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日本に住むことも、書くことも、好きなことは叶うまで続けた——31企画インタビュー

誰にインタビューしたの?

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今働いている会社「MATCHA」の元同僚で、台湾人編集者のリさん。

ゆっくり日本語を話し、時々間違えては「むずかしいーー!」と叫ぶ姿がとっても可愛い! 穏やかな性格で、いつもニコニコしていて、ジェスチャーが多い彼女。1日がかりのディズニー取材を一緒に重ねるうちに、彼女の魅力にすっかりハマっていってしまった。

仕事は不自由なく行えるし、私の話にはクスっと笑える返しをしてくれるので、リさんが外国籍であることをたまに忘れてしまうこともある。けれど改めて考えると、リさんは「外国語を使って海外で働いている」人。大学時代に私がずっと憧れていたことを、日本で実践している人だ。

母国を離れ海外で暮らし働くって、一体どんな感じなんだろう。海外の人が日本で暮らす大変さって? 自分が憧れていた“海外生活“を送っているリさんに、日本で生活することについて聞いてみた。

働きながら日本語を勉強、お金を貯めて日本へ

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リさんが日本に来たのは2015年、27歳の時。小さい頃から「海外に住むこと」が夢だった彼女は、大学卒業後に働きながら留学資金を貯め、満を期して日本にやってきた。

リさん:「高校の頃に家族旅行で日本へ来て、過ごしやすそうだなと思ったことが、日本を選んだきっかけ。欧米も考えていたけれど、大学時代に通い始めた日本語の先生がすごく良い人で、『やっぱり日本だ!』って思った」

毎回授業が楽しみだったというリさん。教えてくれるトピックが、リさんの興味とぴったり合っていたらしい。

リさん:「先生は日本の文化や今流行っていることを、マンガや雑誌を使って色々教えてくれたの。先生が説明のために、ホワイトボードに書いてくれる絵も好きだったな。

日本に行きたいと思う人は日本のアニメやマンガが好きな人が多いんだけど、私はあまり興味が無くて。それ以外のことを先生が教えてくれたおかげで、どんどん日本に興味が湧いてきてたの。授業以外でも日本のことをよく調べるようになった!」

日本語の勉強が楽しかったからか、リさんは最初の来日も語学留学を選んだ。「語学留学」というと、周りでは学生時代に行っている人がほとんどだ。リさんはどうして社会人になってからだったのだろう。

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リさん:「先行した経済学部には留学制度が無かったの。両親から『就職のために大学では経済を専攻したほうがいい』と言われていたのと、高校もビジネス関係の授業があるところに行っていたから、大学は進学を考えて経済系に進んだ。

けれどずっと『本当にこれが自分の道なのかな?』という違和感はあって。だから就職して社会人経験を積んで、自分でお金を稼げるようになったら留学をしよう! と思って就職することにしたよ」

両親の言うこともわかるけれど、自分の夢も叶えたい。そこでまずは就職を選び、貿易会社や老舗のお菓子屋さんなど数社を経験したという。

社会人になってからも日本語の塾は通い続けていたそう。「仕事後に習い事なんて偉いね」と周りからは言われていたが、リさんにとって授業は「リラックスできる時間」だったと話していた。

就職しても、自分の興味がある勉強をコツコツ続け、最終的には長年の夢を実現して日本へ。夢を夢で終わらせてしまう人も多い中、リさんはしっかり実現させた。

夢を叶えた留学と、諦められずに決めたワーホリ

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準備をしていざ留学! 千葉の大学で行われていた、日本語学習プログラムを受けに日本へやってきたリさん。最初は半年間を考えていたけれど、教室の先生に「費用は一部サポートするから、1年間勉強してみない?」と勧められ1年間の留学が叶ったそう。


27歳の私はというと、海外で働きたい気持ちと不安な気持ちを行き来していた。理由はリさんと似た「海外で暮らしてみたい」から。

けれど仕事を辞めて行くと「行った後はどんなキャリアがある?」と心配だし、会社の海外交換プログラムを受けようと思っても、30歳以降になってしまう。「もしかして婚期逃す……?」なんて、特に結婚したかったわけでもないのに、先の見えない予定にぐらぐら振り回されていた。

リさんは同じような悩み、あったのだろうか。

リさん:「帰国後どうするか、悩んだよー! 最初は『夢が叶った』という気持ちのほうが大きかったし、新しい環境に慣れることに夢中だったけど、残りの滞在が少なくなるとどんどん不安を感じてきて。 

日本に恋人もいたから、残りたい気持ちが大きかった。けれど日本語を使った仕事をするにしても自信が無くて……。とは言え帰って台湾で就職できる? と考えると不安で、これから先どうしようって思ってた」

悩んでいるうちに帰国日が迫り、1度は台湾に帰ったという。そこでお父さんから、「ワーキングホリデーでもう1年行ってみてもいいんじゃないか?」と後押ししてもらったことがきっかけで、ワーキングホリデー制度(ワーホリ)を使って2度目の日本行きを決めたのだそう。

そしてワーホリ中の仕事を探していた時に、私たちが一緒に働いていた「MATCHA」を見つけたという。

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リさん:「ワーホリ中の仕事を探している時、MATCHAを見つけて繁体字版の編集長に連絡をしてみたの。

履歴書を送ったらすぐに『いつから仕事できる?』と言ってもらえて、週1~2回くらいの頻度で通ってたんだけど、家が遠すぎて交通費が払えないと言われて(笑)オフィスに行かず、ライターだけをやっていたかな」

そういえば以前、「リさんの交通費が高すぎてオフィスに呼べなくなった」という話を聞いたことがある。当時は彼氏と一緒に木更津付近に住んでいて、MATCHAに出社するときは朝5時起き、長距離バスに乗っての出社だったらしい。それにしても「交通費払えない」なんて、当時どれだけ大変だったんだ……!

ちなみにワーホリ中は、ほかでもフリーでライティング仕事を受けていたそうだ。けれど聞いている限りでは、今までの職業に「ライター」は無い。

MATCHAでも未経験の人はあまり採用していないし、どうしてワーホリではライターの仕事ができたのだろう。聞いてみると、「日本に来る前からずっとブログを書いていた」と返ってきた。

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リさん:「食べるのが大好きだから、実家のある台中を中心に、飲食店に行った時の様子を撮影してブログにあげていて。台湾にいるときもちょこちょこ取材の仕事を受けてたし、いつかこれが仕事になればいいなってずっと思ってたんだ。

留学中は日本の生活についてブログでシェアしていたから、そこからクライアントさんが連絡くれて……ってことが多かったな」

ブログも留学と同じように、「いつかは仕事にしたい」と願っていたもの。「最後のチャンス」と思って飛び込んだワーホリで、今までコツコツ積み上げてきたライティングの成果が出るなんて、素敵なサクセスストーリー。

リさんが密かに抱いていた夢が、来日をきっかけにどんどん実現していっているようだ。

「日本にはもう夢が無い」と思った。就職、パワハラを経てMATCHAへ

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ワーホリを終え、そのままMATCHAの社員へ! ……と思いきや、実はリさんはもともと違う会社にいたらしい。ワーホリが終わることをブログに書いたら、「私が働いている会社で正社員を募集してるから、受けにこない?」と別の台湾人ブロガーさんから連絡をもらったそう。

無事面接も通り、採用が決まり、就職ビザを取り直して3回目の来日! トントン拍子で進んでいたように見えたけれど、就職してから待ちうけていたのはパワハラの日々だった。

リさん:「配属された部署の上司と相性が全然合わなくて。1か月も経たないうちに、土曜日には月曜日のことを考えて泣くようになっちゃった。

上司から『あなたの日本語は下手。私たちを騙して入ってきたの?』と言われたり、SNSやブログをずっとチェックされて嫌味を言われたり……」

日本にはもう夢が無いと思った」。難しい顔をしてリさんは言う。

たとえ「住みたい」と思った場所でも、そこで出会う人との関係によって印象は変わってしまう。その場所を好きでいられるかどうかは、きっとかなり不確かなことなのだろう。

2か月間頑張った末に限界が訪れ、辞めようと思っていた時に、MATCHAが社員募集をしていたのを見つけたのだそう。

リさん:「前職の上司には『ここをやめたらほかに採用してくれる場所なんかないよ』と言われてたから、MATCHAを受けてダメだったら台湾に帰ろうと思った。だから無事に就職できてよかったよ!」

MATCHAに入って、“夢の無い日本“で終わらなかったことにほっとした。

難しいけど居心地も良い「あいまい文化」

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MATCHAは社員の3分の1が外国籍メンバーで、傍から見たらグローバルな会社かもしれないが、役員は日本人、共通語は日本語なので、日本の企業と特に変わりはない印象だ。そんな日本企業で働いていると、言語の違いはもちろん、考え方や働き方も違うはず。

リさんが感じた台湾とのギャップは、「会議が長い!」ことだったという。

リさん:「結論が出なさそうな会議でも、みんな時間をかけるよね。台湾で働いていたときは、結論が出ないと思ったらいったん解散してたんだけど、日本人は粘るなぁって。

自分の主張をする人も少ないから、『どう思う?』と聞いた時にみんな様子を伺っていたり。日本人ならではの気遣いもあると思うけど、会議の雰囲気を理解するのに時間がかかったな」

自分の意見、とりわけ「No」を伝える場面は極力避けるのが日本人の文化だ。学生時代のアルバイトでも「お客様に『できない』とは言わないように」と教えられてきたし、仕事で何か断る必要が出たとき、「~できかねます」や、「~は困難です」など、「できない」と言わないようにしている。

角を立てずにやんわりと断ることは、相手を思った行動の現れとも言えるだろう。けれどリさんをはじめとした「あいまい文化」に慣れていない人は、「できるの、できないの、どっち!?」となってしまうのかもしれない。

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リさん:「たとえば取材する時、お店側でできないことがあってもはっきり言ってくれなくて、困ったことも多かった。取材にあたってお願いしたいことを何度もメールで送ったのに返事をくれなくて、当日断られることもあったよ」

MATCHAで取材をするときは、取材先のやりとりやインタビューはすべて日本語。特にメールでの日本独特の言い回しに苦戦したそう。「『~できますと幸いです』の日本語も混乱した!」と言い、「むずかしいーー!」と叫んでいた。

リさん:「慣れるまでは日本語で取材がすごく怖かった! 今まで勉強してきた日本語も半分くらいしか使えなかったの。メールを送るのも緊張したよ」

リさんブログ

▲「【分享】我的日文學習之路(初級到日檢1級)」より

母国語以外の言語を使う時、「言葉遣いは間違っていないか」や「文法は正しく使えているか」など気になるポイントは多いはず。以前私が英語でメールを書いた時は、必死で作文したものを英語版編集者に確認してもらい、恐る恐る送った記憶がある。

メール1本でこんなに緊張するのだから、外国語で取材となるとかなりハードルが高いはず。それにも関わらず1か月3本近く取材記事を書いているリさんや編集部員……。日本語でしか取材できない自分がなんだか情けなくもなってくる。

ただ、今ぐらいに話せるならそんなに問題なかったのかな? と思ったものの、日本語を日常的に話すようになったは会社員になってからだったそう。

リさん:「留学中は周りのクラスメイトが台湾人や中国人で、日本人の友達がなかなかできなかった。彼もアメリカ人で中国語が話せるし、日本語教室やイベントも木更津に住んでいたからあまり機会がなくて。働き始めた頃はすごく大変だったよ」

留学生はどこの国でも、現地の人と知り合うのが難しい。語学学校には非ネイティブの人が集まって授業を受けているわけだし、ホームスティでもしないかぎり現地の人と話すのはお店の店員くらい。学生時代3か国に短期留学した時も、現地の人と友達になれたのは片手で数え切れてしまうほどだった。

そもそも機会が無いことに加えて、リさんは"日本人の距離感"も積極的に近づけなかった理由の1つだという。

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リさん:「『こんど一緒にご飯行こう』と言われた時、本当にご飯に行きたいと思っているのか、その時言っただけなのかを理解するのが難しい。

『いつ行ける?』と聞いて、ちゃんと返事をもらえなかった時はちょっと寂しかった。本音と建前の見分け方が知りたい!」

これはよくやるし、やられる……!! 

その時の自分の状況で「今遊ぶ予定は立てたくないな」と思う時にお誘いを受けても、相手に理由をはっきり伝えて断ることは少ない。自分がされても少し寂しいとは思いつつ、「きっと何かあるんだろうな」と考えるけれど、これが「日本の文化」だとしたら、習慣の無い人には理解が難しいのかもしれない。

自分の意見を言わないし、本音で話そうとも思わない日本人て……と引っ込みがちな日本人の特性にマイナスイメージを浮かべる一方、"日本人の距離感は好きでもある"ともリさんは言う。

リさん:「台湾人なら初めて会う人にも『今何歳?』『彼氏はいる?』『給料どのくらい?』と聞く人が多い。あと、並んでいる時の人の距離感も近い(笑)。

私はすぐプライベートな質問をされるのが苦手だから、日本が好きだなって思ったことの1つが、人の距離感だったな。暮らしていてすごく居心地がいいなって思う」

あいまい文化も"距離感"も、きっと「周りの人とうまくやっていく」ことを尊重する日本人なりのやり方だ。それが合う合わないは人によるけれど、決して「良い」「悪い」の一方的な側面だけではないようだ。

結婚と退職を経て、今後やりたいことは?

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リさんは今年結婚し、7月末でMATCHAを退職。引越しで東京を離れることから、毎日の出社が厳しくなり業務委託に切り替わった(さすがに交通費は出してもらえる会社になったけれど)。

結婚を期に台湾への帰国も考えたそう。けれど日本の空気も合うし、居心地もいい。やりたかった仕事もできるこの環境を考えて、これからも日本に住むことを選んだと言ってくれた。

リさん:「最初は『日本ってよさそう』くらいの感じで住む場所を決めた。そして住んでいるうちにいい点も悪い点もみて、自分の国とも比べながら、毎日起こる新しいことがどんどん日本を好きにさせてくれたよ。

もちろん住んでいる中で慣れない部分もあるけれど、そういうところも含めてじっくり知っていくうちに、総合的に見て日本は暮らしやすい、と思うようになったかな」

結婚後はフリーで仕事を受けるというリさん。今後やりたいことを聞くと、ずっと続けてきた「ブログでのシェア」の返事が来た。

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リさん:「自分が本当に伝えたいこと、個人的なことも含め、生活のことも書いていきたいな。結婚もしたし、家事と仕事とプライベートの時間をバランス取ってしっかり充実させたい! いろんな文化に触れたいから、たくさん旅行ができるように語学の勉強もやりたいな」

「いろんな文化に触れたい」と話すリさんは、「カルチャーショックはいいこと」だとも話す。新しい生活や環境が変わることをポジティブに捉えられるのは、それを書くことでシェアする楽しみがあるからだろうか。生活する中で見つけたワクワクすることを、これからもブログで発信していきたいと言う。

そんな風に変化を楽しむリさんだからこそ、焦らずに、好きなことをずっと続けてここまでこれたのだろう。

これからも好きなことを楽しんで、日本を発信してくれますように!

リさん原文執筆の翻訳記事はこちら

あとがき

最近は「好きなことを仕事に」と掲げる人が多くなったように思う。みんな好きなことを見つけることに必死だし、それをすぐに仕事へ転換するようになっている。しかし好きなことですぐに開花できなくても、“仕事になるまで続けられる人“は、きっと一握りなんじゃないかな、と思う。

「今はだめでも、いつかは」と思ってブログを書き続け、日本語を勉強してきたリさん。焦らずに続け、チャンスが来た時に掴み、無理なく何度でも挑戦するリさんの話を聞いて、「続けること」がもつ強さを感じることができた。

「海外で暮らしたい」と思っていた時、私は単純に思っているだけだったかもしれない。準備が無いから余計に、行った後のことを考えて不安ばかりが襲ってきていたのだろう。やりたいことがあるときは、不安も受け入れられるくらい準備する。その手段の1つが「続けること」なのだと思う。

ほわほわした雰囲気の内側には、「続けること」で培ったリさんの強い芯が通ってるような気がした。

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