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フォロー・フォロワー数に対する偏見からの脱出

 今から3年前の4月にTwitterを始めた。理由はその3ヶ月前にブロマガと呼ばれるニコニコ動画のブログサービスをはじめており、より宣伝や発信力を高めるためにがきっかけだったと思う。このアカウントは今も使っている。ゲーム用の名義であり、twitterを見る上でのメインアカウントだったりする。そんなアカウントのフォローフォロワー数は今以下のようになっている。

 いわゆる自分をフォローしている人のみが見ることができる、通称「鍵アカ」ではない。れっきとした公開アカウントだ。このような数字になったのには理由がある。その理由とは最初Twitterに対してそれほど興味がなく、発信用アカウントとして機能させていたことだ。このことについては実は今もそれほど変わっていない。基本的に自分が相手をフォローする理由は直接その人に対して用事があった時にDMを送るものとして使っていた。だからよほど用事がない限りはフォローすることがない。ちなみに情報収集をするために公式アカウントと呼ばれるものをフォローしようと思うのが常だと思うがそんな公式アカウントをフォローしようと思ったのもつい半年前ぐらいからと極めて遅い。

 このように必要があったらフォローをするという、いわば交流というよりも一方的な発信を重視してしまったために現在に至る。またファボと呼ばれるお気に入りをつけるハートだか☆マークとかのあれも「本当によかった」あるいは「メモとして残しておこう」で付ける程度だったのでそのあたりもお察しである。

・・・さてこのアカウントを発信用アカウントとして使っていると書いたが、実はもう一つ当時から思っていたことがある。それは

「フォロワー数に対して、フォロー数があからさまに多い人って・・・」

 というやつである。当時はこの比率に極端過ぎるほどの差がある人はどうも片っ端からフォローしてフォロワーを得たいという潜在的な願望を感じ、またそれに応じた必死さも感じるという偏見をもっていた。この偏見に縛られすぎたために相手をフォローすることを極端に恐れていた。それがこのような結果になった。このことに関しては今も後悔はしていない。このぐらいのほうがタイムライン的には後を追いやすいし自分の中ではちょうどいいと感じるからだ。

ちなみに現在の自分のnoteのフォローフォロワー数を見てみよう。

あれ?

 さっきまで言っていた 「フォロワー数に対して、フォロー数があからさまに多い人って・・・」にあてはまるようなすごい変わりようである。またスキの付け方がかなり多いというのは相互フォローしてくださっている方には伝わるだろう。それぐらいこの名義では方針を180度変えた。方針を変えたのには訳がある。このアカウントでは壮大な野望と共にとにかく自分を成長させたいという思いがある。そして自分が相手をフォローする理由が「直接連絡を取るときのみ」という消極的な理由から「少しでも面白さを感じ可能性を感じる人を見つけたらフォローする」という積極的な理由に変わったからだ。


 一応お断りを入れておくが、フォローされたからといって必ずフォロー返しをする「相互フォロー状態」を必ずしも作ろうとは思っていません。フォローしてくれたからと言って必ずしもフォローしないのは合う、合わないの主観的な要素が自分からフォローに行く場合に比べてかなり高いからであり、決して面白くないからとかそういうわけではありません。また社交辞令的なフォローというのもどうもあまり好きではありません。そのあたりはご容赦ください。


 フォローとフォロワーは数字的には本当に横に並んでおり、頭のなかでは「フォロー/フォロワー」のような計算式が勝手に浮かぶようなものだった。それぐらい偏見を持っていた。しかし今は違う。フォローとフォロワーは隣り合っているようで別世界に存在している。この偏見を薄らぐのに自分はかなりの時間を要した。


ちなみにですがこの人数をフォローしていて情報を終えるのかという疑問に思うかもしれないですがtwitterとなると手軽に呟ける分かなりきつそうに思います。しかしnoteでは皆様が考えて踏み込んで発信をすることが多いのでなんとか追うことができています。これに加えてラジオタグやコラムタグそしておすすめまでも巡回しているあたり自分はどんだけここ(note)に入り浸っているんだとも思います(笑)




#日記 #エッセイ #コラム #フォロー #フォロワー #偏見 #もしかしたら情報を追うのが好きなのかもしれない #休日になった途端この文量である

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