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これからどうなるの?から、正気に返る

これからどうなっちゃうんだろう

新型コロナウイルス、クルーズ船の感染拡大、一個人の告発、国の弁明、感染ルート不明の感染拡大、医療機関の対応、感染予防、マスク盗難、などなど。

コロナウイルスについての情報も、TwitterなどのSNSで情報が湯水のごとく、わーーーっと溢れています。

今までは「国や専門家のコメントだから安心」という、何となくの「安心感」という、情報の取捨選択の基準がありました。

少なくとも、私の中にはありました。

大量の情報のるつぼの中にいても、もうバッサバッサ切り捨てて、自分にとってですが、情報が誤りである蓋然性の少ない情報を選び取っていました。

しかし昨今、その判断基準や情報の取捨選択が、機能しなくなりつつあります。

国家権力や専門家よりも、「現場にいる人、体験している人」が直接、発言するようになりました。

「1人ジャーナリスト」のような存在です。

現地での生の声がどんどん出ると、今まで片方だけの情報だったのが、その事象について四方八方に出てくるわけです。

「群盲象を評す」と「矛盾」

そこで「群盲象を評す」という言葉を思い出しました。

「群盲象を評す」とは、この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場する。盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というものです。

あと、ある情報が正しい、という一方で、この情報は間違いだ、というような「矛盾」という言葉も思い出します。

矛盾とは、あることを一方では肯定し、同時に他方では否定するなど、論理の辻褄(つじつま)が合わないこと。

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今まで比較的簡単に、人の意見に対して「正しい」「間違い」と振り分けていました。

(その中で、本当に正しい情報を拾えていたかどうかはわかりません)

特に、一部が切り取られた情報だったりすると、情報の価値が変容してしまいます。

または流れる情報同士が、矛盾したものだったりすると、一方の発信者の意図により、「作られた」情報もあるでしょう。

そのため、情報が錯綜する分、「正しさや誤り」がわからなくなります。

なぜなら、これだけ情報がわーーっと秒単位で沢山溢れていると、その事実毎に、正しさを証明できないことがほとんどだからです。

検証される間もなく、どんどん秒単位で、情報があふれ出ては押し出すように、流れていきます。

正気に返る。それは「全てはつながっているとわかること」

そんな情報のるつぼにいると、ある瞬間、わたしは、ほっぺたをパーンと叩かれたように「正気に返る」感覚が生まれてきました。

正直申し上げますと、今までは、社会と自分との感覚が、とても遠かったと思うのです。

つまり、他人事だったと思うのです。

社会の問題は社会が考えることであり、わたしの考えることではない、と思っていました。

でも、この新型コロナウイルスの一連の動きは、社会とわたしを密接に繋げました。

具体例として、マスク不足です。今までは当たり前にお店に置いていたマスクも手に入らなくなりました。

このときに、「今までマスクを作っていたのは、中国にある工場に働く方々だったんだ」と気づくわけです。

そして目の前にある、生活を支えてくれていた商品がさまざまな場所や人たちの手で作られていたことを、肌で感じるわけです。

その時に、経済活動と自分の生活が一気につながったのです。

正気に返る。それは「健康の原点に立ち返ることができたこと」

話は少し変わりますが。

医療機関を受診するときの姿勢についても、考えさせられています。

今までは医療機関は「病気を治す場所」という認識でした。病院では、病気をみてもらい、病気を治してもらう、という感覚です。

しかし、新型コロナウイルスは(ウイルス性の病気、インフルエンザも、風邪も)薬で「治療」はできません。

インフルエンザの薬も治療ではなく、ウイルスの増殖を抑えることはできるというものです。

余談ですが、「病院で薬をもらい治す」という感覚で病院を受診すると、期待外れになってしまいます。でもそういう人が多い気がします。病院の先生は、そういう期待を背負い、本当に大変だなと思います。

健康でいるためには、薬を求めて病院に行くことではないことに気づきます。

つまり、病気になって治してもらうのではなく、病気にならないように日頃から気をつけて習慣化して、自分の健康を創り上げていくことが大事と気づきます。

いろんな記事でも書かれている通りですが、「日頃の手洗いうがいと、睡眠を取り、よく休み、栄養のつくものを食べて、心身共に健やかに過ごすこと」で、自らが闘う力(免疫力)を高めることが、ウイルスに抵抗する力になります。

「正気に返る」とわかったこと・まとめ

「正気に返る」というニュアンスをお伝えするのは、この点です。

1つは、世界の経済活動はつながっていること

つまり、わたしたちの生活は、様々な人たちの経済活動によって、支えられているということ。

2つめは、ウイルス性の病気になったら自らの療養が大事だということ

つまり、薬の服用よりも前に、健康のためには、自らの「免疫力」を上げることが、先にあること。

これらについて、自らや家族、そして組織のためになにができるか。その意識が芽生えたことを、「正気に返る」と申し上げています。

今の私ができること

さて「正気に返る」というニュアンスは、「自分で考える」ということとは少し意味を異にしています。

「自分の頭で考える」ことは、大切だと思います。

でも考えろ!といわれても、ぶっきらぼうのような気もします。

頭で考えるよりも、肌感覚で、人間の本能の部分で、今生きるために、「今日のわたしができることを一つずつ行う」ことがいいのかなと思っています。

誰かの情報の「正しさ・誤り」を責める前に、まずは最悪の事態に備えて、そして同時に明るい未来も見据えた上で、今の私でできることを行う。

今の私にできることは、最悪の事態に備えて、生活用品をstockすることだけではなく、将来のために、今のリソースでどのように仕事ができるかを考えて試してみて、やってみること。

そして、新たな可能性を実現できるものにしていく、その試みの時間に使いたいと思っています。

具体的にはリモートワークや、オンライン会議の質的向上、そして、オンライングラフィックレコーディングの試みの記事を見て、「あぁ様々なことが出来るんだな」と思っています。

大変な時期だからこそ!

実際、新型コロナウイルスで沢山の人が亡くなっています。

場合によっては、自らもかかって、重症化して、亡くなるかわかりません。例え、致死率が低いとはいえども、です。

そういう大変な時期こそ、大量の情報の中で、正しさや誤りを正すよりも、混乱した状況の中でも、今の私が出来ることを。

情報の先を少し読みながら、これから起こりうる最悪な事態と、一方では(きっと明るい)未来に期待を馳せながら、今この瞬間に、私ができることを着々と行っていきたいと思います。

読んでいただき、ありがとうございます!


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