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#12日目:ごきげんおじさんのススメ

ごきげんおじさんという生き物

「ごきげんおじさん」と僕が勝手に呼んでいる類のおじさんがこの世には存在する。

若者に自分の価値観や考えを押しつけるでもない、世の中を悲観して厭世的になるでもなく、かといってギャンブルや酒に溺れるといった享楽的な生活を送るでもない。自分の仕事や活動において圧倒的な経験と実力を持ちながらそれでいて型にはまることなくまさに融通無碍に様々な物事をフラットに取り入れて自分の考え方や行動を常にアップデートして生きているような御仁とでも言えば良いだろうか。とにかく何事にもとらわれることなくそれでいて達観していて自由な発想でチャーミングな生き方をしているおじさんのことだ。

二人の偉大なごきげんおじさん

幸運なことにこれまでいろんなごきげんおじさんに遭遇する機会に恵まれてきた。そんな中でも僕にごきげんおじさんのなんたるかを教えてくれた二人のおじさんをまずは紹介したい。

まず初めに紹介するのは言わずも知れたダンスミュージック界の巨匠、セオパリッシュだ。

僕が初めて彼のプレイに遭遇したのは2000年代の後半、今は無き伝説のクラブYellowでのオールナイト公演だった。その頃彼はすでに東京や名古屋の箱で一晩の動員数記録を塗り替えまくっていた。

明らかにオーバーゲインで低音も高音も割れまくり今にも火を噴きそうな大音圧のスピーカー、何時になっても人の減ることのないむしろ熱気が増していくフロア、パットメセニーの生音やライヒのアンビエントが流れても揺れ続けるオーディエンス、すべての瞬間がその空間の熱量とともに未だに思い出される。結局、この日は昼過ぎまで踊り続けたんだっけな。

彼の選曲はいつでも縦横無尽だ。ディープハウスやテクノといったシカゴ・デトロイトの「ご当地もの」はさることながら、ドラムンベースやレゲエ、変則的なリズムのスピリチュアルジャズなどジャンルもテンポも自由自在に時空を超えたブラックミュージックの歴史物語をその一晩で紡いでいくといった具合に。自分のルーツにしっかりと軸足を据えながらそれでいて懐古主義に浸るでも頑迷になるでもなく常に新しい。そんな選曲が彼の真骨頂だ。

彼のプレイで特筆すべきは彼が紡ぐ音楽が醸し出すフロアの一体感にある。最近のパーティーシーンではとかくDJにスポットライトが当てられがちだが、彼は音楽こそが主役であってDJは音楽とオーディエンスの媒介者にすぎないというスタンスを崩さない。一曲一曲に強烈なインパクトがありつつもそれでいてその選曲に彼のエゴや押し付けがましさを全く感じさせない。黒い肌に映える白い歯をキラリと輝かせてあたかも「これ、最高でしょ?」って語りかけるようにDJをする姿は、まるで昔近所の友達のお兄ちゃんがその日仕入れたレコードを自慢げに家で聞かせてくれるそんな素朴な姿を彷彿とさせる。その日その場にいる見ず知らずの人々が互いに肩を取り合って全身を突き抜けていく音の粒、グルーヴにただ酔いしれる、それはまさに音楽が主役であるからこそなし得る奇跡に違いない。

(今年彼が渋谷のContactでプレイした日には、朝の6時だというのに満杯のメインフロアで皆が大円団になって踊り続けていた。おそらく、Contactの最高動員数も彼が塗り替えたに違いない)

↑真夜中にこんなグルーヴ最高に決まってるじゃないか!

ブラックである自分のルーツに忠実でありがながら、そこに自分なりの解釈、コンテクストを付与することで新しい視点を提示しながらその感動を一人一人の受け手と共有する、その謙虚な姿勢と視座の持ち方に企画という仕事を生業にしている端くれとして大切なことを学んだ気がする。

そしてもう一人のごきげんおじさんが(悪友?)マシューである。

昼はデザイン分野の大学教授として大学で教壇に立ちながら夜な夜な都内各地のヒップなバーやレストランに出没する伊達おじさんだ。そして頻繁に僕の家にやってきては、僕のジャズレコードのコレクションをひっくり返して「Yuma、ジャズなんて最悪だ、too boringだよ。」(※本人は生粋のニューヨーカーで本場のジャズミュージシャンに囲まれて育ったのに!) と言ってはサイケデリックポップを聴きながらお酒をたらふく飲んで帰っていく。(マシュー、60年代のサイケポップを聴きながら飲む朝のコーヒーもそんなに悪くないって思えてきたよ!)

そんな彼に教わったことは数えきれないけど、「愛着のデザイン」について彼が話してくれたのをよく覚えている。

人は愛着を持ったモノは人生の長い期間に渡って大切に使う。壊れたら修理に出したり、同じものを買い替えたりする。時には自分しか知らないような使い方を編み出したりする。そして人がモノやサービスに愛着を持つのにも人それぞれの理由がある。人がその製品やサービスに愛着を持つように自分だけのストーリーを持てるようあえてデザインに余白残すことが大切なんだと教わった。

韋駄天とでも呼ぶべきバイタリティと行動力に溢れた人だけど、その源泉は純粋な好奇心と人への愛情に溢れた人だと思う。50歳を超えて異国の地に移り住んで生活の基盤を築きながら、自分の好奇心に忠実に従って新しいプロジェクトを次々と生み出している彼のフレッシュネスに学ぶところは大きい。

疎まれるおじさんという存在

前置きが長くなったが、翻って世間のおじさんについてである。奇しくも世の中は空前のおじさんブームだ。今年はよくも悪くもおじさんが世の中を騒がせた一年だった。世間を騒がせたニュース、ワイドショーの中心にはいつもおじさんがいた。

日大アメフト部の暴行指示問題、ボクシング連盟会長の強権不祥事、文科省や財務省のシニア官僚の不祥事、日産ゴーン逮捕・・・などなど。

ついにはこんな本まで出版されて世間からのおじさんに対する風当たりは強くなるばかりだ。

世界一孤独な日本のオジサン

劣化するオッサン社会の処方箋

うーん、なんとも先行きは明るくなさそうである。自分もついに30代に突入してにわかにオジサンの響きがリアリティを伴って感じられる年齢になってきた。こうなると逆に生存戦略としてのごきげんおじさんを研究する必然性がにわかに現実味を帯びてくるのだ。

・ごきげんおじさんと老害おじさんの分岐点は一体どこにあるのか?

・この正解のない時代、一体どんなスタンスを持っていれば他人と争うことなく精神的に豊かな人生を送ることができるのか?

この根源的な問いについて考えるべく、そして自分の人生の眼前に遥かに延びるおじさんロードをより充実して歩むべくその指針を求めて手に取ったのが今回ご紹介する本「パリのすてきなおじさん」である。

昨今のマクロン政権の燃料税引き上げ決定に端を発したデモは日を追って激化し、単に増税に対しての抗議といった意味合いから今や資本家対労働者層のイデオロギー闘争の様相を呈してきた。

そんな多国籍国家特有の課題を抱え経済停滞の最中におかれたフランスにおいて多様なバッググラウンドをもった個人が互いに異なる価値観や主義主張と折り合いをつけながら社会生活を営んでいくことがいかに難しいことであるかというのは想像に難くない。

そんな中にあって、パリの街中で見つけたごきげんなおじさんに声をかけ、彼らの人生のプリンシプルや生を充実させる秘訣を根掘り葉堀り聞いてしまおうとする斬新な切り口の本書である。

まず、冒頭で展開されるおじさんの定義からして小気味いい。

参考までに先ほど紹介した「劣化するオッサン社会の処方箋」での定義は以下の通りだ。

本書において用いる「オッサン」という用語は、単に年代と性別という人口態的な要素で規定される人々の一群ではなく、ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」として定義される、ということです。しかして、その「特定の人物像 」とは次のようなものです。
1:古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
2:過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない
3:階層序列の意識が強く、目上の者に媚び、目下の者を軽く見る
4:よそ者や異質なものに不寛容で、排他的

うーん、ステレオタイプといってしまえばそれまでだがなんとも穏やかではない。それに対して本書では、伊丹一三の言葉を借りて次のようにおじさんを定義する。

「少年である僕がいるとする。僕は両親が押し付けてくる価値観や物の考えに閉じ込められている。(中略)ある日ふらっとやってきて、両親の価値観に風穴をあけてくれる存在、それがおじさんなんです。」

あ~そうか!おじさんというのは、若者が自分の浅い人生経験や明確な自我が形成される以前に周囲の環境によって規定された価値観ではたどり着くことのできない新しい考え方、世界の捉え方を垣間見させてくれる潜望鏡のような存在なのだと妙に納得してしまう。

つまりはごきげんなおじさんとは既存のフレームワークを取り払って(Think outside the box)、常識を疑い、世界を新しい視点で捉え直すメガネを貸してくれる存在なのだ。そう、おじさんとはイノベーションである

かつてパリーグ中興の祖とまで呼ばれたミスターマリーンズ初芝清もその堂々たるおじさん力によってプロ野球選手という存在に一石を投じたイノベーターに他ならない。彼はその孤高なまでのおじさん力をして「サードの守りについているのにサードを守っているように見えない」というコペルニクス的転回を日本の野球界でやってのけたのである。(下記記事参照)

本書では、一人のおじさんに数ページのテキストとイラストを割いてそのおじさんの人生哲学に迫っているが、当然のことながら皆に共通するごきげんなおじさんになる方法みたいなものは存在しない。

ベルベル人やユダヤ人、アルジェリア戦争の引揚者を意味するピエ・ノワールなど登場するおじさんの出自も様々でその人生の中で直面した戦争や差別、家族との別れといった不条理が自分の人生観にいかに影響を与えたか、そうした出来事に直面して自分のルーツをぶらすことなくどのように自分の人生哲学に昇華させたのか、その過程が軽妙な語り口ではあるが丁寧に語られている。

皆に共通して言えるのは、自らのルーツへの強烈な意識と他人の思考や言葉の受け売りではなく自分の頭で考えて決断をしてきた積み重ね、そして常識や既存の価値観に囚われない自由度の高さ、それが十人十色の独特の芳香となって余人をもって代え難い魅力になっているのだ。結局は自分の中での絶対的な幸せのものさしを持っているかどうかなんだよね。

パリのおじさんたちの至言

そんな決して著名人でもない市井のおじさんたちが自らの半生を経てたどり着いた物事の本質を抉る一言は金言・至言の宝庫だ。

「ほとんどの問題は他者を尊重しないから起こる」
「汝、自信を知れ」
「二分考えれば済むことを、みんな大げさに考えすぎだよ。」
「静かな心でいれば、強くなれる」
「愛においても、料理においても早いことはよくない。」
「テクニックを見せてはいけない。テクニックは食べられない。」
「とにかく調和が大事。対立からは何も生まれない」

最後に

ごきげんおじさんは哲学であり道である。その境地に至る正攻法など存在しないのだ。だけど、ふと人生に迷ったり壁にぶつかったりした時にごきげんなおじさんの生き様からヒントをもらうことができるのではないだろうか。自分の考えに囚われすぎてないか、他人の目を気にしすぎてはいないか、人に愛情を分け与られていないのではないか、今日という一日を楽しんでいないのではないか。そんな風に毎日をちょっとばかりのユーモアと余裕を持って捉えられるようになればあなたももう立派なごきげんおじさんの仲間入り間違いなし!

追伸

僕の盟友、将来はチルなごきげんおじさんを自認する幸四郎とそのパートナー薫子さんがシーシャー(水タバコ)、バー兼ギャラリーのSERAを東京は下町蔵前(浅草橋)にオープンしました。私は音楽監修としてごきげんおじさんが集う空間作りに一役買っております。ふとごきげんおじさんと戯れたくなったり、忙しい毎日にチルなひと時が欲しくなったら是非足を運んでみてください。東京随一のシーシャーと美味しいお酒と音楽をご用意してお待ちしております。

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コメント (1)
うわー 大作ありがとう…!まさか普段オシャレなyuumaがおじさんのことについて考えてるなんて、、この引き出しの開帳、わたし今年一番いい仕事した気がするわ。。水タバコ吸いながら音楽聴いてぼんやりした〜い😆
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