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ヘタレ証券マンだった私がIFAになれた理由③人生の転機 背中を押してくれた証券マンたちとの出会い

へタレ証券営業だった私、
ある時社内で営業のシャッフルが行われ上司が突然、またその頃一番若くして営業課長になった課長に変わりました。

それまで営業会議といえば、課長が管理職会議の結果をソフトにして下ろすものでした

ところがその課長に変わり
課が一つのチームに

それぞれが得意な役割を与えられできること、得意なことで課の予算に貢献していく

保険の予算が来たときに
お客さんに話したら新規資金1,000万で契約してくださった
それが翌月1日の数字になった
月初に保険の数字があるおかげで株ができる、投信ができる…
保険ができる→募集商品ができる→好きな株ができるのサイクル
保険が来るたびに、"頼むぞ"と言われそれに応える
先輩たちができなくてどんな営業トークしてるか聞いてくる
先輩が決めた案件の書類の受入(保険は書類が多く煩雑だった)をする
これで課での自分の居場所を見つけられ仕事の仕方をみにつけることができました

のちに、この時の課長にお礼の手紙を書きました。
得意なものを引き出して尊重してくれたからこそ今がありますと

やっと自分の型が見つかった頃
出会って一月で主人とあっさりと結婚しました

2005年に入社して今年で15年目になりますが証券を辞めたのが2013年の8月
8年半のうち3年は産休育休をとり育休明けからは総務に異動しており私が証券で営業をしていたのはたったの3年です。
コレ証券を扱っている方々、IFAの友達からしたらびっくりするような経歴だと思います。そんなんでよくIFAやってるねと

ただ、総務に入ってコンプラを叩き込まれたこと、総務として営業の支援をしたことがそのあとの人生に大きく役立っています

部下を育てる立場になった時
特にフリーランスになった今、
会社を経営する立場になった今

ここの経験が大きなアドバンスになったと思ってやみません。

営業時代は他の人の行動や言動、立ち振る舞いなんかゆっくりみている暇はありませんでしたが総務という立場になり、一人一人を管理職と同じように…もしくはそれ以上に見ることができるようになったのです

一人ひとりの営業の人となり、性格、癖、新規口座開設書類、日報伝票や乗り換え申請書から見る数字の作り方…特にトップセールスのストーカーに笑
嫌煙家の私が喫煙室である給湯室でご飯を食べていたのは営業の話が聞けるから
もう愚痴でも自慢でも全部私の血や肉になりました

そんな中、損害保険代理店を営んでいた父が癌になりました。
それも末期の肝臓癌
父は父親としては足りないところもたくさんありましたが、社会人としては営業としては経営者としては手前味噌ですが大変優れた人でした

損害保険を扱っている父を私は誇りに思っていました
父は夢半ばにしてこの世を去ってしまったのでその夢を引き継ぎたいそんな思いを抱きつつ煮えきらずの毎日

そんな時異動してきてあっという間にトップセールスの座を奪ってしまった先輩
トップセールスの凄さは支店の雰囲気さえ変えてしまうところ
それまでなんだかヌクヌクとしていた支店の空気が変わるのを目の当たりに

ある時煮えきらない私が「もう私人生の迷子です」愚痴ったら

迷子だぁ〜??てめーの向いてる方が「前」だよ!!

と言われて衝撃を受けました。
もう、私はとっくに前を向いて歩んでいると吹っ切れた気持ちなれたのです。
今も何かに迷子になるとこのセリフが浮かびます

また、こののち営業管理職としてやってきた営業課長が大変優秀な人でした

前述したトップセールスもその営業課長もそうですが仕事ができるセールスは絶対に内勤を疎かにしません。これは絶対といえない証券業界で唯一絶対と言ってもいいと思います
自分たちのあげた手数料がどれだけの人の手を経てお給料になっているのかをちゃんと理解している、だからこその立ち振る舞いになります

課長がそうなのですから、総務をバカにして全く動いてくれなかった問題児たちが少しずつ変わってきたのです

私が子供を保育園に預けて8時15分に会社に入るといつもその課の営業会議を盗み聞きできるようになりました
内容は"皆んな知っているけど誰も教えてくれないこと"ばかり
それなら私もできる!姿勢や仕事への情熱なら誰にも負けない自信がありました

それを毎日毎日聞いていたら営業に戻ろうという気持ちは確固たるものになりました

何度も"幸せの力"を観て自分もできる
電話を置かず電話をし絶対に営業で一花咲かせることが私にはできるそう思っていました

私は箱根駅伝のファンなのですが箱根駅伝には名言があります

箱根の借りは箱根で返せ

です。
どういうことかというと箱根駅伝で悔しい思いをしたら、その借りは箱根駅伝でしか返せないということです

それを象徴する名場面がこちら→2010年の城西大学の石田選手です
彼は前年低血糖で棄権してしまった選手そのリベンジの2010年の素晴らしい快走もあり城西大学をシード権を獲得します

私も

営業の借りは営業で返したい

そう思い証券会社を退職することを決めました。



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