慶應出身、リクルート出身、コンサル出身の私が、キャリア10年目でなぜ保育士になったのか?
私のキャリアは保育業界にとってかなり異色だ。
でも、だからこそ、この業界への気づきがあったことが多いのではと思う。
この保育業界に入ろうと思ったのか?を、きちんと自分の心と対話しながらl今日は、書き直すことにします。
私は、小さい頃からの記憶を辿ったとしても、夢として、保育士になろうとは思ったことは一度もなかった。
ただ、言えることは、私が高校生くらいになるまで、幼少期の子ども達に囲まれながら過ごして、一緒に遊んだり、所謂、当時は”お世話”をする(ちいママ的存在になる)のが大好きだったことは鮮明に記憶をしています。
三人姉妹(三姉弟)の末っ子だった両親の間に育ったので、小学校の頃には、従姉妹がすでに成人しており、ベビーラッシュ。赤ちゃんを抱っこすることが嬉しくて。そして、新興住宅地のマンションで育ったこともあり、周りには、上下関係なく遊べる子ども達がいっぱい。子ども会の存在も大きかったのかもしれない・・・夕日が沈むまで子どもたちとどろんこになりながら、遊び惚けた日々。
でも、高校、大学に入り、新卒の職選びになって、保育士という観点は全くなかったまま、過ごした日々。
保育士の素晴らしさに惹かれたのは、第1子が生まれてからだった。
私の理想の母の像は、自分の母みたく、完璧な人だった。
私の母は、主婦で子どもの目から見ても、掃除、裁縫、料理、整理整頓、ご近所さんも理想のママ。
でも、母と違ったのは、”仕事=社会との接点”という軸を、私は捨てられなかったということ。仕事を続けたいと心の底から思っていた。
第1子が生まれ、育てていく中で、ショックを受けたんです。
あんなに小さい頃から、子どもが好きで、子どもと遊ぶのは”得意だ!”と思っていた私は、絶対いい母になれると信じていた部分が少なからずあった。
それが、あたかも簡単に崩れてしまったのだ。
娘は、どちらかというと、よく泣く性格の子だったように思う。
1時間は泣き続ける娘(今思うと娘もすごい体力!)に、どうしたら良いか、なんで泣くのか、分からず、途方にくれたのだった。
そんな時8ヶ月目でお世話になっていた保育園の先生に、疲れ果てた顔で、相談をした日が今でも忘れられない。
”うちの娘、よく泣きますよね、、なんでなんでしょうかね・・・”
”すっごい真面目なお子さんだよね!やりたいことをちゃんと主張できる意思ある子だと思う!将来楽しみだわ”
その言葉に一瞬で、心がパッと明るくなって救われたのだ。
今でも、その言葉はお守りのように大切にしている。子育てで、ちょっと悩んだとき、この言葉を思い出しては、前を向くことができる。
どれほどに、尊い言葉だっただろう。どれほど母にとって救いの存在だっただろう。
この時からだ。
保育士の職業に憧れと尊敬の眼差しを抱き始めた。
ある時、夫との会話で、”ゆき、保育士に向いてるんじゃない?”そう言ってもらった。
”よし、保育士になろう。”
そう心にストンと落ちたのは、この時の保育士さんの言葉があったからだ。
私が通信教育で保育士を勉強し、取得をした2016年。
そんな尊い仕事が、社会で課題として大きく取り上げられていた。待機児童問題、保育士の労働条件、保育園の土地問題。保育士業界の課題や眼差しの違和感が、私を今でも私の原動力となり、奮い立たせていると思う。
国も都道府県も動き始め、保育園を増やして、待機児童の改善も見られている。では果たして保育士の現場は?
専門学校や大学の方にお話を聞くと、保育を勉強してでも、3分の1くらいは保育士にならない道を選んでしまうという。
給与や箱を増やすだけの社会の枠組みを待っていては、解決しない課題が多いことを現場に立って実感した。
国や社会が動いてくれるのを待っているのではなく、
保育士も、パパもママも、異業種の方も、将来保育園にお世話になるだろう保育学生以外の学生も、みんなで”自分ごと”として考えたいのです。
まずは、関心を持つことから。
だから私は、発信をし続けます。
(Instagramの動画で、保育士ストーリーをライブ配信しております。もしよかったらご覧ください)
冒頭で、私のキャリアは異色と言いました。
保育を勉強することなく、高校を経て、地元の大阪を離れ、慶應義塾大学を卒業。
新卒で保育園を就職先を選んだ友人は、私の知る限り、一人もいません。私もあれほどに子どもが好きだったのにも関わらず、子どもの子の字も出ず、みんながエントリーシートを出す大企業を選び、必死にもがきました。(その過程もあって、自分の失敗成功体験をたくさん踏ませてもらって、人間として大きく育ててもらい、応援してくださる先輩、仲間に企業を通して出会えたのも財産!)
でも、親になったときに、突然に、保育園と子どもというキーワードが人生の中に飛び込んできた時に、やっぱり少なからず驚きや緊張、どうしようという不安を感じると思うんです。
親になる覚悟、教育現場のこと、学生の時から、もっと学んでおきたかった。
私は、今、私のキャリアが異色じゃないって言える未来を描いてます。
保育園ももっと戸を開いて、多様な人材が混じり合うのもよし。いろんな視点から保育を見る。
その関わりこそが、保育業界を明るくする大きな一手だと思っています。
一人ひとりの行動で、変わることも大きいはず。
保育現場をどうよくしよう?
どうやったら保育士さんの働き方をよくしていけるか?
子どもの教育の質ってなんだろう?
国や都道府県に任せるのではなく、自分ごととして、捉えてくださる方がいかに増えるか?全ては、ここが肝だと思ってます。
私がビジョンに掲げる、”保育を社会のど真ん中に!ど真ん中で子どもを育てる”。そういう意味を込めて、ビジョンを描きました。
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