孫正義という起業家

孫正義が考えていたビジョン

デジタル情報産業におけるインフラ提供者になること

少年時代

高校時代にアメリカ留学をしたことをきっかけに、高校を中退し単身アメリカへ。
その後、名門カリフォルニア大学バークレー校へ進学。
当時の孫はお風呂でも運転中でも熱心に勉強し、世界で一番勉強していたとふりかえる。
家族へ負担を与えている仕送りをなくすためと、結婚することを考え、在学中に起業。
1日に5分だけ働いて、ひと月に100万円以上稼ぐ方法はないかと思い立った。
アルバイトはしないと決めていて、発明したものの特許を売ろうと考えた。
音声付き自動翻訳機(電子辞書のようなもの)を開発することを考えたが、自分ひとりで作るのでは5年も10年もかかってしまうため、成功報酬の約束を取り付け、大学の教授などの有識者を説得して開発を行った。
音声付き自動翻訳機はシャープに約一億円で売却した。

ソフトバンク創業

1981卒業後日本に帰国、日本ソフトバンク設立(ソフトウェア全般の流通業)。
資金も取引先も無かった孫は、熱いビジョンだけで大阪の上新電機と独占契約を結び、本格的にソフトの卸を始める。
その後、当時すでに全国に流通・販売ネットワークを築き、パソコンソフトメーカーとして順風満帆だったハドソンに対して独占契約を提案。
ハドソンは孫正義の可能性にかけ良好な関係にあった取引先との関係を断ち切り、すべての商品を日本ソフトバンクに卸すという独占契約を結ぶ。
預託金3000万円を事前に支払うことが条件だった。
独占契約を締結するために資金が尽きた孫は、資金調達でもその圧倒的な交渉力と壮大なビジョンを持って、第一勧業銀行(現みずほ銀行)から無担保最優遇利率で1億円調達する。
この時の与信調査では、自動翻訳機のときにお世話になったシャープ専務の佐々木や、上新電機社長の浄弘に後押ししてもらったという。
卸の事業を拡大するため、パソコン雑誌に広告を出そうとするも出版社から拒否された。
同業締め出しをくらっていることが分かり、自ら出版事業を興す決意をする。
1982年にパソコン種類別の出版事業を開始。
パソコン専門雑誌、最初は85%以上売れ残り厳しい状況が続いた。
それでも、テレビCMも打ち出すなど全身全霊で打ち込み、その後順調に売上を伸ばした。
(その後、世界一のコンピューター出版社であるジフデービスを買収する)

逆境からの躍進

1983年慢性肝炎である事が発覚。
当時は治療法が確立されておらず、あと5年生きられるかどうかと言われるほどの大病であった。
退院するまでソフトバンクの経営は、元セコム副社長だった大森に社長を任せ、孫は会長職に退いた。
2年半の闘病生活を経て奇跡的に回復を遂げるが、会社の経営は順風満帆とはいっていなかった。
大森は会社の体裁を整えようとしたが、結果的に会社の利益を食いつぶしていたのである。
孫の息のかかった幹部社員達はほとんど会社を去っていた。
86年に孫が社長に復帰し、なんとか業績の回復を図るが業績は好転せず、10億円もの莫大な負債を抱える。
逆境の中、1987年、NCC-BOXを開発する。
当時、いわゆる新電電と呼ばれる3つの電話会社が誕生し、値下げ競争が激化していた。
そこで問題になるのが、地域によって異なる安い電話会社を調べるのが面倒なことである。
NTTと新電電ではかける地域によってどちらが安いかはまちまちだった。
これを自動で切り替えられる装置がNCC-BOXである。
ここまでなら普通の発明話で終わるところであるが、なんと装置を中小企業に無料で配って設置したのだ。
その代わりにソフトバンクでは、新電電側からロイヤリティを受け取るという形にして莫大な利益を出すことに成功した。

インターネット企業へ

ここから孫正義の快進撃が更に勢いを増す
1994に株式を店頭登録すると、1995にはジフデービス、コムデックス、キングストンテクノロジーなど、アメリカのIT企業を次々と買収。
1996には当時はまだ設立したばかりの米ヤフーに約100億円を出資し筆頭株主となり、その後ヤフージャパンを設立する。
当時大学生だった孫泰蔵が運営やコンテンツ制作をサポート(インディゴ株式会社)
孫泰蔵は現在、パズルアンドドラゴンズに代表されるガンホー・オンライン・エンターテイメントの社長である。
さらにソフトバンクは、様々なベンチャー企業への投資も成功させ、次第にインターネット企業を代表する存在になっていく。
1999全米証券業協会とナスダック・ジャパン創設(現新ジャスダック)
ソフトバンク・インベストメント株式会社設立(現SBIホールディングス)

ブロードバンド事業

2001YahooBBスタート。
従来の低速な通信(ナローバンド)に対し広帯域な高速通信(ブロードバンド)普及へのニーズが高まるようになるとソフトバンクもサービス提供者として名乗りを挙げた。
当時日本で主流だったISDNよりも高速通信が可能かつコストが安く抑えられるADSL技術を利用した。
その頃すでにカリスマ経営者と呼ばれ、もっぱらゴルフや会食など社長業をしていた孫正義が、久しぶりに現場で陣頭指揮をとる渾身のプロジェクトであった。
原価数万円もするADSLモデムを全国規模で無料配布するキャンペーンを行い、数年間毎年1000億円近い赤字を出し、株主からは大バッシングを受けた。
しかし、この仕掛けがきっかけとなり競合他社もブロードバンドサービスの拡販に積極的に乗り出し、価格競争が激化。
日本のブロードバンド浸透率は一気に世界トップクラスに躍り出し、誰もが高速インターネットを利用できるようになった。

携帯電話事業

2005年に携帯電話事業への参入を認められたソフトバンクは、2006年にボーダフォンの買収を試みた。
買収額は約1.8兆円で当時の日本のM&A史上、最もインパクトのあるものであった。
企業買収ばかりを繰り返す手法は、実態のない虚業ではないかと批判もされていた。
同時期に孫正義は、まだiPhone完成前のスティーブ・ジョブズと会っていた。
AppleがiPodとMacOSを使って新たなモバイル端末を開発すると読んでいたのである。
携帯電話業者の許認可を取得したら、そのモバイル端末を日本で独占販売させてくれと約束を取り付けた。
2008iPhone 3G取扱開始。
スマートフォンという全く新しい市場が生まれた。

現在のソフトバンク

ソフトバンクグループは現在、子会社の数は1300社以上、関連会社も含めると2000社近くにもなる巨大な企業である。
アリババ,LINE,Uber,paypay,zozo,アスクルなど、あらゆるIT企業に対し投資や買収を行っている。

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