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【NML】Vol.2_水野修平さん (ジャズピアニスト・作編曲家)

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撮影協力:豊田市 JAZZ ROOM KEYBOARD

水野 修平(みずの しゅうへい)
刈谷生まれ。大学在学中に原朋直(Tp)大坂昌彦(Ds)クインテットをはじめ多くのセッション、レコーディングに参加。2001年にはC.U.G Jazz Orchestraにてアメリカ西海岸ツアーを敢行し、作編曲家として高い評価を得る。2005年にソロピアノアルバム「レインボウタッチ」、2015年に「名前はまだないvol.1,2」をリリース。
http://mizunoshuhei.com/
水野修平ビッグバンドInstagram&Twitter @s_m_big_band

ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、名古屋音楽大学ジャズ科非常勤講師…多くの肩書きを持つ水野修平さん。どのようにしてピアノと出会い、その才能を開花させていったのか?多才な水野さんは、誰よりも「自分の頭で考え行動すること」を徹底しているようです。

独学で身につけた技術で
音楽一筋の毎日を過ごす

–こんにちは、初めまして。本日は豊田市にある老舗ジャズクラブ「キーボード」さんに場所をお借りしてのインタビューです。よろしくお願いいたします!
水野さん
よろしくお願いします。

 –まずは水野さんのプロフィールからお伺いしてもよいでしょうか?
水野さん
ジャズピアノと作編曲をしています。名古屋音楽大学ジャズ科の非常勤講師もしています。趣味はハムスターの飼育と、様々な楽器を集めて音を出すことですね。 

–(写真を見せてもらい)ジャンガリアンハムスターですね…かわいい!ちょっと意外でしたが、お子さんが世話をしなくなったからと聞いて納得しました(笑)水野さん自身は、どんなお子さんでしたか?
水野さん
運動音痴で工作、電気工作が好きでした。吹奏楽部に入っていましたがクラブ自体が弱小だったので、演奏会やコンクールの度に楽器を変えることも暗黙のうちに許されてました。また、音楽室にあるスコアを読んだり、ピアノを弾いたり、野球部の応援曲をアレンジしたりとか。合唱コンクールの時は、長渕剛さんの「乾杯」を混声四部+ギターにアレンジして、私はピアノを弾きました。

 –す、すごい!そんな中でジャズに出会い、ジャズピアノにハマっていったのはなぜですか?
水野さん
小さい頃は色々と習い事をしていて、どれも続かなかったんですけどヤマハ音楽教室だけは楽しく通えて。中学に入学した頃、ボブ・ジェームスというフュージョンのアーティストを聴いてかっこいいなと思ったので、それからジャズピアノを独学で勉強し始めました。高校生になっても、進学校だったのに勉強せずに落ちこぼれで、ピアノばっかり弾いてましたね。

 –具体的にはどうやって勉強したんですか?
水野さん
教則本や楽譜は見ずに、レコードやCDをたくさん聴きました。片っ端から耳コピーして楽譜に書き、弾けるようになるまで練習しました。当時からバド・パウエル、チャーリー・パーカーはよく聴いていましたね。市販されてるジャズの楽譜って、実は正確じゃないものも多くて。だから、先に音源を聴いて後で楽譜を見て、ここは違うからこうしたほうがいいなとか自分で考えながら学びました。

 –18歳の時にサックスプレイヤーの小濱安浩さんに出会って、ライブ活動を本格的に始めたそうですね。小濱さんとの出会ったきっかけは何ですか?
水野さん
覚王山のスターアイズっていうライブハウスに、小濱さんのライブを観に行ったんです。この人はすごいなって思ってたら、「一緒にやってみる?」って声をかけられて。その場で少し弾いてみせたら「いいじゃん」って言ってくれて。「一緒にライブしようよ」ってなって、その後は小濱さんとはもちろん、いろんな人とライブ活動をするようになりました。

 –大学生の間は、主にそういった活動をされていたんですか?
水野さん
そうですね。二十歳の頃には、初めてレコーディングも経験しました。今とは違ってCD制作となったらきちんとしたスタジオで音を録ってレコード会社と契約してって手順を踏まないといけなくて。気軽に出せるものじゃなかったから、かなりうれしかったですね。 

–大学卒業後は就職せずに音楽の道へ進んだのですか?
水野さん
はい。20代前半は演奏活動ばかりでした。ライブハウスはもちろん、各地のジャズフェスティバル、全国ツアー等々です。全国飛び回って毎晩ライブをしていたので、だんだん疲れもストレスもたまって演奏が雑になってきたんですよね。もっと人間らしい生活と、インプットの時間が必要だった。だから25歳くらいの時にヤマハの講師を始めて、ライブ、ツアーばかりの生活を変えていきました。2003年からは甲陽音楽学院の、2008年からは名古屋音楽大学の講師も始めて、ピアノを弾いたり作編曲したり音楽を聴いたりする時間をきちんと持てるようにしたことで、クリエイティブな活動がまたできるようになっていきました。 

–生活のためには売れなきゃいけないし、売れるということは多くの人に認められるっていうことだからうれしい反面、システマチックにこなすようになってしまって作品の質が落ちてしまうというジレンマがあったのですね…。逆に音楽をやっていてよかったなと思う瞬間ってどんな時ですか?
水野さん
苦労して作曲したものを人に聴いてもらえたとき。ジャズを知っている人も知らない人も、僕の曲を聴いて楽しんでもらえた時によかったなと思います。

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