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これが私の選んだカード

文・ハネサエ(OTONAMIE)

就職氷河期のピークはいつなのかとインターネットで調べたら、2000年~2003年と書かれてあった。
それはまさに私が就職活動をしていた頃で、また、夫が就職活動をしていた頃でもあった。

高校卒業後の進路についてを話すとき、いつも「就職率」についての話がつきまとっていた。
医療系に進めば就職は間違いないだとか、四年制大学よりも専門学校のほうが就職しやすいだとか、女子は短大にしておかないと就職できないだとか、閉鎖的な田舎の風土も手伝っていたかもしれないが、そんなふうに就職への不安はじわじわと外堀を攻めるように私たちの中へ侵食していった。
実際、姉は就職率という言葉を盾に高等専門学校への進学を親から勧められていたし、私は四年制大学よりも短大がいいと言われた。
就職することがいかに難しいのかとはっきりと話す大人はいなかったけれど、就職をするためにはと前置きが入るたびにこれから飛び込む荒野についてを考えずにはいられなかった。

*

私が就職活動をしていたのは2003年で、夫が就職活動をしていたのが2001年のことだ。
我々はまさに就職氷河期のピークを泳いでいたと言っていい。
確かにあの頃、新卒で就職するということはかなりのハードルの高さで、特に我々文系大学の人間は簡単に振り落とされる駒のひとつだった。
大人たちが言った通り、同じ大学内でもやはり短大卒は就職率がよく、夫を含む四年制大学に通っていた学生のほうが風当たりはきつかったようだ。

卒業後はとりあえず地方の実家に帰る人もいれば、ワーキングホリデーで海外に行く人もいた。なんだか分からないけれどふらふらしている、みたいな人もたくさんいた。
それに、新卒で就職したはいいけれど、とんでもないブラック企業だったという人もちっとも珍しくなかった。
なんだか我々みんなの中に、「まともな就職なんてそうそうないよね」という空気が暗黙の了解のように沁みついていて、正社員でまともな待遇なんてよほどのうまい話でどこかに罠があるんじゃないかしら、というくらい稀有なことだったのだ。

ちなみに、私はその就職氷河期の最中に老舗のスーパーホワイト企業に就職した、サバンナで言うとホワイトタイガーみたいな存在で、夫はウルトラブラック企業に就職して、その後無職の期間を経てアルバイトという、サバンナで言うとガゼルみたいな存在だった。

ちょっと余談になるが、私が就職した会社のホワイトぶりが当時では異次元なほどホワイトだったので、せっかくだから書かせてほしい。

勤務時間:9時~17時30分
残業時間:繁忙期のみあり、ただし最長1.5時間まで
賞与:あり

ちなみにこの賞与というのももちろん、どえらい金額で、また年に一度の社員旅行ではまさかのお小遣いが支給されていた。現地で好きなものを買いなさい、ということらしかった。
ノルマが課せられることもなければ、売り上げ目標を目指す必要もなかった。
社員をねぎらうためにたびたびパーティや会食が開かれ、我々はただ浮かれて美味しいものをたんと食べて、酒を飲み、甘やかされて働いていた。
なにか裏があるのでは、と思いながら、信じられないほどなにもなく、なさすぎて不安になって辞めたくなるという本末転倒なことすら起きて、気がつけば5年の月日が経っていた。
間違いなく、人生で一番贅沢に暮らした5年間だった。

さて、はっきりと就職氷河期の洗礼を受けた夫の話をしよう。
彼が就職したのは、いわゆるブラック企業だった。
顧客が比較的高齢の、しかも女性がほとんどだというのに耳を疑うほどの高額なノルマが課せられていた。
強引なやり方で契約を取ることを求められ、夫ははっきりと心身を疲弊させ、就職から1年と経たず退職した。
その後、1年近く無業の状態にあったと聞いている。


やがて、いくつか履歴書を送った先で採用されたスポーツショップでアルバイトとして働くことになり、「正社員にならないか」と打診を受けたころにちょうど私と知り合った。
その時のことをよく覚えている。


夫は職場の提案に対し「迷っている」と言い、私は4つも年下の分際で「なに言ってるんですか!ありがたくお受けします、一択でしょう!!!!」と言った。
ちなみに夫はなにも覚えていない。夫は昔のことをすぐに忘れるタチで、子どもの頃のことも、姉と兄が怖かったこととミスター味っ子を読んでいたこと以外、ほとんど覚えていない。
正社員を打診された件も、もう20年も前のことなので、ぼんやりとしか覚えていない。
なぜ、迷っていたのかと尋ねても、なにやら曖昧模糊とした返事しか返ってこなかった。

「このままでいいような気がしたんだよなぁ」
「なんでだろうなぁ」
「時給も悪くなかったしなぁ」

などと夫がぽつりぽつりと話す記憶の断片を聞きながら、ひとつハッとしたことがある。


あの頃、我々は「なにかを選べる」とは到底思っていなかった、ということだ。
我々は、選別され、選ばれる対象であり、なにかを選べるとはちっとも思っていなかった。

我々は置かれた場所で咲くしかない花だったのだ。

*

選択肢を与えられて、選ぶ立場になったとき、怯んでしまうのはもしかすると就職氷河期世代特有だろうか。
現在、仕事で新卒採用に携わっている夫曰く、今の学生はまさに「売り手市場」で内定をいくつも持っていることも珍しくないのだという。
彼らは、ごく自然に、いくつも持っているカードから、自分にとってベストなカードを選んでいるのだ。

選ぶことはすなわち、自分からなにかを変えることだ。
今まで着ていた服を脱いで、着たことのない服を着るのは勇気がいるだろう。
社会に初めて出たそのときに、手痛い洗礼をビシビシ受けた我々は、もしかすると少し臆病で、少し保守的なのかもしれない。

働き方に貴賤はないけれど、ほんとうは選ぶことができて、何度も選びなおすことができることを、置かれた場所で咲くしかなかった私たちは時々忘れてしまう。

私たちは何度でも、選ぶことができるのに。

夫に「今更だけど、あのとき正社員になってよかった?」と尋ねると、「うん」とも「ふん」ともつかない曖昧な返事が返ってきた。

あの頃そばで見ていた私は、彼がはっきりとやりがいに満ちてその後の5年間を駆け抜けたことを良く知っている。
そして、その5年間を青春そのものみたいに、大切に思っていることも知っている。

うんと大変だったこともあるけれど、それでも自分で選んだ場所は与えられた場所の何倍も愛おしい。

*

ここ数年、ようやくなにかを選んでいる実感がある。
私もまた、ずっとなにかを選べると思っていなかったうちのひとりだ。

子育てが少しだけ落ち着いて、やっと走り出せるようになった開放感が私の背中を押している。
尻込みしそうな私の背中を、子育てでがんじがらめになっていたあの頃の私が蹴とばすように押してくる。
それでも、変化に飛び込んだとき、不思議なことに笑えるほどすべては上手く転がった。

自分で選んだカードを持った今、私は過不足なく幸せだ。
私は今、働くことがとても楽しい。

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