュピルマンが逃亡生活を続けていて、ある日ドイツ人将校と出会し、ピアノを弾けと命令させて弾いているシーンです。

すごく感動的でした。さも命でピアノを弾いているような、入魂された演奏の一つ一つに凄みを感じました。将校が後に彼に手を差し伸べるようになるのも、きっと彼の演奏が将校の魂を揺さぶったからではないかと思います。

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彼のなんとしてでも生き抜こうとする精神力も非常に見所だと思います。とても勉強になる作品だと思います。

これで終わりたいと思います。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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