異なる角度から見るロックンロールの歴史。映画『ランブル 音楽界を揺るがしたインディアンたち』。

◆ブルースの水脈にはインディアンのビートが流れている

音楽長いことロックを聴いているような人なら
ロックンロールの歴史は、ひととおり理解していると思うかもしれない。

ブルースやジャズがロックのルーツで・・・なんていう話は耳タコだろう。

でもこの映画を観ると、あれあれ、と思わずにはいられない。インディアンの糸がこれほどまでに、ロックンロールの成り立ちを織りなしていたことに驚かされる。

これまでこの手のルーツ・ミュージック映画の多くは、ローリング・ストーンズやエリック・クラプトンのコメントが中心になることが多かった。いい悪いではなく、もう彼らぐらいしか語る人がいないのだろうと思っていた。

だが、この映画の製作総指揮をとるのはスティーヴィー・サラス(アパッチ族)だ。登場人物も幅広い。インディアンのルーツを持つ人も、そうでない人もいるが、デルタ・ブルースから、ヘヴィメタル、ヒップホップまで見事に一本の糸が絡まりながらつながっていく。

デルタ・ブルースの父、チャーリー・パットン(ピーター・バラカンさん監修の字幕ではパトン)がインディアンの血を引いているのは知っていたが、影響を鮮やかに見せてくれた。パットンの激しいビートは、インディアンのルーツそのものを露わにしていたのだ。

パットンからハウリン・ウルフへのストーリーには、ブルース~ロックの水脈にインディアンのビートや節回しが流れていることも、自然に教えてくれる。

先住民族による女性コーラスグループ、ウラリの歌声も印象深い。これまでフィールド・ハラーやゴスペルについて抱いてきたイメージは、どうやら通りいっぺんのものだったようだ。彼女たちが演奏するシーンでの、バンジョーという楽器への言及も興味深い、

また私がインディアン・ビートと言ってすぐに思い出す、派手なコスチュームをまとったニューオーリンズのマルディ・グラ・インディアンも登場。ワクワクさせられる一方で自由黒人、逃亡奴隷、居留地、ジェノサイド・・・いろんな現実が強烈なビートに重なり、アタマの中でぐるぐる回る。これまで何か大事なものを見逃してきたような気持ちになる。

インディアンの男たちははアフリカに送られ、代わりに送られてきたのが黒人奴隷。奴隷の9割は男であって、インディアンと結婚した・・・。
インディアンの居留地に逃げ込む黒人の奴隷。そしてバレれば迫害されるインディアンより表向きは黒人でいるほうが、まだよかった・・・。。

アイヴァン・ネヴィルが「自分には先住民とハイチ人とフランス人とイタリア人の血が入っている」と話す言葉も、これまで以上に重みを持って響いた。

◆ジャンルを超えて今日からいろんな音楽が聞きたくなる

黒人であるにもかかわらずロックを演奏していると言われたジミ・ヘンドリクスは、チェロキー族とアフリカン・アメリカンとスコットランドの血を引いている。

この映画でも丁寧に描かれているる天才ギタリスト、ジェシ・エド・ディヴィスは、生粋のインディアン。じゃあ白人ではない彼の音楽はなんだったの?ロックではなかった? またその独創性とインディアン・ルーツとのつながりは?

さらには、ジャズのディーヴァ、ミルドレッド・ベイリー、干されても歌いたいことを歌い続けたフォーク・シンガー、バフィ・セイント・マリー、早逝したヘヴィ・メタルのスーパー・ドラマー、ランディ・カスティーヨ。ブラック・アイド・ピーズのタブー。

普段あまり耳にすることのなかった人たちの内包するビートも、私に新しい角度からアメリカ音楽のパワーを強烈にアピールしてきた。

次から次に登場するミュージシャンのエピソードを追いかけながら
使い古された脳内のヒストリー・ブックをフル回転で修正していく。
それでもなかなか1度では整理しきれなかった。

◆言葉より強烈な一太刀を振り下ろす「ランブル」

ところでタイトルの<ランブル>は、ショーニー族のギタリスト、リンク・レイが1958年に発表したインストだ。ひずんだギターの音だけで人の心をざわざわさせるこの酷は、暴力的で人を扇動するとして放送禁止になった。

もちろん「ジョニー・B・グッド」や「ロック・アラウンド・ザ・クロック」後ではあるが、若者たちはこの1曲に突き動かされ、外の世界へ飛び出していった。

こうした真実の一つひとつが21世紀になるまで、公言されてこなかったことも驚きだった。しかも製作は自由の国アメリカではなく、カナダである。
そんな映画を Black Lives Matterが叫ばれ、アメリカ大統領選の行われる2020年に観ることができたのは大きい。

先住民であるというだけで、土地だけでなく文化、そして命まで奪われてきた人たち。その血と誇りは枯れることなく暗渠となって流れ続け、そして今、また人々の眼や耳に触れることとなった。

ポップ・カルチャーにおける先住民たちの研究を牽引し、このドキュメンタリーのきっかけを作ったスティーヴィー・サラス(アパッチ族)、そしてその情熱に応えた、20年にわたり先住民をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作してきたキャサリン・ベイブリッジ(夫がクリー族)の愛情のこもった仕事にも敬意を表したい。

渋谷での上映は終了しましたが、各地での上映はこれから。
機会があれば映画館に足を運んでみてください。

http://rumblethemovie-japan.com/

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