モチベーションゼロからのランニング
できれば、走りたくないなあ。
と、毎朝思うのである。
走ると、息が苦しい。足も疲れる。
だから、目が覚めて思考回路が動きはじめる前に、何も考えず自動的にランニング用の服に着替える。
実際に走るかどうかは、後から考えることにして、とりあえず外に出てしまう。
ランニング用のアプリを起動して、ワイヤレスイヤホンをつけて、できるだけアップテンポな、テンションが上がる音楽をかける。
近所の公園の、お気に入りのユリノキの下に行き、膝を曲げ伸ばしたり、アキレス腱を伸ばしたりする。
そのうちにだんだん「ここまできたら仕方がない。まあ、走るか」という気分になってくる。
散歩に毛の生えたようなスピードで、ゆっくり走りはじめる。
十数年ぶりにランニングを始めたのは、積極的な理由ではなくて、どちらかといえば消去法だった。
緊急事態宣言のため、通っていたヨガ教室は閉まっている。
仕事でも、私生活でも外出が極端に減ったので、運動不足がきわまっている。
増える体重。ふくらむストレス。
「…走るしかないか」
重い腰を上げて、子どもを産む前に買ったトレーニングウェアとランニングシューズを引っ張り出し、軽く準備運動をして家の周りを走ってみた。
「え、全然走れないじゃん…」
愕然とした。超スローペースで走っているのに、あっという間に息が上がり、1kmも走り続けることができない。
これでも十数年前は、いちおうランニングを習慣にしていて、10kmのマラソン大会に出たこともある。
その気になれば、それなりに走れるだろうと思っていたけれど、多忙を言い訳にシューズをしまい込んでいた間に、めっきり体力が落ちてしまったらしい。
自分に失望しつつ、後ろからやってくるランナーたちにどんどん追い抜かれてとぼとぼと走る。
息が苦しい。足が重い。もう嫌だな。走るのやめて帰ろうかな。こと体を動かすことについて、まったく根性のない私なのである。
スピードをゆるめ、ふと空を見上げたら、もみじの木があった。青々とした葉っぱの間から、太陽の光が差してくる。
ーーあれ、なんだか気持ちいい、かも。
走るのはつらい。苦しい。でも、体を一定まで追い込んだ時にふと感じる気持ちよさが確かにあって、その瞬間を味わいたいから、かつての自分はランニングを習慣にしていたんだった。すっかり忘れていた。
その日から、私はまた走ることを始めた。
最初は週に1回。疲れたら歩いてもいい。気乗りがしない日は散歩でもいい。
体が慣れると、自然に距離が伸び、回数が増えてくる。
そのうちランニングが習慣になると、「走らないと、なんか気持ち悪い」という感じになる。そこまで来ると、走ることへの抵抗が減るので、かなり楽になる。
毎日ほとんどの時間を家の中で過ごし、時間や曜日の感覚も薄れていく中、自分の体に明確な変化や進歩を感じられることは、ささやかな張り合いになる。
まだそれほど長い距離は走れないので体重は減らないが、少なくとも増加は止まった。
引きこもりの妻が体を動かしはじめたことを喜び、夫は新しいランニングシューズと、走っても息が苦しくないマスクをプレゼントしてくれた。
走ると脳に酸素がいかなくなるような気もするのだけれど、逆に朝走った方が、その日の脳の働きも活発になるみたいだ。
仕事のいろいろなアイディアを思いつくのも、たいてい走って帰ってきた後の時間。
メカニズムは分からないが、体という乗り物を定期的にメンテナンスすると、そこに乗り込んでいる心も整ってくる。
日々の雑事や気がかり、集中して考えることを妨げているあれこれを、ゆで卵の皮を剥くみたいにつるんと脱ぎ捨て、本質的なことをクリアに考えられるようになる。
走ることは私にとって、毎朝、新しい自分に生まれ変わるための脱皮みたいなものかもしれない。
Stay Homeの日々が始まって、いいことも、大変なことも、いろいろな変化があった。いずれ少しずつ遠くに出かけるようになっても、できれば走る習慣は手放さずにいたいなあと思っている。
読んでいただきありがとうございます! ほっとひと息つけるお茶のような文章を目指しています。 よかったら、またお越しくださいね。