
友人にお題をもらって役に立たない話を書くシリーズvol.15「箱根駅伝の優勝チームのマネージャーだったら」w/ 成澤さん
自己肯定感は高くても低くてもいい
なんだかバタバタしてました
めちゃくちゃ久しぶりにnote開いた。役に立たない話は、書きたいとずっと気になってはいたものの、9月あたりから立て続けに仕事の依頼があって(ありがたい!!!)、役に立たない話も書けずにいました。最近、「役に立たない話が更新されなーい!」と何人かからお声をかけていただき、ありがたい&申し訳ない!と。だいぶ落ち着いたので、年末に向けてちょこちょこ書きたいなと思ってます。一応1年間続けるのが目安だったので、2024年いっぱいまでは駆け込みで何個か書いていったん連載終了。とはいえ気が向いたらまた単発でたまに書くかも。まずは恒例のちょっと長めの前説。
自己肯定感ってなんぞや
最近いろいろ考えてたトピックはいろいろあるんだけど、最近気になってたのが自己肯定感って言葉。なんかここ数年よく言われるようになったよね。自己肯定感上げよう、とか上げるためにこうしよう、みたいな話も聞くし、自分は自己肯定感低いので…って自己分析的に使うこともある。自分のことを言えば、今は高くもなく、低くもなく。シチュエーションによるような気がします。10代とか20代みたいな全方向で自信がなくて自分を認めてあげられないって時期に比べたら、相当自分を認める度合いは高くなったとは思う。でも逆に自分を認められているかどうかを考えることはほとんどなくなったし、ある意味、そこを気にするのを辞めたというのが正しいような気がする。
自分への興味はもう尽きてしまった
この前も「ストレングスファインダーでハラさん〇〇はあったんだっけ?」みたいなことを聞かれたんですが、そういう自己分析ツールでの結果、私すぐ忘れちゃうんですよね。「うーん、どうだったかなあ???」って感じです。正直なところ、自分への興味はもはやあまりないのですよね。「自分はこういう人である」と定義する必要性をあまり感じないし、突き詰めることにもほぼ興味がないのです。体感として自分は〇〇が好き、〇〇が苦手、〇〇を求めてる、〇〇な環境にいると楽しい、みたいなことが分かっていて、自分の主義、志向、思考なんかが腹落ちしていたら、それ以上に深堀りすることはもういらないかなと思っているのです。言い換えると、自分の内側への興味ではなく、自分と外をつなぐ接点の方に興味があります。
答えの出ない問いを繰り返すのはもういい
私も私で十分、中二病的な時期は過ごしたし、大人になっても哲学的な問いのなかでぐるぐる考え続けたり、自分を否定したり、迷ったり、散々してきたと思います。自分の力ではどうしようもない、変えられない現実に向き合い続けた期間がとても長くあったし、理不尽なことも、人格を否定されることだってあった。それでも思考し続けて、「人は変えられない、自分の考え方で自分を前向きに変えるしかない」という結論に一周まわってたどり着き、それによって自分を救ってきて今があります。結局、一番の気づきは、「答えの出ないことに向き合い続けても救われない」ってことだったように思う。すぐに変えられること、効果があることに注力して、自分がどんなに努力しても関与できないことからは離れる。諦める。自分が楽しく感じられることに注力する、いつの頃からか、そっちに舵を切ったように感じています。
自分の内側でなく外に目を向けたい
絶対自分のことなんて完全に理解することなんてできない。それは他人に対してもきっと同じ。一定期間、自分を理解するために深堀することもきっと大事。でもある程度大枠をつかんだら、自分を深堀していくことでなくて、この自分で、関わる外の世界にどういう影響を与えられるか、どうやったら人を幸せな気持ちにできるかどうか、そんなことを考えたいなと思うのです。私は、言ってしまえば自己肯定感なんて、高くても低くてもいいんだと思っているのです。低くてもできることがある、高くてもできることがある。高いか低いか、どっちだったとしても、そんな自分で人と社会と向き合う決意とか覚悟とかがあればよくって、今のそんな自分で最大限に人にやさしくなれるように、いい人間になりたいって思えればいいんじゃないかなと思っているのです。自分にも自己肯定感を求めないし、他人の自己肯定感についても否定も肯定もしたくないんです。ひらたくいうと、自分も他人も、そのままの自分で最善を尽くせればそれでいいじゃないか、と思っています。
自分を諦めない
それでも、今だって報われないことも、理不尽さを味わうこともある。この年になっても、こんなことで悩むのかと自分にがっかりすることもある。でも、それでも自分が関与できる、半径数メートルの世界を幸せにできる人でありたいなと改めて思うのです。自分を諦めず、他者とつながることを諦めずにいたい、そういられたらいいなと祈るように思っています。
本日もお題をくれた友人の紹介、お題からインスパイアされた役に立たない話でいきます。「意味がない、役に立たない話」に無駄に意味を付け加えないように(笑)、基本的には一筆書きで、ほぼ書き直しなしで書き上げようと思ってます。意味のなさを、役に立たなさを、楽しんでいただけたら嬉しいです。
今回のお題提供者:成澤さん
成澤さんは、前職時代に出会った友人。視覚障がいを持っていますが、目が見える人以上にアクティブでアグレッシブに人生を送っています。「世界一明るい視覚障がい者」をコンセプトに、ビジネスの世界で活躍してるときに出会って、お仕事やらいろいろご一緒してきました。今は、組織を離れ、より「自分にしかできないこと」に注力していて、金髪でキックボクシングしてたり、パリコレでランウェイ歩いたり、なんかなんでもやってます(笑)。かつてForbes JAPANで「世界を変える30歳未満」に選出されたこともあったり、各分野で注目されてきている、ちょっとすごい人でもある。障がいは個性、ってよく聞く言葉だけども、それをこんなに強い個性として爆発させている人いるかしら?といつも思わされるし、刺激をもらってます。
変わった経験を一緒に重ねた同志のような
前職時代は、一緒に出張に行ったり、講演したり、本を書いたり。普通では経験できないようなことを一緒にたくさん経験できて、私が特殊な環境下にいた過去を見て知ってくれている貴重な友人。そして、一緒に体感してきてくれた、ある意味、同志のように感じている存在なのかなと思っています。私が独立してからは、よりフラットに友人関係を継続している感じ。本当に正直、一緒に食事したり話したりしていると目が見えないってことを完全に忘れてしまうので、「ねえ、成澤さんこれ見てー!」とか気づいたら普通に言ってたりする…。その一方で、私が気づかないような視点での話も聞かせてくれたりするありがたい存在でもあります。そんな成澤さんからの役に立たない話のお題…
「原さんが箱根駅伝の優勝チームのマネージャーだったら」というのはどうですか?
というコメントをいただきました。マネージャーだったら、ってのは、たぶん秘書時代の私の考え方を反映させるとどうなる?ってことなのかなーと思ったので、私の黒子論、秘書論、みたいな話をできたらなと思ってます。
本題「箱根駅伝の優勝チームのマネージャーだったら」w/ 成澤さん
最初にごめんだよ
駅伝とかあんまり詳しくなくてね、あんまりイメージできなかったりするんでね。駅伝の話は一切出てきません(笑)。マネージャー起点の、長年、人のサポート役をやってきた私が思ってる黒子になること、サポート役でいるために意識していたこととかを話してみたいなと思います。私は8年半くらい、「秘書」と名乗って仕事をしてきました。実際にはみなさんが頭に思い浮かべる秘書像とは全然違う働き方だったと思うし、一般的に言われる理想の秘書とはほど遠い仕事の仕方だったと思います。ブランディングのコンサル業で秘書をやっていました。端的に言えば、ボスがやる以外の仕事を全部私がやる、みたいなイメージでした。ボスがコンサルで決めたり提案したことを、形にする。クリエイティブから制作物の完成までもやっていたし、あとは完全な裏方の事務的なこと、会計的なこと、雑務、雑用。スケジュール管理、あとは出役でMCやったり講演で私が話したり、なんて機会もあったりしました。
すべてはボスの価値をあげるため
最終的に至った境地はこんな感じです。出役として表に出ることもありましたが、基本は秘書という肩書をつけて、自分の成果とならないように細心の注意を払いながら仕事をするようにしていました。自分がきちんと仕事をこなすことでボスの価値をあげる。全部のゴールはそこに設定していたので、どんな仕事をしていたときも、自分は黒子である、サポート役であるという意識を忘れないようにしていました。今思うと徹底ぶりがすごい(笑)。ちなみにその前は司法書士をしていて、実は真逆なんですよね。司法書士法人などに属して組織で仕事をしていても、結局はイチ司法書士として、責任は自分に帰結してくるような仕事だったので、そちらは「個人」の考え方がとても強い環境でした。「原三由紀」として仕事をする覚悟こそが必要な世界で生きていたので、秘書になったときはものすごい葛藤とギャップに苦しんだのを覚えています。
自分がいなくなる不安
専業主婦とかにもある意味近かったりするのかな、自分の名前で呼ばれることが減っていく感じ。〇〇ちゃんのママ、〇〇さんの妻、みたいなのに近くて、〇〇さんの秘書としか自分が認識されなくなる感じ、自分の成果や努力にも、自分の名札がついていない感じ。誰にも私個人は褒められないし、認められてもいない、そんな自分がいなくなっていくような気持ちになったような記憶があります。全部の仕事の成果がボスに帰結していくので、誰からも「ありがとう」と言われなくなっていった感覚がありました。自分はなんのために仕事をしているのか、なにを楽しみに頑張ったらいいのか、そんなことを自問自答していた時期があります。
黒子が見つける仕事の喜びとは
超激務で全国を飛び回りながらも、「秘書とは?」と書かれた本などを読み漁って、自分はどういう思考になれば、仕事に楽しさを感じられるのだろうか。そんなことをずっと考えていました。そんなある日、本で読んだ一節が私にヒントをくれました。本の名前も正確な記載も覚えていませんが、こんな内容でした。
秘書に向いている人とは「ありがとう」の言葉を求めない人。
成功したらボスが称賛される、失敗したら秘書が責められる。言ってしまえばそれが秘書だと。そんな環境でも仕事に楽しみを見つけられる人こそが秘書に向いている人だ、というような内容だったと記憶しています。(多少意訳しているかも…)
これは本当に私にとっては衝撃的でした。普通よく言われるでしょう、仕事の喜びは相手からの「ありがとう」だって。私も人が感謝の言葉を励みに仕事をするのは、息を吸って吐くように自然のことだと思ってたんです。でも、自分がそれを期待しているから苦しくなるんだってことに気づき、頭をガツンと殴られたような衝撃がありました。
「ありがとう」がなくても喜びを感じられたら最強
「ありがとう」を目的にすると、もらえないと悲しくなる。でもそもそも自分宛ての「ありがとう」を求めなくなったらどうだろう。単純に「仕事が成功すること」を自分が働く目的にすれば、周囲には影響されずに仕事に喜びを感じられるのではないかと。感謝を期待することをやめたら、自分のする「名前の付かない仕事」の積み重ねが誰にも気づかれなくても、仕事が成功したという事実だけで充分「ああ、成功してよかったなぁ」って思えるようになるんです。そうなるとある意味、もう最強で、一人で勝手に幸せになれる。正真正銘、私にとっては最強の考え方でした。
仕事ハイみたいな状態に(笑)
このモードになってからは、毎日本当に仕事が楽しくて、ボスに、クライアントさんに、人に、仕事に貢献できていることだけで、心から楽しんで仕事ができるようになりました。これが冒頭でも話した「変わらないものを変えようとするのではなく、自分の考え方を変えた方が、手っ取り早く幸せになる」という例の一つなのかなと思います。そしてこうやって、見返りを求めずに楽しそうに仕事をしていたら、意図せずも数年後には逆にたくさんの「ありがとう」がもらえるようになっていました。そもそも自分宛てにもらえることを期待すらしていなかった「ありがとう」は、信じられないくらいにありがたくて、幸せで、涙が出るくらいに嬉しいものだと知りました。些細なことに気づいてくれる相手の優しさや繊細な心配りに、心が震える感動と感謝があったんですよね。そんなことを活力に頑張り続けられたので、結果仕事ハイみたいに極限まで働いて、そのうえ楽しい、って状態になってました(笑)。ある意味、自己暗示にかけてた感じもある。
もともと向いていない人が頑張った話
たぶん他者貢献的な思考をもともと持っている人であれば、ここまで極端なことを考えなくても自然と楽しめるのかもしれないなとも思います。私はそんなに秘書に適性がある人間ではなかったと思うので、人をサポートする、黒子として裏方で人を支える、という仕事と向き合うのに、相当の努力が必要だったんだと思います。本当の意味で人を支えるという仕事を全うするために、純粋に「仕事の成功」だけを願い、それだけで満足できることが、少なくとも私には必要だったんですよね。仕事のゴールを、自分の評価や価値を上げること以外に設定すること。書くのは簡単だけど、リアルにそれをやろうとするのは本当に大変でした。
どれだけの人の存在に気づけるか
自分の性格とか適性とは合ってなかったかもしれないけど、私はそういう仕事を経験できて本当によかったなと思っています。ひとつの仕事の背景に、どれだけの人の「名前の付かない仕事」があり、誰にも認められないまま終わる仕事があり、そのひとつひとつに尽力してくれたたくさんの人がいるということ。そういう背後にあるものに思いを馳せられるようになったのが一番良かったなと思っていることです。「ありがとう」を期待することをやめた人にも、「ありがとう」をちゃんと言いたい。黒子に徹して、誰にも見つからないようにしていた自分にすら、気づいてくれた人、いたんです。「ボスがあんなに忙しいってことは、あなたはそれ以上に忙しいってことだよね。がんばっててえらいね」仕事ですれ違った、名前も知らない方に秘書になって初めてかけてもらった温かい言葉を、私は今も覚えています。私も誰かにそんな言葉をかけられるように、大切なことを見逃さないように生きていきたい。