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さし絵の中のぼく

数年前、さだまさしさんが自身の子供時代についてこんなお話をされていました。

『小学1年生の時、ぼくは「人が5人並んでいて、右から2番目の男の子は、左から何番目ですか?」という「ならびかた」の問題がどうしてもできなかった。正解は4番目だよね。学校で何度教えても正解できないというので、先生が家に連絡してきた。心配した母親がよくよく話を聞いてみると、ぼくは頭の中で、教科書の挿絵にある「右から2番目の男の子」になって左右の友だちと手をつないで、教科書を見ている人と向き合っていると想定して質問に答えていることがわかった。
ぼくは挿絵の中の男の子になっているわけだから、ぼくの右手には友達が3人いて、左手には1人いる。並んでいる本人から見ると、ぼくは左の端の友達から2番目になる。正解できないよね〜。なんで先生わかんないんだろうと思っていた。』

視聴者からのハガキを読みながらの「子どもって面白いよね」というトークの一部だったのですが、ちょうど子どもが「ならびかた」を習ったばかりでタイムリーだったのでよく覚えています。
まさし少年は挿し絵の中の男の子の視点で質問に答え、挿し絵を見ている視点からの問題であることにはピンとこなかったので答えが出せなかった。

知覚的に同じ対象が他人にどう見えているか理解する能力や、他者の感情を推測する能力は、幼児期に芽生えて、6歳〜10歳ぐらいまでの学童期に劇的に発達するそうです。

低学年ぐらいまでの子どもはお互いが同じ現象を前に違うことを感じているということがわかったり分からなかったり、その場で他人から「求められていること」と自分のしていることのズレが理解できたりできなかったりな場面があるということです。
よく育児の本でも「6歳ぐらいまでは「〇〇ちゃんの気持ちになって考えて」は難しい」というような記述もありますね。
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我が家の長男の話。
幼稚園年長組で菓子箱を使った造形あそびをした日の帰り道。
小さな箱をセロテープで張り合わせて作った銃や剣、携帯電話などを手に走り回るお友だちの中で、長男が大事そうに抱えていたのは「箱」。
手頃な大きさの箱のふたをセロテープで留めただけの「箱」そのもの。
「???何を作ったの?」
「これは宇宙船で、扉は○で〇〇で!翼は○で○で!すごい○なの。」
「そうか〜。」
聞けば、箱の蓋をセロテープで留めたあと、造形あそびの時間中ずっとその「箱」でごきげんに遊んでいたらしい。

そのころの長男は大好きなレゴでもいくつかパーツがひっついただけの「四角いなにか」や「平たい何か」を両手に、効果音やセリフを何時間でもブツブツいって1人で人形遊びをしていた。「これは何?」と質問するととても具体的な説明が返ってくるのだけれど、はたから見るととてもそうは見えなくてブロックでも箱でも素材そのまんま…。

不器用さや発達など、ちょっと心配したり、気をもんで練習させたりしながら、数年たち、彼の作るものは割とよくある感じになった。
それが良いか悪いかはおいておいて、なんというか「人の目を意識した仕上がり」??

そういえば…と思い出して、幼稚園のころの「箱」工作の話をふってみたら、本人からこんな答えが返ってきた。
「全部頭の中の空想の中で補って遊ぶので、箱でも紙でもそれで十分だった。別に作り込む必要なし。」
「ぼくにはかっこいい宇宙船に見えていたからそれで満足だった。」

しかし、低学年も半ばで、彼は気づいたらしい。
「自分の空想の中で素敵に見えているものも、他人からはそう見えないらしい。」「図工とは、他人に分かるようにものを作る時間だろうか?」
「下校途中に空想しながら帰ってるのも、変だと思われるから内緒にしている」

お…
他者の視点、芽生える…。
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子どもの発達の段階として、知識としてある程度理解はしていても、眼の前の子どもがその能力を獲得する前だからそのような行動をするのだということを母親目線から「わかる」ことはとっても難しい。

「わからないな」「なんだろうな」と思いながら、しばらくたったころ、さだまさしさんやうちの息子のように自分で釈明してくれたりすることもあります。

「なんだそうだったのか」

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劇作家で俳優の長塚圭史さんは、紙に描いたたくさんの棒人間を机の上に並べて、頭の中だけでそれを動かしてしゃべらせるという無言の人形遊びをかなり大きくなるまでされていたそうです。
「少し大きくなってからは親が見たら心配すると思って、隠れてやっていました。」

小さな子どもの母親目線で見ると、なかなか不安な遊び方です(笑)
圭史さんのお母さん、ご本人のお察しの通り心配されてたかもしれません。
そして、大人になってこの話をする息子さんを目にして「無事に成長して良かった」とか思っていらっしゃったりして。

どんなに見ようとしても子どもの頭の中は全部は見えない。
不安が邪魔をしてはっきり見えないこともあります。
人として他者の視点を獲得しても、母親が自分の子どもの視点に立つのは至難の技だと思うのです。

www,akiyamamiho.com

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