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幸せは「感情」であるということ。

こんにちは、ライターの矢島美穂です。

ちょっと思いついたときに書くだけだったnoteですが、今日から、できれば今日から・・・極力毎日書いてみようと思います。

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今日、長女が8歳になりました。
母親になって8年。
「え、ママって土日ないじゃん!!これからずっと稼働日じゃん!!」と、一瞬世界が止まって見えるほどの衝撃を受けたあの日から8年。

そういえば私が新卒で入社した会社を辞めたのも丸8年経ったタイミングだったので、会社員として積んだキャリアとママキャリアがついに今日、並んだのか・・・。

かつて勤務していたのは人に恵まれた職場だったけれど、周りから期待の大きさやその方向性のベクトルと、自分の興味やモチベーションのベクトルの距離がどんどん広がってしまって、当時の私は退職する決意をしました。
その一方で、ママ業は大変なこともイライラもあるけれど、「もうやめたい!」とは思わない。(いや、そもそも辞めることは許されないのだけれど。そして、そんな一言を発した瞬間はもちろんたくさんあったけれど。星の数ほど!)
そう考えると、私は意外とママであることを楽しめているのかもしれない、と気づかされた今、この瞬間。


「ママ、産んでくれてありがとう」
7歳最後の夜、眠りに落ちる前のベッドで、長女はこう言ってくれました。

私は思い通りにいかないと周りに当たり散らす相変わらず自分勝手な母親で、「バカじゃないの!?」とか「どっか行ってよ!」とか酷い言葉も使ってしまうし(もちろんそのあとに謝ります)、そんなわけで子供に気を遣わせてしまうことも多いけれど・・・
長女には「私もママも、このままここにいていいね」と言ってもらったような気がします。

一人の人間に大きな(おそらく最大の)影響を与える責任への恐怖と迷いは絶えず襲ってくるけれど、私への絶対的な信頼と愛情を持ってくれている存在は、そうそうない。
長女が贈ってくれた「産んでくれてありがとう」は、おそらくこれ以上の言葉はこれまでもこれからも現れないであろう、私にとっての最大の賛辞です。

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少し前に読んだ本に、「幸せは”感情”である」と書かれていました。

その時は「あたりまえじゃん」と思いつつ、本質がよくわからなかったけれど―—長女からの昨夜の一言をもらうことで、ちょっと気が付きました。
私は、本当の幸せは常に、ここではない一段上の場所で待つ、確かな「輪郭」があるものだと思っていたのかも・・・と。

何かわかりやすい肩書とか、みんなの前で称賛される瞬間とか・・・これを手にしたら大丈夫ですよ、と、わかりやすく「幸せ」ラベルが貼られたビンを今すぐ手にしたくて、にもかかわらず、それを手みにできない焦りがいつもどこかにあって。
勝手に「私の幸せレベル」を高~い台の上にあげて、そこにのったビンを手にしない限り、私は幸せを感じてはいけないと思っていたかもしれません。

小さいころから優等生だった私は、「もっとできる」「矢島ならできる」「がんばらないのはもったいない」という気持ちに応えて能力を伸ばして信頼を勝ち取るという人生でした。
このままではいけない、もっとできるはず。
自分を活かすことが「責任」だと思っていて、活かそうとしない自分、活かせない自分には価値がないし、本当の幸せはもっと向こうにあると、常に思っていたのかも。

でも、幸せは”感情”。
一生懸命階段を駆け上って、やっと出合ったものをどったんばったんとひっくり返したその陰に隠れているものではないらしい。
今この場所から見える自分の”嬉しい””楽しい”にきちんと気づいて「今ここで幸せを感じていいんだ」と許しを与えてあげること。
「産んでくれてありがとう」が、私に教えてくれたのは、たぶんそういうことでした。

お誕生日おめでとう。
ここに産まれてきてくれてありがとう。

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