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いつか終わりはくるもので

先日、娘が3歳になった。

下の子として産まれた娘は3年間、毎日ずっと可愛かった。もちろん上の子である息子もずっと可愛いし、分け隔てなく、どちらも同じくらい、同じだけ愛しい。だが、可愛いの種類が違うような気がする。下の子は兎にも角にもただただ可愛いのだ。


娘は9月から満3歳入園を予定している。ということは、わたしの人生で、自宅保育期間がついに終わる。

第一子の息子が産まれる直前に離職してから5年、わたしの肩書きは専業主婦だ。どこかでその肩書きが重く、働いていないのだからちゃんとしなきゃ、家事も育児も完璧に!なんて思っていたのは最初だけで、どちらも全然ちゃんとできない。専業主婦なのに…と落ち込むことが多かった。しかし夫はそんなことは一切気にしておらず、寧ろ感謝してくれるし、しっかり一緒に家事育児をする人だ。お子たちが元気に暮らしていればオールオッケーという志向に舵を切りここまでやってきた。別に完璧にする必要なんて最初からなかった。

それでも、息子の入園前は3歳と1歳の二児の自宅保育がしんどすぎて、早く園に行ってくれ〜と思わずにはいられなかったが、娘は第二子にして最後の子ということもあり、寂しさが勝る。息子を園に送り出してから2人で過ごす平日の昼間、それはそれは穏やかな日々だった。ニ児を体験した後の一児はとても楽に思える。

休日の賑やかさとは打って変わって静かな公園は、貸切状態でのんびりと遊べることも多かった。ここ数ヶ月は、ふたりきりで過ごすこんな日々も、もう終わってしまうのかと、すぐにセンチメンタルな気持ちになってしまう。

娘は言葉が出るのも遅かったし、今でも同じくらいの月齢の子と比べると語彙力も乏しく、喋り方もまだまだ拙い。心配な面も多々あるが、どうやら性格がのんびりとした子のように思う。

これから園に通い出す上でどう変わっていくだろうか。お友達や先生との関わりの中で、どんな刺激を受けてくるのだろうか。それを持って、娘はどんな子に成長していくのだろう。

手を繋ぐときは私の人差し指をぎゅっと握る小さな手も、
転んだ途端に機嫌が悪くなり「大丈夫じゃない!」と怒り出す姿も、
アスファルトのタイルが外れたところを喜んでガタガタと踏む足も、
スーパーのカートに乗ると言って座った直後に降りると言う謎の行動も、
私の膝に座って乗るブランコで嬉しそうにはしゃぐ声も、
道端に咲く花をしゃがみ込んで触っているふっくらとした横顔も、
いつか見れなくなるのだろうなぁと思う。
それが成長というものだから。

大抵のことはいつか終わりが来る。
終わったことを「思い出」にして、また始まりを迎え、新しい出来事を積み重ねていく。
終わりと始まりを繰り返して生きていく。

育児が辛い時に友人に「今しんどくても終わりが来るから大丈夫」と励ましてもらったことがある。今でも辛い時の、お守りのように大切にしている言葉だ。辛い時に頑張った時ほど、大変な時に乗り越えた事ほど、後に思い出となり濃く残る。と思って、踏ん張る。いつかは、終わってしまったことを寂しく恋しく思うのだろう、と。

そして、自宅保育が終わるということは、私の、私としての時間もまた動き出す。まだ未定だが、働きにも出るつもりだ。もちろん家族のため、家計のためでもあるが、自分のために働きたい。不安と楽しみ、いろんな感情が渦巻くが、それもまた嬉しかったりする。

と、その前に夏休み。息子の園では8月1日から始まる。カミングスーン!

自宅保育が終わるどころか、二児の自宅保育がまた戻ってくるではないか。正直大変だ。大変だが、あの頃より成長したお子たちと楽しく夏を過ごしたい。夏休みもまた、終わりがくるのだから。

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