みふね速水

美術系で新規に事業を展開中です。 皆さまのところへお伺い致しますが、よろしくお願いいた…

みふね速水

美術系で新規に事業を展開中です。 皆さまのところへお伺い致しますが、よろしくお願いいたします。 以下は以前のプロフです。 美術に特化して、創作意図や創作秘話のような小説を書いていきます。絵画等の作品のインスピレーションを小説化する取組みです。

マガジン

  • 年 暮るるまで

    芸術に親しむ男女、もう若くもないが、そういうふたりが京都を中心に、美術館を廻る。ふたりの交流を描く。

  • 美術館廻り

    多くの美術館の企画展から、蒐集品のこと、企画の主旨等 を紹介します。 不定期ですが、Facebookで主催しているグループ 「美術館なおもむき」に準じます。

  • 風神雷神   -琳派 四百年-

    よく知られた「風神雷神図屏風」。だが屏風は依頼者がおり、目的があって創作させたのだ。何のためのどういう意味の屏風か!

  • 京の舞妓

    日本画で舞妓の姿に迫った画家。画家は何を描いたのか・・・?

最近の記事

緑潤 五  清水産寧坂

近代美術展を出ると朝はあんな好天であったのに雲行きが怪しい。 これは、と思う間もなく、ぽつりぽつりと降り出した。 「あ、こりゃまずいな。天気予報では、晴れだったのに。」 「ええ、でも所によりにわか雨、になってましたさかい、やはり梅雨の走りかもしれませんね。」 「そうだね。 清水坂の方に行こうと思っていたんだが、仕方ないからタクシーに乗ろうか。」 「俊さんには恵みの雨やね。もう汗かかんで済みますな。」 「こりゃ、図星だな。」 ふたりはタクシーで清水に向かう。 「雨といえば最近

    • 緑潤 四  近代美術館「山口 香楊 展」

      ふたりは、北野美術館を出てその辺りで食事にした。 時間は少し早いが、平日の金曜なので昼時に混みあうのを外した。 京都は街のあちこちに未だに昔ながらの喫茶店もあり、近所の人たちも馴染みである。 十一時半までモーニングサービスの店を雅が目敏く見つけて、ぎりぎりの時間だったが、モーニングサービスを注文できた。 僅か六百円ほどで、飲み物とプレートのサービスだ。 「先ほどの美術館も良かったですね。 日頃、お茶のお稽古行ってて、お道具拝見とかやってるけど、ああして改めて鑑賞するとそ

      • 泉屋博古館東京 リニューアルオープン

        桜も東京ではあちこち開花し、エリアによっては樹に三分から七分も花が開いています。 東京は今週、強烈な寒気のあとようやく気温も上がって、金曜日にはコートなどなく、町を回遊できました。 私は子供の頃から美術館に親しみ、本格的に美術館廻りを初めて40年近くになります。 コロナ前には年間300展以上を鑑賞していましたが、案外これくらいの鑑賞数の方は、美術系ブロガーさん等では標準と言えると思います。 コロナ蔓延後約2年半では、大幅に美術業界や美術館を取り巻く環境は様変わりして美術

        • 『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          緑潤 三  北野美術館 終点の出町柳駅で下車し、俊は鴨川を渡って、とある美術館に雅を誘った。 「へぇ、こんな所にも美術館があるんですね。」 「ここは茶の湯の色々なコレクションが多いことで有名です。 でもだいたい好事家というものは、お茶にのめり込むので茶道具を蒐集している美術館は多いですよ。 京都では茶道美術館もあるし、関西では香雪、湯木、東京では畠山、五島、それに三井にも多くのコレクションがある。」 「凄い、蘊蓄大臣やね。」 「あ、こりゃ失礼。 知ったかぶりするつもりは、

        緑潤 五  清水産寧坂

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        • 年 暮るるまで
          16本
        • 美術館廻り
          1本
        • 風神雷神   -琳派 四百年-
          8本
        • 京の舞妓
          2本

        記事

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          緑潤 二  修学院離宮 六月はじめの平日に、俊は出町柳駅で雅と待ち合わせた。 今回は、叡山電鉄という電車で修学院離宮に向かう。 但し、離宮には宮内庁の参観許可が必要なので、予め雅と日程を調整したうえ、NETで二ヶ月前に申し込んだ。 予約はどんどん埋まるようで、辛うじて予約できた。 幸い、まだ梅雨に入る前で天候は上々だが、何と言っても俊には応える。 汗をかいてもいいように、制汗剤やクールシート、タオルなどを入れたデイバッグを持って出かけた。 やはり朝早くの九時の分しか空

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          緑潤 一  展示会 五月に入ると夏を思わせる気候となった。  俊は夏が苦手だ。 冬生まれで、高温、高湿度に弱いので、何ともやり切れない。 最近は涼感グッズも増え、毎夏、何とか凌ごうとしているが、やはり憂鬱な気分になる。  特に京都の夏は厳しい。 かつて吉田兼好和尚が嘆いたとおり、如何に涼しさを演出し、どう対処するか悩む夏である。  しばらく梅雨の走りのような雨天が続いたあと、五月の月末は晴天となった。  日中、社内の煩瑣な業務をこなし、様々な決裁も終え、ようや

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          春静 (7)  仁和寺  きぬかけの路を三十分ほど行くと、右手に大きな寺域が見えてきた。  正面には石段の上に、二王門が見える。 境内に入るとゆったりした伽藍(がらん)配置である。 門の左側は、仮御所であった宸殿(しんでん)がある。 更に進んで中門を入ると右手に満開を少し過ぎた桜が繁茂する。 いわゆる「御室桜」(おむろざくら)である。 ひとの背丈ほどしかない低い花種であるが、それだけに花の位置が観る人に近く、とても愛らしい。 今が盛りで、その様子はまるでピンクの霞をかけたよ

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          『第一部 風神雷神図屏風』

          京の絵師 (3) これで貴人との会見は済んだようだ。 ふたりは金堂の縁、階はしの人々が退出したあと、また案内されて座敷に戻った。 先ほどの高僧が現れ、労いの言葉と共にこう述べた。 「いやぁ、肝が冷えましたぞ。直答でやり合うとは。」 「申し訳ござりませぬ。」 乾山が空かさず詫びた。 「いや、何の。大臣(おとど)もお喜びじゃった。 では早速、案内(あない)致しましょう。」 そう言うと控えていた若い僧に目配せした。 若い僧はふたりを誘い、回廊を巡って北側の座敷に案内した。 広く深

          『第一部 風神雷神図屏風』

          『第一部 風神雷神図屏風』

          京の絵師(2) 尾形光琳は言われたことをやりながらも、鬱屈する気持ちを持て余していた。 同じ意匠を作るにしても、もう少し主題を明晰にしたい。 ただ季節に関わりがあるとか、次の流行りを先取りすべく輪違い紋様だとか言われても面白くない。どうせやるなら、源氏物語や伊勢物語からの紋様を制作したいものだ。筒井筒や八つ橋など、とても好ましい主題と思う。 輪違いにしても源氏物語の宇治十帖から柳橋と組み合わせるとか、趣向もあろうに、と思う。 またこういった憂さを晴らすには島原にでも繰り出す

          『第一部 風神雷神図屏風』

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          春静 (6)  堂島日之出美術館 更に行くと、雅の言うとおり左に折れる道に出た。 そこからなら、桜を右に入れる構図が完成する。 ふたりはその地点でしばし立ち止まり、盈夷の作品を偲んだ。 山桜はあの絵ほど華やかには花開いてはいないが、画趣を彷彿として、何とも優雅である。 盈夷は、この景色に春の長閑けさの中で毎年変わらず花をつける桜を、その生命力を、描いたのであろう。 そして山懐に抱かれるように守られてきた京都の画趣を大らかに表現した。  都市の開発が進み、やがて自然も変化して

          『年暮るるまで』-京洛の四季を廻る-

          『年暮るるまで』 -京洛の四季を廻る-

          春静 (5)  春しずか これからの美術館回りの予定を約しあったふたりは、約一月半後に再度、一緒に出掛けた。今回は雅(みやび)が提案したとおり、東山盈夷(えいい)の作品の題材となった各地を廻る趣向だ。 最初に題材を得るのは、春の画題で「春しずか」という作品である。その桜の絵は、鷹が峯で画境を得た、という。 ふたりは、地下鉄とバスを乗り継ぐ行程で鷹が峯に向かった。 俊は、地下鉄東西線の東山駅近くのマンションに住んでいる。 十数年前に思い切って購入した。 妻と子供ひとりの生活に

          『年暮るるまで』 -京洛の四季を廻る-

          『年暮るるまで』 -京洛の四季を廻る-

          春静 (4)  山竜美術館 「このあとは、どこへ連れてってくれはるんですか。」 「四条河原町の百貨店で、東京の山竜美術館の企画をやってるから、そこに行きましょう。」 「へぇぇ、確か日本画専門の美術館ですよね。」 「そうですね。 特に近代の秀逸な画家の作品が目白押しです。」 もう夕刻である。 いつもは帰宅を急ぐ人たちで混雑しているが、休日はその流れとは異なり、京都を訪れた人々が買い物したり、食事をしたりするため賑わっていた。 百貨店のイベント会場には、最初に美術館の紹介があり

          『年暮るるまで』 -京洛の四季を廻る-

          『第一部 風神雷神図屏風』

          京の絵師 (1) 尾形乾山は窯の様子に気を配りながら、父から聞かされた話を思い起こしていた。 もう二十年以上も経ってしまった。 今更ながら信じ難いことだ、と繰り返し思ってしまう。 父は、おまえには兄がおる、と、まるで『そこのものを取ってくれ』、とでも言うように容易く告げた。 急にそのような話をされても、と困惑しつつ次を待っていると、更に追い打ちを掛けられた。 その兄は色々あったのだが、今は絵師である、引き取って絵を描かせようと思う、と言った。 「あいつは、さる女に生ませた

          『第一部 風神雷神図屏風』

          『年暮るるまで』 -京洛の四季を廻る-

          春静 (3)  何省館    ふたりは、知恩院方面に歩む。細い道筋だが、観光客は多く左右の土産物屋も賑わっている。 知恩院の三門前で右に折れ、祇園方面に更に歩みを進めた。 「俊さんは、こうして美術館廻りしながら、いつも歩いてはるんですか。」 「そうですね。運動らしい運動もしていない毎日だから、唯一の運動かな。一日で結構歩きますよ。一万五千歩から二万歩くらい。」 「へぇぇ、そんなに。じゃ私もご一緒したら、ダイエットになりすね。」 「いやぁ、それはどうかな。先ほど

          『年暮るるまで』 -京洛の四季を廻る-

          『第一部 風神雷神図屏風』

          篠山にて (3) 白鷺は素早く目覚めると隼の存在を認めた。姿は見えぬが存在を感じた。それは鍛えられた特殊な能力だ。 彼らは気配を持たぬ。 まず感情の抑揚がない。心はいつも、凪の日の湖面のように静かで鏡のようにまっ平らである。 これは生まれ育った九重の邑(ここのえのゆう)での、そして、結(ゆい)での訓育の賜物であった。 幼子の頃はともかく、物心つくとまずは心の訓育を学ぶ。無理強いではなく、水が布地に染み込むように、諄々と馴染んでいく。 邑では全てが満たされている

          『第一部 風神雷神図屏風』

          『年暮るるまで』 - 京洛の四季を廻る -

          春静 (2)  青黎院 岡崎公園に近く、その日本料理店は繁盛していた。 この辺りは平安神宮や京都会館、国立と公立美術館があり、観光スポットとしてもメジャーなので、強気の営業をする店も多い。ランチを予約するなら、六名様以上から受け付けておりますとか、懐石弁当の五千円以上のご予約から承っておりますとか、商魂はたくましい。 そんな中でその日本料理店は大変良心的で、ランチでも席の予約のみで受け付けてくれる。しかも美味でリーズナブルである。 二人は席に案内され、懐石のミニコ

          『年暮るるまで』 - 京洛の四季を廻る -