もっと選んでいいはずだ「ムダかどうかは、自分で決める。」

刃物メーカーの貝印から、印象的なキャッチフレーズが飛び出した。

ムダかどうかは、自分で決める

#剃るに自由を  というハッシュタグとともに出たこのフレーズは、剃ることも、剃らないことも強要しない。長きにわたって作られていた見えない箱から、一気に解放されたような気がした。

私たちはなぜか、ワキ毛が生えているとみっともないとか、はずかしいとかいう気持ちになる。けれどこれって不思議なもので、「どうして恥ずかしいのか」は正直考えたことがない。思春期に入るちょっと前から「ワキ毛は剃るもの」としてとらえられ、いかにきれいに、目立たないようにするかをずっと考えてきた。「ムダ毛処理」とは言うものの、そもそも誰が「ムダ」って決めつけたんだろうなと、このフレーズを見て考えてしまった。

自分が当たり前だと考えていることは、誰かの当たり前をそのままインストールしてきたものがほとんどだろう。朝起きたら顔を洗うとか、夜寝る前に歯を磨くとか、親が当たり前のようにしていたことを真似て、そのまま踏襲している。

先人たちの当たり前をなぞることも、生きる上で重要な時もあるだろう。けれど、その「当たり前」にちょっと居心地の悪さを感じたら、私たちはもっと問い直してもいいはずだ。自分がのびのびといられるために、今から「当たり前」を作っていっても悪くないのだろう。

気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」。共同運営者は以前ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。さん。月~金までのうち、私は月・木を担当しています。

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