3ヶ月ぶりのお茶。止まっていた季節が、動き出す
3ヶ月ぶりの、お茶の稽古。
そろそろ再開しているかな、と思って先生に連絡したら、人数を制限しながら少しずつ始めています、とのお返事。
それだけで嬉しくて、ワクワクして、もう体温が1度くらい上がった気がする。
お茶、好きだなと以前から思っていたけど、こんなに大好きだったんだなあとあらためて気づく。
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お稽古日の今日はもう、これからデートに行くみたいに朝からそわそわ。
突然単衣の季節になったけど、着物は何を着ていこう。
いつの間にやら風炉の時期だけど、お点前どう変わるんだっけ。
頭の中で、必死に去年の夏の記憶をたどりながら歩いていたら、親切な人が「着物の裾から糸が出てますよ」と教えてくれた。
長い糸をずるずる引きずりながら歩いていて、恥ずかしい。
何回お稽古に通っても、ぼんやりは治らない。
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教室に入って、小間で静かに座っている先生の笑顔を見たら、うっかり涙が出そうになった。
「ご無事でよかった……」としばし近況報告をし合い、久しぶりのお稽古。
週末はいつも、小間に入りきらない生徒さんたちが広間に集まって、和気あいあいとおしゃべりしながら賑やかに順番を待っているのだけど、今日はたった3人の静かなお稽古。
亭主の席に座って一瞬、頭が真っ白になったけど、柄杓を蓋置に置いたら手が勝手に動き始めて、ほっとする。久しぶりすぎて、私の意識は全然ついてきていないのに、「ああ、この動きね。はいはい。次は袱紗」と身体が意識をリードしてくれる感じ。案外頼りになるじゃない、私の身体。そして、今までのお稽古は無駄じゃなかったんだな。
茶筅でしゃかしゃかとお茶を点てながら、楽しくて笑い出しそうになる。お茶碗に抹茶を入れて、かき混ぜてお客さんに飲んでもらうだけのことが、どうしてこんなに楽しいのか、何度通っても最大の謎だ。
今日は大学生の方が体験にみえていたので、彼女が人生最初に茶室で飲む抹茶がおいしい一杯になるように、と心を込めて集中して点てる。楽しい。
亭主を交代して、今度は私がお茶をいただく。
お菓子は、水無月。
ついこの間、お稽古に来たときは、ひな祭りの桜餅をいただいたのに。
「前回桜の季節だったのに、タイムスリップしたみたいに突然夏になってしまいましたね」と私は言った。
「そう。今年は旅箪笥もできなかった」と先生。
旅箪笥は、春のピクニックのお点前。去年の旅箪笥の季節には、板前のお弟子さんが菜の花のお菓子を作ってきてくれて、みんなで歓声を上げながらいただいたことを懐かしく思い出す。
いつからか、お茶室の道具や花や菓子で季節の移ろいを確かめることが習慣になっていた。だからお稽古が休みになって、私の中の季節もずっと止まっていたんだな。
私たちは1回分の春を失った。でも、こうして戻ってくることができて、季節はまたゆっくり動きはじめた。来年の春にはきっと、またみんなで笑って旅箪笥のお稽古ができる。
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これもふしぎでならないのだけれど、教室で、誰かが心を込めて点ててくれるお茶は、家で自分で点てて飲むのと全然違う味がする。同じ銘柄の抹茶なのに、まるで別の飲み物みたいに美味しい。魔法がかかっているとしか思えない。
たとえば心を込めて点てる一杯のお茶のように、なくなっても命にはかかわらないけれど、深いところで切実に心を支えてくれるものがたくさんあるのだと、この3ヶ月で痛感した。たとえば音楽、映画、絵画や本。
そして、頻繁に連絡を取り合うわけではないけれど、心のどこかで気にかけていて、再会を心から喜び合える人たちとのつながりが、人生の豊かさに直結していたことも。
これからは、誰かと会って「不要不急」の時間を共有することそのものが、特別な価値を持つ時代になるのかもしれない。
だからいつも、今日が最後かもしれないという気持ちで、目の前にいる人の一番素敵なところと出会うつもりで時を過ごしたい。そして今の自分にできる、最高に美味しいお茶を飲んでもらえるように。
生きているかぎり、お稽古はつづきます。
読んでいただきありがとうございます! ほっとひと息つけるお茶のような文章を目指しています。 よかったら、またお越しくださいね。