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自分については考えない

自分はどうしたいのか、何がしたいのか。
悶々と考えはじめて袋小路に陥りそうになったら、外に目を向けるようにしている。

もともと考えに耽るのは嫌いじゃない。ストレングスファインダーでも内省が一番高かったから。自分について、いつも考えながら30年間生きてきた感もある。

が、自分というものに向き合おうとすればするほど、自分の中にある確固たる芯みたいなものを見出そうとすればするほど、そこには何も存在していないような気持ちになる。

余分なものを削ぎ落としていけば、真っ白で無垢な、精製されたお米みたいな自分があると思ったのに。玉ねぎみたいに剥けていくだけ。

内省って悪いことではないです。周りに流され過ぎていると思うなら、むしろおすすめしたい。

ただ、わたしは自分にばかり目をむけ過ぎて沼に嵌って動けなくなってきちゃったのだと思う。

確か村上春樹さんだったと思うのだけど、自分そのものについてよりもなるべく他のことを考えるようにしていると言っていた。

ほかのこと、自分の外側にあるものだと思うのですが、に対してどう感じ、どう考え、どう臨むのか、そういう姿勢の中にこそ「自分」があるのだと。自分の内と外との関係性が大事であって、自分が何者かみたいなことはそれほど重要ではない。

朧げなので文言は不確かなのですが、印象に残っている。この一節がもう小説みたいで村上春樹すごい。


今日も悶々としかけたところに夫が「散歩行く?」と声をかけてくれたので近所の公園にいった。最近は外出する機会もないので、ほぼ毎日、仕事の休憩も兼ねて散歩に行っています。

歩きながらもついつい考えごとをしたくなるのだけど、外に外に意識を向けると色んな発見がある。いつも通っている道なのに、こんなところに実がなってる、とか。

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ブルーベリーみたいだなって思って調べたら「ヒイラギナンテン」というらしい。ちなみにおいしくはないそう。それほど大きくならず、葉っぱがトゲトゲしてるので人が立ち入らないように植えたりする、なんて豆知識も得ました。

そして家に帰ると、自己に対する悶々とした霧は晴れている。きっとまた出てくるけどね。そしたら今度は美味しそうな実を探しにいこう。

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