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Speachless

実写版アラジンの感想をつらつらと。
前評判があまりによかったのでワクワクで映画館へ向かい、そしてその通りに、Will Smithと Naomi Scottの演技に拍手をした。しかし、映画を観終わって3日、フツフツとモヤモヤが沸いてきたのである。

①厳密なフェミニズム、ではない

一部で言われている「アラジンはフェミニズムの話だったァ!!!!」という感想には、疑問が残る。それはたぶんある種の曲解だ。
いや、まあたしかに、「女は統治できない」「王子と結婚すればいい」といういかにも旧時代的な王やジャファーに対し、「勉強しているわ」「わたしがアグラバーの国民を守る」という強い意志をもつのがジャスミンだ。それはまあいわゆるフェミニズムなのだろう。
でも、この物語において、ジャスミンは「王子様に選ばれるプリンセス」という典型的な「見られる性」としての女性性の象徴であることに変わりはない。ジャスミンはヒーローであるアラジンの好んだ美しいヒロインなのだ、それは別に性別の役割を解放するというフェミニズムには必ずしも合致しない。

ただ、ジャスミンはこの実写版では、自分の人生を自分で切り拓こうとするひとりの女性とも映る。その点はかつてのプリンセスものには物足りなかった点として評価できるかもしれない。

②ルッキズムからは離れられないプリンセスもの

アラジンのセリフに、「王女は賢くて美しい」というものがあったのは、わたしをひどく落胆させた。
わたし自身がさほど美しくないからなのだろうか。
いや、どちらかというと、いわゆる「美」の価値観に、もううんざりしているから、の方が正しいかもしれない。
Naomi Scott演じるジャスミンは、目鼻立ちのクッキリした、いわゆるエキゾチックでオリエンタルな美人である。それがまあ、万国共通の価値観だとしても。
選ばれるのが美人だからなのか?ジャスミンの本質はその気高さと視野の広さにあるのでは?そこにフォーカスされてもよかったのでは?というモヤモヤが残る。
ディズニープリンセスは、このままだとずっと美しさから離れられない。本当にそれでいいのだろうか。前述したフェミニズム的新しいプリンセス像と同様、新時代に適した、ルッキズムから解放されたプリンセスを描いてもらいたいと強く思う。
本質的な美しさは、その容姿だけではない。教養の深さ、視野の広さ、そして他人を思いやる気持ちこそが美しいのだと、ディズニーの世界でなら逆説的に証明してもらえると、勝手ながらも信じたいと願う。

③中東世界の描かれ方
さて、ここからが一番のモヤモヤなのである。
そもそものアラジンの原作は、皆さんご存知「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」である。
アラビアンナイトのルーツは、6世紀、ササン朝ペルシアあたりに遡る。 王女シェヘラザードがペルシア王の気をそらすため、1000日間の夜に渡って物語をする、というのがその原型である。そして、アラジンと魔法のランプ、アリババと40人の盗賊、なんかがその代表例なのである。
さて、そのアラビアンナイトは、9世紀のイスラーム世界でバグダッドの物語として再編され、その後17世紀のフランスに輸入され、当時まだ世界的にすぐれた文化を生み出していたイスラーム世界への憧れゆえに大流行し、そのオリエンタルな雰囲気は近代ヨーロッパを魅了した。
しかしその後、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアを中心とする帝国主義社会において、地政学的な理由から中東地域は引き裂かれ、特にWWI以降、民族紛争や宗教対立の絶えない地域となり、帝国主義、そして冷戦の終了後も混乱は続き、紛争が絶えず難民を生み出し、かたやISやアルカイダを生み出すテロリズムの温床になってしまっている。そして当然、今や古都バグダッドの歴史的建造物は破壊され、その面影を失いつつあるという。

アラジンの舞台アグラバーのモデル都市がバグダッドであることは想像に難くない。欧米諸国、そして日本などの先進国は、未だにイスラム世界の美しい最盛期を夢見て、そのレプリカを映画の中に創り出した。でも皮肉なことに、その破壊を加速させたのは紛れもなくヨーロッパ帝国主義であり、それに便乗している日米をはじめとする先進国なのだ。

それでいいのか。構造的に、破壊しておきながらも勝手に幻想を投影するのは、あまりに身勝手ではないか、と思うのだ。

④それでもよかったのは「Speachless」
でもそれらの課題を超えて、さすがだと唸らされたのは、物語の核となるNaomi Scottの歌う、"Speachless"だったと思う。

静かになんて絶対にならない、
誰もわたしを黙らせるなんてできない、
黙らされることに怯えたり震えたりなんてしない、
黙ってはいけないということだけはわかるの

あまりに力強い歌詞に、観客ははっとさせられる。
過去から今まで、理不尽な環境で黙ったことのある者なら誰でも、ジャスミンの心の叫びに共感する。黙っていたことへの後悔、そして声を上げることを決意したジャスミンへの憧憬。
そしてこれから、黙って誰かに従うものか、と武者震いする。鳥肌が立つ。
この物語が一番うまくできているのは、ジャスミンというヒロインに、人生を切り拓かせるというところなのだ。ジャスミンはこの歌を超えて、トロフィーワイフとしての役割を脱ぎ、統治者としての道を踏み出す。

この物語は、たしかに今に必死な者に勇気を与えるものだ。しかし、その一方、さらなる理不尽があることを、この映画を見られたものは忘れてはならないはずなのだ。

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