禾乃登(こくものすなわちみのる)四十二/七十二候

実(みのる)は2週間ぶりの隣町の実家に寄った。本当はもっと頻繁に通いたいのだが、出張も多い仕事柄Covid-19に自分が感染している可能性がある。

糖尿病を患っている父や70代の母に接する時の体調やタイミングを考えると、どうしても日が開いてしまうことがある。

家に入った時、父は寝ていた。「最近は寝ている時間の方が多いかな」と母が言う。母は半年前までは友達とランチや温泉に行っていたが、今はほとんど外出していない。

自分から父への感染を心配し、歌のレッスンも近所の談話室にも行っていない。朝のラジオ体操と一番近いスーパーに買い物には行っていて、少し安心した。

「なんだか上手に喋れないし、巻き爪が膿んじゃった」と小さく呟く。足元を見ると、左足の親指に包帯を巻いている。これまでも巻き爪だったが膿むことは無かった。免疫力が下がっているのかもしれない。

実は歌の好きな母にZOOMのボイストレーニングを勧めた。母はPCが使えないので実も一緒に参加した。けれど、母は「難しくてできない」と、一度きりの体験で終わってしまった。

次にガラケーの母にタブレットを渡して、ビデオ通話を提案した。母は「それならできるかも」と実から使い方を教わる気持ちになった。実が教えることを「○を触る」「緑のLINEマーク」「ビデオマークの通話に参加する」など鉛筆でしっかりした文字でメモした。

お試しで隣の部屋に行き、LINEのビデオ通話した。隣の部屋から「あらっ!」という母の声が聞こえる。実のスマホ画面には母が不自然な笑顔を作ってみたり、口を尖らせてみたり、横顔にして目だけ画面に向けていたりしるのが見える。

「これ顔の体操にもなっていいわね!」嬉しそうな母の顔を実際に見たくて、近くにいったらハウリングしてしまい、やっぱり隣の部屋に戻る。

普段は会えない兄にも連絡してみる。結局その日は兄ともLINEで繋がり、三人の笑い声に父も起きてきて、家族四人でビデオ通話をすることができた。父は兄に「おう!元気にしているか?」と声をかけている。

「お母さんとお父さんがずっと元気でありますように」

その願いは、両親が完璧な大人であると疑わない子供のような幼さもあった。でも実は自分の年齢がとうにあの頃の両親を超えていることを知っている。自分には行動する力がある。

どうしたらいいんだろう。具体的に何が必要だろう。

考えていると圧倒的な不安に押しつぶされそうになる。「あ、また一人で抱え込もうとしている。」

以前、産後鬱になった友人が病院や家族以外にも信頼できる複数のコミュニティに相談や共感のサポートを求め、回復していった。多くの人が彼女に寄り添い、サポーターになり回復への体験を共にした。実もその一人だった。

彼女の苦しみのシェアにメールや電話でサポートする人もいれば、近くにいなくても呼吸を合わせて寄り添う人、実際に会いに行く人、それぞれができることをしていた。
(治療には医師や専門家の指示が重要で慎重に判断しなければ命の危険性もある。一概に全て正しいとは言えない)

その連携は一つの「身体」のようだった。呼吸をすれば肺が膨らみ、心臓のポンプは血液を巡らせ、必要な場所に必要な栄養が届けられる。その器官にはその器官にしかできない役割がある。ただそこに在るだけで。

具体的に一緒に動ける身内は兄だ。国の公的な支援も調べよう。相談できる仲間もいる。兄に相談できなかったのはなぜだろう。認めたくなかったのかもしれない。老いて、小さくなっていく両親を。失うリアリティを避けたかったのかもしれない。

近所の友人の母親も同じような状況だと聞いた。今、人と触れ合うことも外出もままならず、テレビでは毎日感染者数が映し出され、心身ともに弱っている高齢者の方が多い。

大切な人を大切にできる状態で在りたい。想いを行動に、言葉にしたい。ざあっと降った雨の後に虹がかかった。今日という一日。




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