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弱さで人に寄り添えるか

毎日noteを書いていると、明るい話題ばかりでは足りなくなってくる。もともとすぐ不安に思ってしまったり、悩んでしまうことが多い性格なので、ストレートに心のぼやきを出すと弱々しいnoteで埋め尽くされてしまう。

だからブログで自分の考えを公開する、なんてことは、とてもじゃないけど出来なかった。自分の思っていることが筒抜けになってしまうことで、周りからマイナスなイメージを持たれることを怖がる気持ちが多かった。「思っていることを書いたらマイナスイメージになるなじゃないか」なんて、ネガティブ思考に拍車がかかる。

それでも「毎日書く」と決めてからは、そんな感情が麻痺してしまったかのように、つらつらと思っていることを日々書けるようになった。最初は「仕事のスキルアップに」と思って始めたものの、次第に自分の気持ちを整理する場に置き換わり、誰が何を思うかなんて気にせず書き出した。

すると「弱さを見せてくれてほっとした」とか、「自分だけだと思っていた感情をもっていて安心した」とか、ネガティブなことを開示したことによる支持をぽつりぽつりと受け取りはじめたのだ。

SNSでいいねを押したり、twitterでリツイートしたりする言葉は、自分がいいなと思ったもの、共感したものだ。ではどうして共感したのか。それはきっと、「今まで思っていたけれど言葉に表せなかったこと」、「言いたいけど言えなかったこと」を代弁してくれているからこそ、深い共感を呼びリツイートやいいねをしたくなるのだろう。

きっとWeb記事も、本も、雑誌も、世の中に存在する文章や言葉は「代弁」するからこそ支持されて、共感を呼ぶ。私たちはいつも、自分の想いを誰かに託し、大きな声で言ってくれることを望んでいるのかもしれない。

些細なことで困っては悩み、周りに相談して、解決のヒントをもらって実践する。毎日そんなことの繰り返しを過ごしている中で、これら一連の流れが、インターネットの誰かに届くことを知った。

友達がいなければ一人で解決することも難しくて、どうしてこんなに生きづらいのかと悩みを深くする日も数えたらきりがない。けれど書くことで、それも無駄じゃなくなるのかもしれない。

これが誰かの代弁になるなら、弱さも"強さ"に変えられる。それで誰かに寄り添える。なんだかそんな気がしてきた。


去年の毎日note


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