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信じて今日も書き続ける

ネットでの共感は「スキ」や「お気に入り」、シェアといったものに代表されるもの。

そんなインターネットの片隅で思いもよらない大きな人が実は同じことを悩むということを知ったとき自分はすごく共感し、少し嬉しかった。

「ほぼ日5年手帳」を買ったから・・・というわけではないが最近勉強も兼ねて糸井重里さんの今日のダーリンを読むようになった。

自分はそもそもとして糸井重里さんのツイッターか何かから「毎日10年続けて一人前」という言葉を聞いた。そしてそれをnoteに毎日投稿する形で実践している。

まだ半年ほどしか実践できていないわけだが、それを10年、いや19年続けた先に何が待っているのか。その未来を少し見る形で今日のダーリンを読んでいる。

さて今日取り上げられていたのは書きたくない日にどうして書けたのかという話だった。

【今夜ほど、ああ原稿書きたくないと思った夜が、嗚呼、あったろうか‥‥あったな、あった、いくらでもあった。こんな夜には、思うのだ。昨日や一昨日は、どうして書けたんだろうか。】糸井重里・今日のダーリン12月14日 https://www.1101.com/home.html

毎日書くことについてはnoteで言うと嫌われる勇気の作者の方(未だに名前を覚えていない…)による「体を洗うように書く」というのが記憶に新しい。

この言葉に共感しその思いを片隅に入れながら実行している。しかし今日はお風呂に入らなくていいかも・・・という小さくサボりたい心もまれに存在するように思う。

そんな時に「昨日や一昨日はどうして書けたんだ」という疑問にぶつかる。

自分は糸井さんのような解答はできない。書くことがまだまだ当たり前になっていないと自覚しているので、許すも許さないの話以前に「毎日書くこと」についていくだけで必死だ。

そんな必死になれる理由が「毎日10年続けた先に見えるもの」を信じているからだ。洗わないという選択や「どうして書けたんだ」という疑問を浮かぶことはなかった。今初めて「そういえば・・・」と思ったぐらい必死なのだ。

必死だからといって力んでいるわけではない。力んだら力んだ分だけ良いものが出るとは思えない。そういえばこれが許すということなのかもしれない。

許すというよりも自分の中では「毎日10年続けて一人前」を信じて書く。これまでもこれからも。

後9年半。まだ始まったばかりだ。

#日記 #エッセイ #毎日投稿

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