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福島県12市町村の復興を知り、移住について考えた2日間①

先月の茨城県日立市ワーケーション体験ツアーに続いて、福島県田村市・大熊町の移住体験ツアーに参加しました。

手頃な費用で参加できて、観光やその土地ならではの体験をしながら、移住者や地元の人、ツアー参加者と交流し、移住や自分の将来を考える有意義な旅です。

今回の行き先は、東日本大震災の原発事故により避難区域に指定された12市町村の2つ、田村市と大熊町。

まずは田村郡三春町にあるコミュタン福島を訪ねました。福島県の震災からの復興、放射線や環境問題について学べる施設です。

右手前にあるのは線量計です。


わたしは福島県を訪れるにあたり、放射線に関する心配はしていませんでした。原発事故から11年、多くの人の尽力もあり、安全に暮らせる場所になっていると思っていたからです。

余談ですが、『学校に原発ができる日』(2013年上演)という原発事故を題材にした舞台脚本を書いています。

見学して感じたのは、この地はまだ震災後なんだ、ということ。

3月11日震災当日、わたしは都内で妹と一緒に地震に遭い、3時間歩いて妹の住む家へ。2日後に高崎線が動いて埼玉の家に帰宅。当時、派遣で働いていたコールセンターでは架電業務を一時中断するため、仕事が数日なくなりました。13日には祖母が入居していた施設で逝去。電力供給が不安定で計画停電がはじまるかもしれない、ガソリンも手に入りづらいなか親戚が集まって葬儀。

それなりに大変で不安でしたが、これは昔の話。「震災」も「震災後」も過去になっています。

ところが福島県で避難区域になった市町村では、すべてを置いて住み慣れた場所を離れなければいけませんでした。地域によって差はありますが、避難指示が解除されてもすぐに戻れない人たちがたくさんいます。
「震災後」が今も続いているのです。

大きく損傷した福島第一原発の模型
震災当時の地元新聞
線量計
360度スクリーンのシアター

これは、単に移住を検討するだけでなく、避難区域の復興を知るツアーでもあるんだと実感したのです。

続いて、田村市に入りました。
ここは平成の市町村合併でできた大きな市。震災では一部の地域が避難区域になりました。どちらかというと、他の避難区域からの避難者を受け入れた側面が大きい地域のようです。

きのこTAKE(ていく)でしいたけ狩り。
ここでも復興の歩みを伺いました。

放射線汚染拡散により、菌床やしいたけを廃棄。風評被害もあり売上がない月が続いたそうです。

放射性物質検査を続けて、他にも様々な技術を取り入れたり、努力を重ねて販路を拡大し、現在に至るとのことでした。

国が推し進めた原発の被害により、住民が住めなくなったり、商売もままならなくなってしまったこと。その悲しさと今も続く戦いに、1年間住んだ沖縄県を重ねてしまいました。沖縄県は今も米軍基地や戦後の問題が終わっていません。

その苦労や心労を受け止め、離れた場所に住んでいても思いを寄せていたいと改めて感じました。

しいたけ狩りは従業員の方に手伝ってもらい、お土産に持ち帰りました。

にょきにょきかわいいしいたけたち。

その後、廃校を活用したテレワークセンターで移住者の話を伺い、本日の行程は終了。

宿泊したホテルは、四季の宿 天瑞。

市町村合併で使われなくなった市役所をイノベーションしたホテルだそうです。

夕飯の写真は最初に席についたタイミングでしか、撮っていません。ほかの参加者との歓談が充実してしまいました!

夜は新しくできたばかりのロウリュウサウナで、木の香りを楽しみながらのサ活。
ここでもはじめて会う人たちで女子トークが盛り上がりました。

1日目が終了です。



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