雨の日に入ったラーメン屋の店主が溢したため息にわたしは顔を上げなかった

晩ごはんは作らない。今日はそう決めた。

仕事を頑張ったご褒美というより、疲れて何もしたくない考えたくないの境地。

何もしたくない。それなのに家には何もない。

こういう時ってある。

実家の台所を思い出す。こんな時のために、母はあんなにカップラーメン買い置きしてたんだな、きっと。

自営業で家で働きながら子供5人も育ててたら、そりゃレトルトでもインスタントでも頼りたくなるよね。

郷愁に浸りつつ外に出たら雨だ。まぁまぁな土砂降り。

こういう時ってある。

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一歩、外に出ると出てくるあの妙なやる気に名前はあるのだろうか。

せっかく出たのだから美味しいものを食べようと、いつもは行かない方面へ足を伸ばす。

この「せっかく」というのは中々の曲者だと思う。

旅先でご飯を食べようと思ったら「せっかく」だから地元の名産や名物を食べたいと思う。

でもめちゃくちゃお腹の空いたわたしは山盛りの唐揚げ定食を欲していたりするから悩ましい。

こういう時、わたしは「せっかく」を優先する。

もう来られないかもしれない、食べないと損、もったいない、そんな気持ちに駆られるから。

こういう時、夫は隣で意気揚々と定番メニューのカレーやラーメンを美味しそうに頬張っている。素直って最強だ。少しだけ羨ましくて眩しい。

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雨の中、路地裏にひっそりあるラーメン屋さんに入った。来たことはないのだけど、口コミ評価も高いらしく美味しいらしい。

ただ、あまりにもひっそりとあるので入りにくい(個人の感想です)

しかし空腹と雨。そして「せっかく」の力で入店。せっかくだからは行動の原動力にもなるのだ。

感染対策なのか、開いたままの扉からスッと入る。

店内には何人かの先客。そう広くはないカウンターだけの店内だけれど、ガランとした空気が漂っている。

厨房の店主はマスクをしており表情が見えない。この時点で若干の気まずさを感じ気後れするわたし。

これだから「せっかく」は厄介なのだ。

券売機で食券を買おうとするも、お金の投入口が見つからずモタモタ。店主がこちらをじっと見ている。(ような気がしなくもなくもない)

感染対策のため券売機休止中。口頭で注文。前払い制。

焦りは視野を狭める最大の要因である。

あんなに見ていたはずの券売機にデカデカと張り紙がしてあるではないか。なるほど、どうやら注文は店主に直接言って支払いするようだ。

券売機の前で一頻り「どれにしようか」などとメニューに悩む小芝居をした後で注文をする。

薄々気づいているかもしれないが、初めての店での注文は決まっている。当店おすすめ「中華そば」一択。

せっかく来たんだし。

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席についた頃には、先にいた客たちはみんな帰ってしまった。後から来る客もいない。

これが雨のせいなのか、コロナのせいなのかはわからない。

店内奥に設置されたテレビにはようやく開幕したプロ野球が映っていた。

観客のいない中、打球音がやけに響いてラーメン屋と東京ドームが境目が無くなったみたいに思える。

ベンチから飛ぶ声援が、画面の向こうとこちらに境界を引いてくる。

だってラーメン屋にはベンチがない。ストレートを待つバッターと中華そばを一人待つわたし、そんなに違いはないんじゃないかな。

誰かわたしも応援してくれ。

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出来上がった中華そばをカウンターに置く店主。そのままどかりと厨房の椅子に腰掛け、一点を凝視している。

その様子をチラチラと気にしつつ、「いただきます」と極々小さな声で言いラーメンをすする。

「あーあ」

ため息?なんとも言えない声が前方から聞こえた。

テレビではない。

となれば発したのは一人しかいない。が、声の主がわかったところでどうしようと言うのか。

黙々とラーメンを食べ続ける。

「あーあ」

もう一回、聞こえた。おかわりはしていない。

気の利いた言葉でも言えたらよかったのかな。雨すごいですねとか、コロナのこととか。

利かせる気を持たないわたしは、顔を上げないことに決めた。ただひたすらラーメンに向き合う。

1回だけ、野球の経過を見るために上げた顔の横目に映った店主の表情はマスクで見えなかった。

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器をカウンターの上に置き「ご馳走さまでした」と店を出た。

野球はまだ続いている。雨はさらに強さを増し、裾はあっという間にびしょ濡れだ。どうしてこんな日に白いパンツを選んでしまったのか。

帰りにコンビニに寄った。

せっかくの無い、いつものシュークリーム。美味しかった。


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