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自分の人生が変わる前日に書いた気持ちが大きすぎた話

とても個人的な話だけど、どうしても残しておきたい感情であり、きっとこの後の私の人生にとって何かヒントになる事柄だと思うので、キーボードを走らせてみる。(書いたら6,000字を超える長作になってしまった…。時間と思考を奪ってしまうので、興味がある人だけどうぞ。)

明日は私の人生を大きく左右する日。

30代半ばも過ぎれば、幾度と人生の岐路・選択をしなければならない機会は多々あったが、自分の判断では変えられない決定で、“自分の人生が大きく変わる。”

【夫の会社の転勤有無が分かる日】


1.女性がキャリアを積み上げるということ


2008年4月。私は地元の大学を卒業後、自分自身の人生のキャリアを積む為に、上京した。
就職して社会に出るに当たり「特にこの専門分野を極めたい!」という強い意思があったかというと無かった方だか、「都会で学んだ経験と知識を持って地元に帰りたい。」という気持ちはなんとなくあった。

新人採用で人事職希望として入った某電機メーカーでは、経理職に配属され、苦手な数字と戦った。

工学部からの経理配属で、簿記の借方貸方が全く分からず決算書が読めない日々が続いたり、学生の財布の金額では見たことがないようなゼロが並んだ数字が瞬時に読めなかったり、上司や先輩への報連相の際には、周囲をチンプンカンプンにさせることを言いまくっていた。

それでも優しすぎるくらいの先輩や、ちょいちょい嫌味な先輩に手厚く指導を受けながら、決算書が読めるようになり、数字が会社の全てを教えてくれることを知った。
新人配属の職種が嫌だ嫌だと苦しんでいたあの日から徐々に変わり、経理職に配属されたことを誇りに思うようになっていた。

そんな新人時代を過ぎ、社会人4年目になる頃には、経理システムの開発や運営に携わり、連結会社へのシステム導入を進めるプロジェクトを行っていた。

当時、古くから続く大手電機メーカーの女性管理職の割合は(たしか)1割にも満たず、「女性活躍推進室」という部署があるほど、社内改革をしようとしていたことを記憶している。女性管理職を増やすプロジェクトが水面下で行われていたり、育休産休の取りやすさを推進していた。

私は社会人4年目、当時お付き合いをしていた今の夫と結婚し新婚生活が始まった。仕事では少し大きなプロジェクトを任され、公私共に充実させようと、張り切っていた。

いつかの上司との飲み会で言われた言葉が今でも記憶に残っている。

『こんな言い方をすると、パワハラマタハラになるかもしれないが、正直今は子どもは作らないで欲しい。このプロジェクトが終わるまで少し待ってくれないか?』と。

この言葉を聞いて、どう感じるだろうか?

他人に子どもをいつ作れ、いつ作るな、などいう権利は無い。そして子どもができるかどうかは簡単な話じゃ無い。

視点を変えて揚げ足をとればいくらでも取れる。

でも、私は当時その言葉を聞いたときに、パワハラマタハラとは微塵も感じず、いちプロジェクトメンバーとして期待をしてくれている上司の気持ちが心から嬉しかった。まだ若手社員の私に、そこまで期待してくれているのだと。

たった4人(男1女3)のチームだったけど、多くの仕事量と熱い上司と先輩に恵まれ、とてもやる気がみなぎる職場と業務内容だった。
繁忙期には終電間際まで仕事をしたり、徹夜で企画を進めた時もあった。

きっとこのプロジェクトがうまく終われば、私も一つキャリアを積むことができるかもしれない。仕事って楽しい。女性活躍推進と叫ばれる中で、女性としてちゃんと成果を出して行きたい。世の中の役に立ちたい。そんなことを考えながら年度末の繁忙期を迎えようとしていた時だった。

別の会社に勤めている、夫からの電話。

夫『奄美大島へ転勤になった。』

2.人生の全てを失ったように感じたあの日


日本中の様々な会社や公務員の転勤は往々にして、会社優先であると感じる。

子育てや親の介護、自分自身のキャリア選択よりも会社都合での転勤が優先され、転勤に応じなければ、退職、またはパートナーが一手に家庭の役割を担い単身赴任という形がいまだ主流である。

そして、男性の転勤で人生が変わる女性の方が割合が多いと思う。転勤族の妻は「転妻」と言われ、「転夫」という言葉は聞かない。


話を自分の過去の話に戻す。
夫からの突然の電話報告に心からびっくりしていたが、二つ返事で私の口から出ていた言葉は、「貴方に付いていきます。」だった。

本心は、ゴールが1年ないし半年後のプロジェクトを最後までやりきりたい。このまま自分の仕事を中途半端に終わらせたくない。
でも、、、ここで「東京に残りたい」という言葉を発せられるほど、夫婦での離島と東京の遠距離生活が想像できなかった。


翌日、上司と部長に夫の転勤が決まったことを伝えた。

上司も部長も、「そうか、ついていくと決めたのか。」と、悔しがってくれた姿は今でも覚えている。

上司は、「〇〇(苗字)が、プロジェクトを最後まで見届けられないのは仕方ないにしろ、会社を辞めるのは勿体無い。旦那さんの転勤の間に休職扱いにできないか人事に確認してみる。」
と、色々ともがいてくれたが、当時の会社の規定ではどうにもできなかった。

夫は転勤発表の1ヶ月後、4月から奄美大島へ。
私は引き継ぎなどもあったため、3ヶ月後の7月に離島へと住居を移した。

転勤が決まってからの3ヶ月。
繰り返される送別会の中で、何度も泣いたし、またこの会社に戻ってきたいと酒の席で訴えた。

仕事を辞め、少しだけ地元に寄った後に、気持ち新たにフェリーに乗り込み新天地の離島へと向かった。

学生時代に一度、ダイビングと企業インターンシップで訪れていた島ではあるが、ほとんど未開拓な地。初めて降りた街の港の匂いは潮の匂いに包まれ、懐かしい感じがした。

大きなコンテナ1つで運ばれてきた荷物をほどきながら、ワイドショーを見て昼寝をする日々。夫は日中に仕事に行っているので、基本、人と会話をすることなく過ごし、たまに綺麗すぎるほどの海をぼーっと眺めに行く。

元同僚たちに奄美の写真を送って、元気にしていることを報告する。すると返信で、「プロジェクトがここまで進んでるよ!」という報告を受け、嫉妬をしている自分に気づいた。


食べ物は美味しい。
海は綺麗。
自然は豊か。

でも、、、、
仕事がない。友達も知り合いもいない。話し相手がいない。

1ヶ月近く、同じルーチンの中、引きこもり生活が続いた。


今までの時間の使い方とのギャップがありすぎて、この地での過ごし方が分からなかった。

仕事・キャリア・夢・友達…
何もかもを失った気がした。

自分の人生はこの先どうなるのだろう?
例え数年間でこの地に慣れたとして、また転勤という作用で私の人生は一から振り出しに戻るんだ。

初めて人生で大きな挫折を感じた瞬間だったかもしれない。

その後、島に移住して1ヶ月経った頃。
「誰でもいいから繋がりたい!友達が欲しい!」と思い、ひょんな事から飲み屋で逆ナンをしてできた島での初めてのお友達(30歳上のおじさん=今ではこの地のお父さん的存在)経由で、繋がりが増えた。(※ここについては話したいことがたくさんあるけど、今回は割愛。)

仕事も今までのようにとは言わなかったものの、とある行政部門の事務職でパートをすることになり、社会との繋がりも少なからず感じられるようになった。

島生活にもようやく慣れ、同世代の友達もできて、なんとか転勤生活を楽しんでいた矢先、次の転機となる。

【娘の妊娠】

小さな命がお腹に宿り、妊娠していることが分かった時、大きな喜びと同時に悩みにぶち当たった。

パートの仕事が半年の契約更新だったため、悪阻(つわり)で休みがちになっていた私は、このままでは職場に迷惑をかけてしまうと、契約更新をしなかった。

仕事を辞め、家の掃除をしながら、ワイドショーをなんとなくつけて1日が過ぎる日々。
「仕事をしない」という事実が、社会との接点を無くし、世の中から取り残されている感覚さえもあった。二度目の挫折感を感じた。

このままではダメだ。
転勤族でも、子育て中でも、自分らしく生きていきたい。この沼から出ていかなければ、いつまでも自分の人生を歩けない。

どこでも働ける働き方、子育て中でも働ける働き方を実践していかなきゃ。作り出さなきゃ。そう感じ、たまたま育児本で出会った「ベビーマッサージ」に惹かれ講師資格を勉強し、娘の出産と同時に資格取得をし、個人事業主として小さくお家開業にチャレンジしてみた。

3.がむしゃらに積み上げてきたチャレンジ経験

それからは、子育て中のママとの交流が増え、悩みを共有しあい、子育て中でも子どもと一緒に、ママも主役で、いろんな企画や取り組みを行ってきた。

なかでも、とあるNPOの活動を通してできた仲間たちとは、苦楽を共にし、一人の人間としての夢を語り合ってきた。

「転勤する前はディーラーの仕事をしていた。もう少し頑張ってみたかった。」

「子どもができる前は、ダイビングを趣味でやっていたけど今はそんな時間もお金もない。」

「ハンドメイドが好きだから、本当は雑貨屋さんを開業してみたい。」

「自分の能力を発揮して仕事をしたいけど、そんな働き場が無い。」

「資格取得したいけど、島じゃ学ぶ場が無い。」

「島外に出て資格取得したけど、それを発揮する場が無い。」

ママとして、妻として、
ではなく、みんなそれぞれ一人の女性として「やりたいこと」「夢」を持っていることを再認識した。

【でもね、夢を叶えられる場所がないんだよね。】


こんなに想いもスキルも持っている人たちがたくさんいるのに、それを世の中に提供できていない未来って勿体無くないですか?

転妻になったから。子育て中だから。という言葉で諦めてしまう未来、勿体無くないですか?

という問いを、何度も何度も自分や周りに掛けながら、創り上げてきた場所がチャレンジ&コミュニティスペース「HUB a nice d!」

一人ひとりのやりたいこと・夢を叶えられる場が作りたいという想いで、完全素人が物件リノベーション&運営という大きすぎるチャレンジに向けて一歩を踏み出した瞬間だった。

なかなか貸してもらえない空き家問題に1年半くらい悩まされながら、ようやく貸してもらえた築63年空き家歴5年以上の物件。
解体してみるとシロアリだらけの大工・設計士泣かせの物件。

それでも地域の方々に何度も助けてもらいながら、資金難に陥った時には行政の人からアドバイスももらいながら、DIYでできるところは自分たちで手を動かしながら、多くの人たちの手を借りながら1年半の工期を経て生まれた大切な場所。

・転勤妻が期間限定でカフェを開いたり
・地域の兄ちゃんが副業で週末居酒屋をやったり
・土曜日のみオープンのカレー屋があったり
・中高生とボードゲームや勉強会をしたり
・子育て中の親の居場所になったり
・地域の寺子屋的な学習塾がやっていたり
・創業支援の場だったり
・商品開発がされたり
・ヨガや、映画鑑賞や、歓送迎会や、美大学生の美術展や、写真家の展示が行われていたり…

HUB a nice d!完成後2年半で、ここには書ききれないほどのいろんな夢の芽が出てきたと思う。

どのチャレンジも、その人一人一人の想いと行動が結びついてできた事柄。

今こうして長文を書いている間にも、
関わってくださった方々や場所を利用してくださった方々へ最大の感謝と、これからもよろしくお願いしますという気持ちで胸がいっぱい。

そして、まだまだ私もこの場でやりたいことがたくさんある。叶えたい夢がたくさんある。


それを気づかせてくれたのは「転勤」
転勤を機に、奄美大島に移住して出会った人々との繋がりと、自分の経験、家族の経験があったから。

ここまで書いてきたことは、今までHUB a nice d!を立ち上げるまで、そして立ち上げてからの想いと経験。

明日の転勤発表を知った後からは、この感情が少し変わると思い、改めて書き残しておきたいと思った。

4.日本の転勤のシステムについて思うこと


実は、3年前、HUB a nice d!工事中の期間に、夫には次の転勤辞令が出て、今は別々に暮らしている。言わば単身赴任。奄美と鹿児島の2拠点生活。

夫の転勤で奄美大島に来たのに、逆単身赴任。3年前に夫の転勤辞令が出た時に、私が「工事もまだ終わってない物件を途中で投げ出したくない、奄美に残りたい。単身赴任をお願いしたい。」と夫に相談したところ、娘と離れることに淋しそうな顔をしながらも、即答で私の意思を尊重してくれた。

娘には側に父がいない生活で3年間淋しい思いをさせながらも、わたしが弱音を吐くもんかとワンオペで育児と仕事を行ってきた。親子で日々の生活が離れていても、娘が父親に対する愛情は増しましで、月1の再会は見ていてほっこりする。

妻が残るという単身赴任を決めた時、おそらくそんな家族は今までこの地に多くはないだろうからか、心無い噂話が自分の耳に入ってくることもあった。
「子どもが可哀想」「夫婦仲悪いのかな?」「離婚するんじゃない?」

家族にはいろんな形があり、家族しかわからない事情や価値観がある。

誰が言ってるか分からない外野の声なんか「うっっせぇわ」と思いながらも、ちゃんと傷つき不安になった。

それでも我が家は我が家なりに経験を積み、絆を深めた3年間だと私は思っている。
しかし、やはり今後の「家族の人生プラン」を考えると単身赴任を解消するという決断をした。

だから、来年度の転勤有無次第で、どこに住み一緒に暮らすのか、が決まる。

生活拠点を変えることは、大人でも大きな不安や壁がある。それに加えて子どもがいると、家族一人ひとりに新しい環境があり、友達作りや新生活に慣れていく必要がある。

心機一転、気持ちを入れ替え頑張ろう、楽しもう!と思う気持ちと、
新しい場所で頑張らなきゃ!というストレスの両方を抱えて、新たな地で人生を踏み出すことになる。

わたし自身、転勤という制度については、全てを否定するものではない。定期的に新しい地や職場で働くことで、知見が広がり経験値が上がったり、癒着が生まれるリスクを無くすという会社の人材育成としてスキルアップをする作用があると思う。

しかし、今の日本の転勤制度を眺めていると、転妻として、いくつか思うところがある。

1.転勤の準備期間がもう少し欲しい。

それぞれの会社において制度は違うものと承知の上で、夫の会社は転勤発表は1ヶ月前。公務員の先生や官公庁の人たちは2−3週間前に次の勤務先が決まるという話をこの時期によく聞く。

引っ越し準備でもかなりの時間と労力がかかるのに、仕事をしながらや子育てをしながら、次の学校手続きや仕事の引き継ぎや転入居手続きなど、寝る暇がなくなる。

個人的には、せめて、2ヶ月くらい欲しい…。

2.転勤命令を断ると退職?の不安

会社命令の転勤発表。「今は親の介護のため、パートナーの仕事のため、子育てのため、異動したくないです。」という意思を伝えた場合、どうなるのだろうか?その希望は聞き入れてもらえるのだろうか?

とある海外の国では、会社から転勤の打診があった際に、社員が転勤可否を宣言できるのが普通になっているという話をどこかで聞いた。

日本の多くの企業も、転勤希望、家族の状況やライフプランも考慮してくれる会社だったら、もっともっと好きになるのにな。(今でも夫の会社は好きだし感謝の気持ちもあるけど。)

3.男の転勤に女がついていくという割合の多さ

わたしの周りで、「夫の転勤でこの地に来ました。」という話は多々聞くが、「妻の仕事の転勤で、夫が仕事を辞めてこの地に来ました。」というケースをあまり聞いたことがない。

これは田舎だから離島だから耳にしないだけかもしれないが、日本はまだまだ転勤は男性社会の制度であるように思える。

これは、今自分自身が興味を示しているSDGsの中の「5 ジェンダー平等を実現しよう」にも繋がってくるのではないかと。


と、色々と思うことは多々あるが

「転勤」という転機を通して、
わたしの人生は大きく変わり、たくさんのものを得て、地域の人たちに感謝し、周りに生かされているということを知った。一人では生きていけないことを改めて感じた。

さて、この後数時間後。
自分自身が、どんな感情になりどんなことを思い行動するのだろうか。

不安90パーセントと、少しの楽しみが10パーセントくらいを胸に、そろそろ眠りにつくとしよう。

ここまで長々とお付き合いくださりありがとうございました。

#あの選択をしたから

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