音は生もの。
また夜中に書いている…。昼間に書けばいいのに、なんで昼間には書けないんだろう…。いや、書こうとは思っているのに書こうとすると違う雑念(?)がよぎってしまうんだよな…。
……はぁ、言い訳でした。(笑)
この日は何を書こう、なんていう風に思ってこのnoteを書いていないから、きまぐれなネタになってしまいがちなの(いや、もう がち というより、そうなっている)です。頭にはいっぱい書きたいネタはあるのだけれど、どう整理したらいいのかとか、何をどう伝えようかとか考え始めるとややこしくなってしまうんだ…。…結局何を言いたいんだ?って。
そんなことばかりをぽかぽかの昼間にぐるぐると考えたくなくて、夜になってからだもこころも落ち着いて考えたいなと思うのです…。
……さらなる言い訳でした。
まぁいいや。
最近、といってもここ3,4日はなんだか起きたときから元気なので、朝(午前中、と言った方が正しい。笑)から音楽をかけています。お部屋の緑の効果かなぁ…?!
わたしは気分が高まると音楽を愛でる性質があります。(笑)
晴れがあまりにも気持ちよすぎると、窓を開けて、ちょっとボリュームを大きめに、晴れに見合う音楽を流してみたり、私自身がピアノで”晴れ”な雰囲気の曲を即興で作ってみちゃったり。
雨の時は雨な雰囲気の曲も作るよ。
…多くの人には驚かれるけれど、そんなすごいようなものではないよ、曲をつくるって。わたしの場合はね。アーティストとかみたいに本腰入れてつくったものではないし、ただその時に頭に浮かんだ音で、左手が弾くベースの音に右手のメロディーだけを重ねた本当に単純なもの。
…だから傍から聞いていれば、私の弾く音はめちゃくちゃ単純で、へたくそ。技術量が圧倒的に足りていないので、全然バラエティーに富んだ音が出せないしね。
でも、いろいろな曲のプロのピアノアレンジを聴いたりとかして、少しずつ勉強しています。…でもなかなかムズカシイ…。
やっぱり本業で音楽を奏でるひとたちって本当にすごいんだなぁ、とつくづく思う。曲の端々に才能が光っている。
実は私、それでも今は、左手がまだマシになった方なのです。
ピアノは小学校1年生の冬あたりから合わせて3年半くらい(途中ちょっとやめたときもあった)しか習っていなくて、あとは趣味の範囲でやっていました。4、5年くらい前までは楽譜以外のものは何も弾けなくて、なんで左手がつけられるのか(メロディーに対するベースの音がわかるのか)が全然わかりませんでした。
…ギターで言うコード、だね。
でも、人気な曲によくある、"カノン調"的なものの仕組みがわかってから、少しずつ、少しずつ曲の解明ができてきたの…!!
わたしの好きな曲をよく聴いてみたら、そのほとんどがカノンのコード進行と同じだって気づいたのです…!!!!(笑)
(わからないひと向けに…カノンのメロディにドからシ、ラ、ソ、、って降りていく音(もしくはド、ソ、ラ、ミ、ファ、レ、ファ、ソを繰り返す)を付けるといい感じの伴奏になる、それがわたしの言う"カノン調"です。わたしが作った調の名前です。笑)
それからだんだん楽譜から離れられる時間が増えていきました。
ピアノを習っているときに、必ず毎回教えてもらっていた、メジャー(明るい)和音の練習が功を奏したっていうこともだいぶ大きいかもしれない。
そして好きな曲たちの1番下にある音を探し続けて、音楽を聴き続けたら、いつのまにかもう楽譜はほとんどいらなくなった。
なんだろう、そのきもちって、
絵を書くことが好きな人が、マス目のあるノートから、真っ白な大きいキャンバスに絵を描くのを許されていく時のようなきもちかなぁ。笑
その時はじめて、音楽が楽しいって思えた。心から。
それまでも楽しかったけれど、それは楽譜をいかに間違えずに弾けるかっていう達成感だった。
…いわゆるコンボ数を狙う音ゲー感覚。笑
でも、たぶん音楽って聴いて心地良い、弾いていて心地良いものが本当の理想で、わたしは後者を掴むのに時間がかかった。し、今でもまだまだ追求しているけれど、自分で探していった音にメロディーがうまく噛み合わさると、"生"でつくりだした音に、合わせたい!と思った"生"の自分の気持ちが重なり合って、今、あぁ、音を奏でている、って思えるんだ。
それが、ものすごくきもちがいい。
だから、わたしはしばらく楽譜とは離れることにしたよ。
また戻りたいなって思うまで。
音も、きもちも、食べものも、鮮度って重要ね。
これからは少しずつ、自分が音を生み出していきたいな。
自分が好きだと思える音を、少しでも多く作ろう。
一緒に手がけてくれる方、募集中です☺︎
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