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面倒くさい女の胸のうち


最近、大学時代の男友達と飲んだ。彼は一緒に演劇を何回か作ったことのある人で公私共に仲がいい、というか、考え方が似ている。話していれば楽しいし、最近読んだ本の話など知識が豊富で尊敬に値する人物だ。

だが、彼とは何回か喧嘩をしたことがある。私は男性と喧嘩をしがちで俗に言うめんどくさい女である。今回もあと2時間話せばきっと喧嘩になるかもしれない、という予感があった。

なぜだろう?こんなに楽しいのになぁ。今まで喧嘩した男の子たちだって仲が悪いわけじゃない。だが、喧嘩するほど仲がいいという言葉では、片づけられない諍いである。

ハイボールが何杯目かになった頃、彼はこんな話をした。

大学時代の帰り道、同期の男子4人で帰っていたとのこと。その中で、「俺、朝日に告白されたんだよね。」と彼は話したという。(この時点で、は?と切れる方もいるかも) そう、彼に恋心を抱いた時期もあった。すると、「俺も!」と違う男子が名乗りを上げたそう。ちなみに彼のことはいいな〜とは思いつつ、その噂だけが一人歩きし、何も言わないまま自然に恋は収束した。だから告白なんぞしていない。そして、また別の男子が、「まじか!俺もだよ!」と言ったらしい。いやいや!告白なんぞそもそも好きになった覚えも無いぞ! そして最後に残った男子は「え…。俺…。告白されてない…。」いやその通り!!正直だ!!えらい!てか正常だこれが!

という話をしてきた。すべてに今のようなリアクションを取ったが、ニヤつくばかりで信じている様子もなかった。
まぁこの話自体、20歳にもなって子供っぽい男の子の告白されましたステータスの話で収束するものなのだが、この話の内容や話し方で彼や、それ以外の男の子と喧嘩になる理由が分かったのだ。

彼らの底にある感情は、私を私としてではなく、女として"どこまでがセーフ秤"にかけることだった。
具体的にいえば、、私がもやもやする瞬間は彼らと話している要所要所に現れる。今回は、恋多き女に恋されて困っちゃうなーという言葉。違う例をあげれば、どうせまた歳上の男に遊ばれ
たんだろーという言葉。はたまた、私のグラビアの写真をみてカメラマンとやったんだろーという言葉。
私の悪い癖は、そのもやっとした瞬間を飲み込むところである。笑って誤魔化してしまう。なぜならいじれない女は嫌われると思っていたから。
でも、やっぱりそれは違うのだ。嫌だと思った瞬間に言わなければ彼らも気づかない。

女という存在を、男は時としてからかいの秤にかける。こいつはここまでいっていい、これ以上はだめ。そのせめぎ合いに乗っかった結果、耐えかねて全ての話が嫌になり喧嘩をする。

だから私はいつも、変なタイミングで切れるめんどくさい女で終わるのだ。
そんな女は大抵溜め込んでいる。そして爆発するのだ。
その時にいえばいいじゃん。という言葉に反論すれば、反論した瞬間場は冷め切ってつまらないやつと罵った目線を送るんじゃないか?ということ。

この話をしようと思ったのは、最近伊藤詩織さんの件で、彼女の事件に関する話題から派生して男性の女性性の消費をする価値観を持った男性たちを目の当たりにしたから。
私の出来事は小さなことに思えるかもしれないけど、こうやって小さな小さなもやもやをある程度貯めて生きている女性はいる。
女性性としての秤が、まるで人間としての秤にかけられているように感じる。

これを読んでいるあなたが男性だったら、女性であることをその人自身をはかる秤にかけないでほしい。

フェミニストだとか、大それた話をしてるつもりはない。
言っていいこと悪いことの線引きをもう少し、敏感に寄り添って話して聞いてほしいという願いだ。


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