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たびしゃしん――旅のメモ

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31か国の旅で見たもの・感じたこと、国内旅行について写真とともに紹介していきます。
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記事一覧

"怖い”という感情の原因

「ミホは怖いものが多すぎるよ。1つ1つ克服していこう? ほら、よーく見て。相手は何もしてこないから。」 アテネから電車を乗り継ぎ到着した小さな村の幼稚園で、私は暗闇に潜むカエルに怯えていた。その時、夏の間は使われない幼稚園を間借りして、ヨーロッパ各国から集まった人たちと2週間の共同生活をしていた。昼は村の公園で遊具にペンキを塗り直し、夜は外で宴する。標高の高い場所だったからか、エアコン無しでなんとかなってしまうその地域で、外も中もあまり変わらないような生活をしていた。 哺

恐山で宿坊に泊まったら生き方を考える時間になった

令和初日は、恐山の宿坊から始まった。日本三大霊場の1つにも関わらず、ガイドブックにもあまり情報がなく、行ったことのある人も聞かない。同じ霊場の高野山とこんなにも差がついているのはなぜだろうか。 数年前から、釈迦生誕の地ネパール・ルンビニまで行ったり、曹洞宗の総本山永平寺で3泊4日の参禅研修に参加したりと、仏教の雰囲気を肌で感じることに興味をもっている。今回もちょっとした「仏教ファン」心に火がつき、気になっていた恐山に行くことにした。 恐山に何があるの? 恐山菩提寺という

「個性がない」は、悩むだけムダ?-3泊4日の参禅修行①

今年はやけに“修行欲”が高い。平成最後の夏だから? うまく説明できないけれど「ちょっと落ち着いて軸を整えたい」みたいな気持ちになっている。 その修行欲を満たすため、行ってきたのが福井県永平寺。ここでは、修行僧に近い生活を3泊4日で体験できるプログラムがある。 初日に電子機器をすべて預け、化粧を落とし、参加者全員が同じ袴を着る。座禅を行う禅堂の中は私語厳禁。それ以外の場所でも、“修行をしている”意識を忘れずに、私語は慎むようにと、担当の修行僧から説明が入った。 噂によると

旅と恋と、魔法と現実と。

8人で「書く日、書くとき、書く場所で」という共同マガジンをやっています。今回は「始まりと途中と終わりの一文が決まった文」 を書きました。 ---------------- 「あいのり」かよ!……の一文から文章を書くことが決まった。「あいのり」は見たことが無い。まずはどんなもんかと思ってWikiで調べてみた。 男性4人・女性3人の計7人が、ラブワゴンと呼ばれる自動車に乗って、様々な国家を旅する中で繰り広げられる恋愛模様を追う番組。告白は日本行のチケットを渡す形で行う。

「今到着しました」が英語で言えなかったカナダ留学初夜

大学1年生の春休み、カナダのトロントへ3週間の語学研修に行った。海外経験はほぼ皆無。けれど不思議と緊張は無かった。浪人時代は英語強化の予備校に通っていたし、大学受験を乗り越えたんだもの、それなりにできるだろうと得体の知れない余裕があったからだ。 搭乗予定の便は成田で出発が遅れ、現地には1時間遅刻で到着。エージェントで手配してくれた送迎ドライバーに連絡しなくちゃと、現地での連絡先が書いてある紙を取り出し電話をかけた。 だが、受話器から「Hello?」と英語が聞こえた瞬間に、

自分の正義、それをふりかざす状況

ネパール最後の夜、私は病院のベッドで点滴につながれたまま胃痛と戦っていた。ゲストハウスでシャワーを浴びている途中、胃の辺りに違和感を覚え、着替えた頃には全く動けなくなってしまったのだ。 歩けなかった私の最後の手段はフェイスブックメッセンジャー。繋がっていたゲストハウスのオーナーへ連絡し、従業員が駆けつけて病院まで運んでくれた。 何の痛みだったのかは未だにわからない。とはいえ、もしかしたらと思い当たる節がひとつだけあった。 ゲストハウスへ帰る途中で起こった、タクシードライ

火葬場でのシャッター音が何気ない日常

ガンジス川の支流があるパシュパティナートは、川岸がヒンドゥー教徒の火葬場になっている。葬儀場?と思うけれど、ここは世界遺産に認定されたヒンドゥー教寺院。各国から来る観光客で賑わいを見せている。 午前9時前に到着した私は、ドブのような川で子どもが遊んでいるのを横目に裏道を1,2時間程度散歩し、川岸へ戻ってきた。 行きにはまばらだった人も戻ってくる頃には倍になり、特に密集している川岸の一部を橋から眺めると、人の間からふたつの足が見えた。 死体だ。 密集しているのは親族なのだ

もっともっと知りたいよ、サドゥー

ガイドブックを見た時から、気になっていた人がいた。 彼の名は、サドゥー。ヒンドゥー教における修行僧で、ウィキペディアではこう語られている。 サドゥーはあらゆる物質的・世俗的所有を放棄し、肉体に様々な苦行を課すことや、瞑想によりヒンドゥー教における第四かつ最終的な解脱を得ることを人生の目標としている。 私は、彼らを見ることができるのか。期待に胸を膨らませ、修行中のサドゥーに会えるかもしれないというネパール最大のヒンドゥー教寺院、パシュパティナートへ向かった。 朝9

小さな村にある、大きな「家族」

ヒンドゥー教では「ティージ」と呼ばれる、女性のためのお祭りが夏に開催される。私がその存在を知ったのは、ホームスティさせてもらった村で、ちょうどティージが開催されていたからだ。 「ミホもサリー着て、お祭りに参加してみる?」 ホームスティ先の娘、17歳のアスタに提案してもらい、アスタと、アスタの母であるサンティと、ヒンドゥー教の民族衣装であるサリーを着てすぐ近くの村の一角へと足を運んだ。 会場になっている赤いテントの中には50席ほどの椅子が用意されていて、女性たちが座っていた

もしもあの時、彼からのメッセージが無かったら

If you go there can I ask a favor!? I mean if you go to bhaktapur Facebookでネパールの投稿をすると、ブラジル人の友人からメッセージが届いた。どうしたの?と聞くと、去年の冬に彼がボランティアをしていた筋ジストロフィーの子どもセンターへ、寄付をしてきてくれないかという。 「センター長の方はHimalさん。バクタプルの入口で、Himalさんに会いに来たと言えば彼が迎えに来てくれるよ」とメッセージを受け、カ

コン、コン、コン、お邪魔します。

キコ、キコ、キコ、糸を紡ぐ。 近くに行くと、「やってみる?」なんて差し出してくれるおばあちゃん。 トン、トン、トン、木で刃を叩き、彫刻を作る。 近くに行ってもお構いなし。もくもくと作業を続けるおじいちゃん。 トポ、トポ、トポ、泥の地面にレンガをはめ、震災で壊れた家を建て直す。 遠くで見てても近づいて、ネパール語で話しかけてくるおじさん。 ひとつでも、今と違った判断をしたら、絶対交わらなかったはずの誰かの日常。 お邪魔して、そっと時間を共にする。 それが不思議と、

苦行の後に見えたもの-ルンビニのお寺修行で感じたこと②-

ルンビニお寺修行の二日目は朝3:30から始まった。 起きてすぐに本堂の掃除を行い、4:30~5:30までは夕方のお勤めと同様に「南無妙法蓮華経」を唱えながら大太鼓をたたく。その後30分間お経を詠んだ後、一番不安に感じていた、4時間の行脚が始まった。 6:00頃日本寺を出発。最初の目的地は大きな菩提樹のある聖園だ。うちわ太鼓を叩きながら僧侶のビシュヌさんと「南無妙法蓮華経」を交互に唱え続ける。 出発して1時間ほどたった頃、「みほさんはラッキーですね」とビシュヌさんが話

「これが私の天職です」-ルンビニでのお寺修行で感じたこと①-

毎朝うちわ太鼓をたたきながら周辺の村を4時間あまりかけて15kmほど巡り、夕方は本堂などでの1時間半ほどのお勤めが義務付けられている。 ネパールに到着してもなお、私は迷っていた。お寺修行に興味はあるけれど、「地球の歩き方」で紹介されている日本寺の修行内容を見ると、はたして私なんかが行ってきちんとお勤めができるのだろうかと、ずっとモヤモヤうじうじしていた。 ルンビニには10以上の国のお寺がある。中でも韓国寺はバックパッカーに人気の宿となっており、瞑想もお好みで出来るらしい。

付加価値付きの機内サービス

ネパールの首都、カトマンズにあるトリブヴァン空港に降り立った。最初の目的地はルンビニ、だがカトマンズ⇔ルンビニはバスで12時間の長旅になる。 結構バスの長旅も嫌いじゃないし、何より安い(片道約1,000円)のが魅力的。学生の時は迷わずバスを利用していただろう。しかし今は社会人。限られた有給休暇を使って行くため、移動時間を短縮するか、安さをとるかは結構な迷いどころになる。 スケジュールと時間を考えて、今回は片道およそ15,000円する飛行機を使うことにした。 私が利用