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時代を作る「男の子に可愛げを、女の子に剛毅果断、自立の精神を」

読んでいてヒリヒリする。青空の下で炭酸水を飲んだ時の気持ちにもなるし、誰かに包丁を向けられている気分にもなる。


「男が女に子供を産ませ、家を守らせる、というのではなくて、女が、その男の子供を産んでやり、家をチャンとととのえてやり、男が世の中へ出て働けるようにしてやる。そのおかげで男は一人前の顔をして世渡りができるのだ」
(田辺聖子著『いっしょにお茶を』)

この文章を私が見たのは、『高校生のための文章読本』から。"女性"という立場からすると、この文章はなんともスカッとする。今の時代でもなぜだか女性は尊重されない場面に出くわすし、料理をする=良いお嫁さんになるなんて何の悪気もなく言われたりするものだから、ちょっと大げさでもこんなに言い切ってもらえるのは心の通気性がよくなったような気分だ。

けれど同時に、こんなに言いきっていいのだろうかとも思う。手放しで共感を示したら、誰かに刺されるんじゃないかとソワソワしてしまう。どちらかが一方的に何かをしてあげているだけ、ということは無いし、それが男女である必要もない。お互い支え合い、尊重し合えるパートナーがいればそれでいいんじゃないか、というのが今の時代なのではと思うからだ。

『いっしょにお茶を』の発行年を見ることにした。1984年。初めて聞いた時に衝撃を受けた、さだまさしの「関白宣言」は1986年。中学校で家庭科の授業が男女共修になったのは1995年と言われているから、たぶん当時は「男は外で働き女を養い、女は家で男の帰りを待つ」みたいなことが常識だったのかもしれない。

その時代にあの文章が出たのなら、想像される景色も違ってくる。今となっては極端に思える意見があってこそ、私は「お互いを尊重し合えるパートナーがいい」と言えるのだろう。

「男の子に可愛げを、女の子に剛毅果断、自立の精神を、というのが、私の年来のねがいなのであって、そうすれば、家庭における男尊女卑思想はなくなるかもしれない。男の子だから、食後、テレビを見ていてもよい、女の子だかあら台所を流しなさい、という躾は私は反対で、将来、イイ女にみとめられる男に育てようとすれば、阿保な生活無能力者にせず、どんどん、家の仕事もさせるべきである」

時が経って2020年は、可愛げ、剛毅果断、自立の精神が男女ともに必要なのではと思っている。男のほうが上、女の方が上、そんなギロンを超えた先の"どちらも尊い"が見えてきている。お互いが選び選ばれる時代が訪れている。そしてそんな思想が築ける基盤を作ってくれたのは、この文章を始めとした剛毅果断な人たちなのだろう。

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