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クリエイティブの源泉3:着物、イッセイミヤケ、Fabcell

最近、着物に関するお仕事を行う中で、そういえばFabcellは、着物のインスピレーションを得て作られたことを思い出しました。

https://note.com/midorishibutani/n/nfbebb5e8b817  の続きの話。

制服着崩し一切禁止の厳格な女子校に15年通いつめていた者として、ファッションも心も最大限に自由になれる場所が、渋谷・原宿ストリートでした。90年代〜2000年代にかけて原宿の路上に集まる個性的なファッションは、世界のファッション史的にも特異な時代と最近見直されているらしいですが、ネットもない時代、リアルに個性的なファッションの人が集うことで切磋琢磨する凄まじいエネルギーに影響されました。ファッションショーとは全然違う、デザイナーの意図と関係なく着る人自身が自分仕様にカスタマイズしたり、皆違う個性を表現するの究極ファッションのようなものを垣間見れたのはとてもラッキーでした。

そういうわけで、高校卒業したら髪もピンクに染めると言っていたくらいなのですが、いざ卒業して、私らしい好みのファッション表現の行き着いた先は、ISSAY MIYAKEや、海外DCブランドの着物にインスパイアされた服でした。(おかげで髪はその後も染めることなく黒髪キープされました。)
ちょうど20歳頃、成人式を迎えるタイミングで、着物に目を向け始めたことも大きいです。はじめて着付けを習いはじめたのもこの頃。

意外と喪服が中古の着物屋で簡単に手に入ることがわかり、黒の喪服に色の変わるインクを塗布したり、喪服の中に発熱体や電池を仕込むという、呉服屋の女将さんが仰天させた謎の実験や制作をはじめながらFabcellの制作をスタートしています。

発熱体を糸状にすることで、デザインを変えられる1枚の布はできそうなことはわかりましたが、その先端にはバッテリーや制御装置的な平面には治まらないものを繋げる必要になります。着物には帯枕もありますし、帯や小物の中にもうまいこと仕込めて隠せる…ウェアラブル機材スペースとしての着物独特の形状のほうが、ボディラインに沿わせる洋服と違って最適かもと。

ファッションの究極である、デザインや柄を自分で自由に変えられる服、というのは和服からはじまるのかもしれません。とある着物研究科のかたにお会いしたときに、もし戦争がなく着物文化がそのまま残っていたらどうなるだろうか、という刺激的な問いが頭に残っています。

ちょうどこんな図案でした

当時Fabcellをつくりはじめたときに、青山の骨董のお店で出会った着物がとても印象的で。ちょうど第二次世界大戦頃に作られたという、軍用飛行機の描かれた着物を目にして、冠婚葬祭の代名詞的な着物が、ここまで当時の世相を反映するカジュアルなTシャツ的存在なのかと驚愕しました。そのまま変色テクノロジーも加わって発展してすると、単なる”和柄”ではなく、トレンドや世相をダイレクトに反映する和服が出てきた可能性はあります。

縞帳

もう一つ、その骨董の店で出会った、縞帳(しまちょう)の存在もとてもインパクトの大きいものでした。

「縞帳とは【読み:しまちょう】
江戸時代後期から明治にかけて商品経済がまだ一般化していない頃、全国各地の農村で女性たちは自家用の縞や格子を織りました。家族のために糸を作り、織り、仕立て、手入れをして着せる作業は婦女子の大事な仕事であり甲斐性でした。縞帳はそんな女性たちが織りあげた布の端を切り取って紙に張りつけ、柄の心覚えとしたものが基になっています。その後、中間業者が入って客からの注文を取るようになると見本帳としての役目を持つようになります。縞、格子は先にデザインがあるのではなく織り手の感覚や家庭事情があって仕上がっているので、柄に特別の名称はないものがほとんどです。」

きもの用語大全より

いわゆる衣服を買えることができない時代、考えてみれば当たり前ですが、自分たちで作るしかなかったわけで、その作り方(織り方)も代々、縞帳として受け継がれていったらしいのです。その織り方などをあらわす独特の記号のようなものも代々記載されている縞帳をみて、プログラミングのソースコードみたいだな、と思ったんですね。

Fabcellは、単なる色の変わるテキスタイルではなく、その制作方法も自動的に”ソースコード”として吐き出されるシステムとして設計しています。布の色を変えたり、布の場所を簡単に変更できることができますが、その服の制作方法を、自動的に逆プログラミング、つまりソースコードとしてデータとして記述できることを意図しています。そのソースコードをもとに他の場所で再現して同じ服が作れたり、シェアしたり、もちろん改変もできますが、その改変分の差分も逆プログラミングでソースコード化され、その服が販売されて利益が出た時に、オリジナルのソースコードまで辿れ、クリエーターの収益分配ができる世界。Fabcell開発当時の20年前はまだブロックチェーン的な概念はなかった(or 辿りつけなかった)のですが、この縞帳の存在あってこそのインスピレーションでした。

ジャカード織機用のパンチカード

Fabellを作る過程では、京都の西陣織りの大きな工場から、個人でやっている織元さんのご自宅の片隅の手織り織機も見学できたことも大きかったです。この織りの世界。コンピュータとは対極のイメージの手作りクラフト感がありますが、布を織る織機は、パンチカード(穴をあけて情報を記憶する紙)を使い、柄の表現に使います。その穴があいているか、空いていないかが、ゼロ/イチとして記載できるので、まさに計算機コンピュータの原型、祖先とも言えるわけなんですね。

そして、同時期にイッセイミヤケ、というブランド、特に一枚の布という美しさと機能性に感化され、テキスタイルの可能性に目覚めたのはとても大きかったです。

Photo by Shoji Morozumi

ワンピース、ショールともイッセイミヤケです。購入時はすでに2代目のデザイナーに切り替わってからのものですが、ショールはPLEATS PLEASE。後ろで結んだり、折り方を変えたり、中にはハサミをいれていじってしまうかたもいますよ、と多様な着方を許容するこの服をイッセイミヤケの店員さんに紹介いただき、感動して涙が出て即買いしたのを覚えています(笑)。数年前に、両角章司さんという芸能人や著名人も撮影した実績をもつカメラマンのかたにポートレート撮影をしてもらう機会をいただいたのですが、このイッセイミヤケの服で撮ってもらいました。年代、時代も超えるデザイン、今でも重宝しています。

何よりもファッションデザイナー以上に、その服を着る人が自分の着方で着てはじめてファッションとして完成、という着る人の主体性といいます、か、ファッションの本質を捉える考え方、在り方が物凄く大きいインパクトでした。

慶應義塾大学脇田玲研究室 卒業展示資料より

おこがましくもありますが、その延長としてこのFabcellを位置づけています。究極的には、全ての服は、自分で色や柄を変えられるまで進化すべきだと。そんな思いを込めながら、電熱線を織り込んだ色を変えられるFabcell100枚を研究会メンバーを総動員させて作った服。まあ発熱はするし、マネキンの下にドキツイ電子制御基板があって、なかなかにテロリストの爆弾みたいなので(笑)着ることはできませんが。

大学4年くらいかな。

Fabcellの進化版を作りたいと、これをもって、イッセイミヤケの入社試験に挑んだもののかなわず撃沈したのですが、その後、三宅一生さんの講演会の会場でイベント前に、このことを少しお話する機会いただきました。ちなみにISSAY MIYAKEとしても、十数年前に温度で色の変わる服ということで同じ素材を使ってコレクション発表はされているんですが、色を自在にコントロールできるところまで持っていたのは非常に面白いね〜と仰っていただきました。そして、もっと感想、コメントも仰っていただけそうなタイミングで残念ながら、講演会開始のお時間ということでスタッフに呼び止められ足早に去っていきました。その後の感想を凄い聞きたかった!!

追記:

三宅一生さんがお亡くなりにということで、着物〜イッセイミヤケ〜Fabcellの一連のインスピレーションの流れをあらためて思い起こしています。講演会では、原爆投下された広島で育ち、ベルリンの壁崩壊まっただなかのドイツ、5月革命頃のフランス、パリ、ヒッピー文化の頃のアメリカ、911のニューヨークと、僕のいく先々でどういうわけか歴史的イベントが起きると不思議がっていたのが印象的でした。そのインパクトやエネルギーを美しい一枚の布に昇華させているのかな、と想像します。

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石のない石屋-イリドの店主&デザイナーをしている、MIDORIです。
クリエイティブの源泉というテーマでnoteを書いています。

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