地下鉄空想旅行
ちょうど終電を目の前で逃して絶望していると、掲示板に「臨時 0:45」という表示がパッと突然現れた。
こんな時間まで仕事をしていた俺は疲れ果てていたため、この「臨時」を待ってみることにした。「もしかしたらこの地下鉄が俺に同情してくれているのかもしれない」なんて思いながら、充電が残り少ないスマホを、何を見るわけでもなくただ触っていた。
0:45、目の前にたった1両しかない列車がやって来た。行き先は俺の最寄駅を通る。俺はこの車両に乗り込んだ。
車両には俺とお婆さんが乗っており、そして、1つの公衆電話があった。しばらく揺られていると、お婆さんは立ち上がり、電話ボックスに入った。
こんな地下鉄の中じゃ電波なんて入らないのではないかと思いつつお婆さんを見ていると、
窓の外が突然、花畑に変化した。
電話ボックスから出てきたお婆さんは、驚く俺を見て、
「あら、あなた、この車両初めて?」
と聞いてきた。
「え、ええ。これは一体……。」
「この公衆電話はね、幸せを運んでくれる電話なの。」
「は、はあ。」
「今さっき、『素敵なお花畑に連れてって』ってお願いしたのよ。だから、こんなに素敵な景色になったの。」
「???」
不思議そうな顔をした俺を見て、お婆さんは笑った。
「あなたも一度、公衆電話でお願いしてみてご覧なさい。『どこどこに連れてって』って。」
疑いながらも、俺は電話ボックスに入った。
「……もしもし。」
電話口から声がした。
「お電話ありがとうございます!こちら地下鉄空想旅行コールセンターです!」
「ち、くうそう、え?」
「本日はどちらまで連れていきましょう?」
「え、じゃ、じゃあ沖縄の海まで」
「かしこまりました〜!」 ガチャッ
あまりの早さに驚いていると、突然、窓の外が綺麗な海に変化した。まるで、地下鉄が海の上を走っているようだった。仕事の疲れが、海の中に流れていく感覚がした。
その日以降、俺は毎日のように、帰りはこの地下鉄に乗るようになった。空の上も深海も走った。ただ、女湯だけは入れなかった。
ある日、ネタを切らした俺は、ずっと言ってみたかったことを伝えた。
「お電話ありがとうございます!こちら地下鉄空想旅行コールセンターです!」
「今日は、『世界一幸せな場所』に連れていってほしいです。」
「かしこまりました〜!」 ガチャッ
俺はワクワクしながら変化を待った。
しかし、いくら待っても、窓の外は変わらなかった。
俺はもう一度電話した。
「あの、変わってないんですけど。」
「あ、先ほどのお客様ですね〜。ちょっと確認しますね〜。
……お待たせしました。えっとですね、ただいまお客様の要望通り『世界一幸せな場所』に変わっていますね。」
「え?変わってないんですけど。」
「正常に作動しておりますので、どうぞお楽しみください〜。」 ガチャッ
もう一度窓の外を確認しても、やはり何も変わっていなかった。それなのに、どこか安心している自分がいることが不思議でたまらなかった。
何も変わらない窓の外、暗いトンネル。俺はただ、窓に映った自分の顔を眺めた。
窓の外の景色なんて、変えなくてもいいのかもしれない。
俺は到着まで、疲れた体を癒すように眠りについた。
その日以降、あの臨時車両は姿を見せなかった。
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